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私は麻痺した足に装具を着けて歩いていました。 この記事にあるレベルの装具ではなかったにせよ、フラットな病院内の廊下ではなく凸凹、傾斜がある一般道では装具を装着しないと怪我をしてしまうため、外すことは叶いませんでした。 そうなると履く靴には限りがあります。 「装具 靴」で検索をすれば分かりますが、靴でのお洒落が出来なくなります。今現在は装具を装着していてもお洒落な靴を履けるように、当事者さんが開発して販売している靴はあります。けれど、当時は開発されてもいなく、私自身も当事
MRSAの検査結果が出て、ようやく転院することに。 研修医・看護師たちも若いスタッフが多くて楽しかった入院生活でした。 ギプスを膝下まではめられた状態で車いす生活だから、当然即元居たリハビリ病院に家の車で運ばれて午後には入院手続きをしていました。 午前中は、30歳までの医療スタッフばかりの環境・・・ 午後には、患者さん含めて医療スタッフも年配ばかりの環境(リハの人らは別) 20代前半の私にしてみれば、ちょっと残念な環境。。。 しかも、以前いた時より患者さんの平均年
東北での治療は一旦終了したので、退院し地元に戻りました。 けれど、治療の甲斐がなく装具を外して歩いていると足の捻挫が頻発することが発覚、古傷の影響をモロに受けており、その傷を治療するために地元の大学病院を訪れました。 ⁂ 私が東北で受けていた治療自体、日本では当たり前のように周知されていた方法ではなかったので、例え町医者で大きなクリニックを構えていても対応することは難しいだろうと考え、結局大学病院でないと太刀打ちできないと判断されました。 古傷の方は足首の剥離骨折とじ
麻痺した手足の筋肉に電極を埋め込む手術を受けました。 現在でいえばシックスパッドに代表されるEMS(神経筋電気刺激療法)に近いものとなります。 今は皮膚表面からの電気刺激で麻痺した筋肉をコントロールするリハビリがあるようですが、当時は体内の筋肉に直接細いコイルというか針金を埋め込み、肩に近い腕と太腿の真ん中から電気信号を送る機械に接続するコネクターが体表に出ているという形のものでした。 最終段階では、そのコネクターも体内に埋め込み、無線でコントロールを行う形を目指してい
PTの訓練は順調に進み装具も納品され、装具を付けた病院外周のお散歩も平気になったころから、私は次のステップの「退院すること」を考え始めました。 大学も夏休みに入っていましたが、10月から始まる後期には完全復帰を願っていましたし、その前に家での日常生活に復帰をしないといけないので8月のお盆シーズン前に退院することを決めました。 もっとも、180日ルール(標準的算定日数)のリミットにも近づいていたこともあって、退院する方が良いとも判断していました。(2月発症だから、180日後