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無意識の心 無意識の力

考えもしなかった。
本を作っている人がいるなんて。

誰も教えてくれなかった。
作家という職業があるなんて。

いや、それ以前に私の脳みそどうしたっていう問題もあるが
そう思っていたのにはワケがあって言い訳をすれば
私の家には物心ついたときから沢山の本があった。
それはもうどの家でも当然のことだと思っていたし
保育士だった母は私のために沢山の絵本を用意してくれ
学者肌の父は自分の書斎の本棚に沢山の本を所有していたため
大げさかもしれないが本は呼吸するのと同じくらいに
わざわざ意識することも無いほど身近な存在だったんだと思う。

天気の良い日は山猿のように野山で遊び
雨が降れば家の中で本を読んで過ごしていたので
私にとって本は、野山に生えた木々や草花のように
あるいはそのへんに転がっている石コロのように
「もとからそこにあるもの」という認識でしかなかったのだ。

もちろん、本にはそれぞれのタイトルや作家名が書かれているのだから
そんなもん教えられなくても誰かが書いてるんだって気付くだろと
きっと思うかもしれない。いや、思うよね、みんな。

そこがほら、わたしのポンコツなところなわけで。
いや、うっすらと、うっすらとは気付いていたと思う。
芥川龍之介も太宰治も萩原朔太郎も
金子みすゞも宮沢賢治も浜田広介も
ミヒャエルエンデもサンテグジュペリも
他にも数え切れないほどの作家の作品を読んでいたのにも関わらず
作家という存在が誰でも選択できる職業として存在している
ということを明確に自覚したのは高校生になってからだ。

それまではある種違う次元の事として他人事のように感じていて
それが自分事として考えられるようになったのは
高校の同級生の中に「小説家になりたい」とか
「漫画家になりたい」とか言い出す人がちらほら出てきたときだった。

え、作家って、なれるの?

それがその時の私の正直な感情。
世間知らずにもほどがある。

でもその時には足のケガでダンサーになるという夢を諦め
第一の挫折から保育士の道へとシフトチェンジしたばかりで
さらには親から安定した収入を得るための仕事に就くよう勧められ
現実的な選択肢を選んで受験勉強をしていた頃だったので
私が心のどこかで物書きになりたいと思っているなどとは
微塵も感じていなかった。
自分のことなのに超鈍感(笑)


その当時、私が本を読むことと同じくらい好きだったのは
文字を書くこと。

はじめは小学校一年生の課題で出された日記だった。
毎日その日を振り返り日記を書いていくのが日課で
先生が書いてくれる赤ペンのコメントが嬉しくて
まるで交換日記をしているようなワクワクした気持ちになって
その返事が楽しみで毎日続けられたんだと思う。

それがキッカケで、担任が変わり日記の課題が出なくなってからも
私は毎日日記を書き続けて、それは高校生になっても続いていた。

思春期の日記なんていうものは恥ずかしいことこの上なく
直視できないまま捨てることすらもできずに
いまだに実家の引き出しの奥にひっそりと鎮座しているが
このまま残しておいても結局私の死後に遺品整理され
誰かの目に触れるかと思うとここらで処分しなくてはと
さすがに気になっている代物であり、ある意味私の排泄物だ…

文字にはいろんな力がある。
悶々とした感情を文字にすることで考えがまとまったり
自分でも気付いていなかった思いに気付かされたりもする。

まさに私にとって文字を書く行為は
いろんな作家のいろんな価値観を吸い込んだ私の心が
それでお前はどうなんだい?と自問自答しながら
今の自分をなんとか肯定しようとさまざまな理由を構築して
このどうしようもない自分をどうにかして受け入れるための
儀式のようなものだったのかもしれない。

だから、そんな儀式の後の残骸を
私の恥部を排泄物を
人に見せるなんてできるわけがなかった。


社会人になり養護学校での勤務に日々奮闘していたある日
私は仕事でミスをし上司にひどく叱責された。
覚えることも仕事内容も膨大でそれをこなすのに精一杯だった私は
これ以上どうやっても頑張れないと一人で苦しくなって
昇降口のすみにしゃがみ込んで隠れるようにして泣いていた。
いや、あふれる涙をどうやっても止められず隠れていたという方が正しい。

その時、私の視界が急に暗くなり、誰かが頭をポンポンとたたいた。

え?!誰に見つかった?

誰もいないとばかり思っていた私はあわてて頭の上のものを
ガバッと取りはらってうしろを振り返った。

そこにいたのは重度の自閉症で普段から「なっちゃん」しか話さない
小学部の女の子だった。

その時、私の頭にかぶせられていたのは昇降口のコート掛けにかけられた
なっちゃんの上着だと気付いた。

「え…なっちゃん…なぐさめてくれたの?ありがとう…」

私はなおさら止まらなくなった涙と鼻水だらけの顔でお礼を言った。
なっちゃんは何も言わずに体を揺らすと左手をヒラヒラさせながら
ペタペタと廊下の向こうに歩いていってしまった。

それからというもの、私の中で生徒たちへの尊敬の想いが
日に日に大きくなっていった。

自分の気持ちに正直で純粋な子どもたちの姿を見ながら
私は自分に正直に生きているだろうか
私はこの子たちに何か指導できる立場なのだろうか
私はなんと未熟で弱くていろんなものを隠れ蓑にしながら
いろんな感情に蓋をしてごまかして生きてきたんだろうと気付かされる日々。

無意識の力は意図した力より遙かに大きい。

若い頃、友人が顔面に大けがをしたことがあった。
理由を聞くと、買物に行った際に店内のガラス戸に突っ込んだという。
しかもただ普通に歩いていただけで、というのだ。
そんなことあるのか?と驚いた。
友人はすらりとした細身で、どう考えても体当たりでガラスを割るなんて想像できない。
ましてや、お店で使われているようなガラスは強度が強いはず。
それをただ歩いていただけで割るなんて、勢いよく突っ込んだならまだしも
そんなこと簡単に信じることができなかった。

すると友人は、自分でも信じられないんだけどと言いながら
あまりにもきれいに磨かれたガラスの存在にまったく気付かずに
その向こう側にある売り場を目指して歩いていたせいで
目の前のガラスをいとも簡単に突き破ってしまったのと
恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら教えてくれた。

結果、友人は顔面を何針も縫う事になってしまいそれはそれで驚いたが
それより、無意識で行動した時の破壊力の大きさに驚愕したことを今でも覚えている。

意図して何かを成し遂げようとすること
目標に向かって努力を重ねたり
明確な目的に向かって突き進んだりすることは
とても大事なことだとずっと思っていたし、今でもそれは変わらない。

でも、努力や意識とは関係ないところで作用する力があること
むしろそれは意識していたときよりもはるかに強く
確実に影響を与えることもあるのだということも知った。

そう。
私は言わば割られてしまったのだ。
何年もかけて分厚く武装してきた保護ガラスをいとも簡単に突き破られてしまったのである。
その瞬間、それまでずっと隠してきた私の一番柔らかい部分がむき出しになって
本当の自分はどうしたいのか、どうすれば助かるのかを
今すぐ決断しなければあっという間に手遅れになってしまう
まるで瀕死のような状態だったに違いない。

それは決して子どもたちが意図して私に何かしようとしたわけではなく
ただただ自分の気持ちに素直に行動しているまっすぐな彼らを見ることで
私が勝手にダメージを受けていたにすぎない。

でも、こんなダメージを受けた状態で、毎日涙がこぼれるような私が
はたしてこの仕事を続けていけるだろうか。
そう考えたとき、私の仕事はいくらでも代わりができるけれど
私自身は私以外に代わりがいないのだと初めて考えることができた。

そして、私にしか書けない私の物語を書いていこうという思いを強くする。
これまで書きためてきた誰にも見せるつもりもなかった沢山のノートが
私が意図せず無意識に吐き出した数々の文字が
もしかしたら誰かの心のガラスを突き破ることがあるかもしれない
そんな淡い希望を抱いていた。

そう思うことがすでに意図的だぞ?ということにも気付かずに(笑)

人の心なんてそう簡単に動かすことはできない。
人の気持ちもそう簡単に変えることはできない。
動くのも変わるのも、いつだって自分だけ。

それを教えてくれたのはやっぱりあの時の子どもたち。
私が学ぶために、成長するために、私と出会ってくれたあの子たち。
あの子たちのおかげで今の私がある。

それでも、無意識に大きな影響力を与えられるほど人間ができていない私は
すぐに欲や雑念、劣等感や猜疑心で自分を見失ってしまいがち。

だからせめて、あの子たちから受け取ったたくさんの思いをたずさえて
いつだって何度だって今の自分を探り確かめながらここを生きて行く。

あの時むき出しになった、私の一番柔らかい部分をそのままにして。



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