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私の過去:闘病生活とその中での気付き

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大病をしたころから現時点までのことを、ツラツラと書き起こしています。書き出すことで、今まで受け入れられなかった部分が受け入れられるかも…といった気持ちで書いています。
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#手術

40.大学病院は手術病院

特に整形外科で入院していたこともあって、手術が終わればベッド待ちの患者さんのために私たち術後の人間は転院をさせられる運命・・・そう、ある程度まで回復すれば”用済み”なので。 まー、仕方が無いんですけどね。普通の病院と違って臨床のデータを取って、且つ各症例の研究に充てると言う事が大学病院の使命ですから。 なので、私も転院先に打診されて、転院する準備をしていました。 ⁂ 大学病院は1つの街を再現しているようで、ショッピングモールじゃないけれど、コンビニ、郵便局、某ホテル系

39.手術前夜~手術後

手術の前夜に麻酔科の医師がやって来て、問診等を行いました。 が、その先生って私の同期にソックリ!宮川大輔みたいなフレームの眼鏡をかけていて、私の同期も同じような眼鏡をかけていて、背格好から顔の面影、すっごく似ていて、その同期に問診を受けていたように感じでゲラゲラ笑いが止まらなくて・・・ 笑いのツボに入ったら最後、止まらない、止まらないwww 先生、超困ってました。先生には罪はないんだけどー、ごめんね。 でも、全身麻酔は凄く辛いのを知っていたので、「下半身麻酔が良い!!

38.手術、再び。

今日も暑いですね。そして、また1日ぶっ飛ばしました・・・ 毎日更新が結構大変な事は知っていますが、いやぁ、ちょっと他の事をしていたら「あっ!」という間に24時過ぎちゃうんですよね。。。。 ⁂ 珍しいモーションキャプチャー検査の後は、普通の健康チェック。ああ、私に関しては脳波やMRI検査もあり、脳神経外科の診断もありました。 大抵の医師は横や縦の繋がりがあるので、私の脳の手術を執刀してくださった医師の名前を告げると「あ~、あの先生ね。」で話が通ったという感じ。 今は日

2.あの日の朝 その2

病院に着いて意識を失う。どれぐらい救急車に揺られたのでしょうか。 いつも自転車で爆走していた大きな道路をノロノロと走っていたような、凄いスピードで走っていたのか全く分かりません。ただ、その内病院に到着し、ストレッチャーに移し替えられて処置室に運び込まれました。 私の記憶はここまで。鎮静剤か何かを投与されて、翌日か翌々日にICUで目覚めるまで意識を失っていました。 母からの伝聞ここからは母の記憶です。 到着した病院はER(緊急治療室)も併設された脳神経外科クリニック。救