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私の過去:闘病生活とその中での気付き

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大病をしたころから現時点までのことを、ツラツラと書き起こしています。書き出すことで、今まで受け入れられなかった部分が受け入れられるかも…といった気持ちで書いています。
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#病院

43.車いす生活から突然立ち上がって歩き出すと皆が驚く

翌日、車いす生活の人は病室で食事を取るのですが、歩行できる人はラウンジを兼ねた食堂に集まります。 昨日まで私は車いす生活をしていたことを入院患者の皆さんは知っているわけで、その私がスタスタと歩いて食堂に現れたことにドン引きされまして。 「あー、初めての入院じゃないことを知らない人が大半だった。」 この病院は、脳内出血等の脳障害を負った人が中心だから1日で車いす生活からの脱却は不可能なんですよね。 私も1度目の入院の時は、3か月かかって歩くことができ、食堂に1人で行くこ

5.一般病棟に移ってから

ICUで1週間ほど過ごした後、一般病棟の個室に移動しました。面会謝絶の状態も続いていたので、両親は個室を選択しました。それに、完全看護のシステムだったとはいえ、ある程度元気になるまでは母も付きっきりの看病をしたかったようで、私の部屋で寝泊まりできる体制にはしたかったようです。 まだまだグッタリした状態が続く開頭手術で左の頭の半分ぐらいにメスを入れたから、直ぐには回復するわけないでしょ?という感じでしたから、1-2週間は親戚等も面会に来れなかったのです。ほぼほぼ眠っていたし、

3.目覚め

術後、1日ないし2日経って私はICUで目覚めました。 私は自分が置かれている状況の把握が全くできずにいました。 なぜ知らないベッドの上にいるのだろう。。。 なぜ何本ものカテーテルに繋がられているのだろう。。。 なぜ息苦しいだけなのに酸素注入用のマスクをしなければならないんだろう。。。 なぜ、なぜ、なぜ。。。 そんな状態でした。 父の行動私が目覚めたと連絡を受け、父が仕事の合間にICUにやって来ました。 その手には、当時使っていたボロボロになったSAZABYのシ