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神経衰弱しながら生きていけばいい

「ぼく、大人になれるかな」

息子が中学生だったころ、ぽつりと言ったことがあった。
その言葉に私はドキッとして軽快にキャベツを刻んでいた手を止め
包丁を握る手にグッと力が入った。

「え~?それって、どういう意味で~?」

私は動揺していることをできるだけ悟られないようにと
台所に立っていてあまりよく聞こえなかった的なトーンで
手元を見たまま変に明るい声で聞き返した。

私が動揺するにはそれなりの理由があった。
息子には心疾患があるからだ。
思春期になってココロもカラダも少しずつ大人になってきた彼が
自分の病気のことや将来を悲観しているのかもしれない
そう感じて手が冷たくなっていった。

「あ、うん、なんか、今でさえこんなに大変なのに
大人ってもっと大変でしょ?やっていけるかな~って思って」

「え?どういうこと?」

今度は本当に意味が分からなくて聞き返した。

「みんなみたいにちゃんとした大人になっていけるのかな~って。
気が付いたら大人まであと少し、あっという間でなんだか焦る…」

あー、そっちの悩みか…私はホッとして、そして嬉しくもあった。
息子の病気は現在、難病指定になっている。
つまり、治療法はない。
進行すれば若くして…という可能性も医師から告げられている。

もしかしたら、大人になるまで生きていられないかもしれない、そんなことを考えて不安になってもおかしくないと思っていた。

でも、彼の悩みはそこじゃなかった。
むしろ、いつ死ぬかなんて考えてもいないようだった。
なにせ彼の将来の夢は「じいちゃんになること」なのだ。
一番楽しい若々しい時代をすっ飛ばして「あー、早くじいちゃんになりたいなー」なんて言ってしまうほどに年寄りになることを心待ちにしている中学男子が他にいるだろうか。

そんな息子が心配していたのは、まだまだ心は子どもなのに、年齢や体はどんどん大人に近づいている、どうしよう、心が体に追いつかない…ということだった。

「あー、そういうことなら心配しなくて良いよ。だって、ママだって中3の頃と何も変わらないもの」

「えっ?そうなの?ママって大人だと思ってた」

「んー、ママはね、人は生まれたときからみんな完璧だと思っているわけ。生まれた順番が早いか遅いかだけで、生まれたての赤ちゃんも大人と同じでちゃんと一人の人間として必要なものを全部持ってるの。」

私は、どうしたら息子に伝えることができるか、どんな例え話しをしたら彼は理解してくれるのか、その短い時間の中でグルグルグルっと頭をフル回転させた。

すると、ふと息子が手にしているトランプのカードが目に止まった。カードマジックが好きな息子は「トランプを手に馴染ませるためにはいつも持ってるといいんだって!」と言って、寝る時まで握って布団に入っていたくらいだから、トランプを使って話せば理解してくれるかも!とひらめいたのだ。

そして私は自分でも驚くくらい朗々と、そしてこれまで何十回と話してきたかのような口ぶりで、口から出てくるままに息子へ言葉を伝えた。

「たとえばね、みんな自分のトランプを1セットずつ持って生まれてきてるって考えてみたら良いのよ。それを全部裏返して並べて、神経衰弱をするの。トランプの数は、みんな同じ52枚だけど、初めてめくるときはどこに何のカードがあるか全然分からないから、揃わないことが多いよね。揃ったとしてもそれはたまたま運がよかっただけで、そこにそのカードがあることは知らなかったはず。人生もそれと同じ。小さいうちは分からないことが多くて、失敗したり不安になったり、イライラしたりするの。」

息子はうんうんと頷きながら聞いている。
我ながらなかなかうまい例え話ができて驚く。

「でもね、少しずつ大きくなって、いろんな事を経験すると良いことも悪いことも理解できるようになる。それは、どこにどのカードが置いてあるのか分かるのと同じ事なんだと思うの。あとは、それを裏返してペアにすれば良いし、手に入れたくないものは裏返さないという選択もできるわけ。どこに何のカードがあるかは、自分の人生経験と同じなんだと思う。自分のカードはみんな生まれたときから全部揃ってるんだから、大丈夫だよ」

台所のカウンター越しに一気にそこまで話すと、(私、うまいこと言えたんじゃない?)と気分を良くして、夕飯の続きを再開した。

すると、それまで心細そうにしていた息子も、みるみる表情を変え声を弾ませた。

「ぼく、神経衰弱得意だよ!そっか!そういうことなのか!じゃあどんどんめくってどこにどんなカードがあるか知っていけばいいね!」

なんて単純!理解してくれた!
そうそう、そうなのよ。
あなたの良さはその理解力の高さと、思い込みの良さ。
逆にいえば、理解できないことや納得できないことがあると一歩も前に進めなくなる不器用さもあるのだけれど。

でも、行動してみなければわからない。
カードをめくってみなければ、どこに何があるか永遠に謎のまま。

「そうだよ!間違えてもいいから、どこに何のカードがあるのかせっせとめくることが大事だよね。めくりもしないでどうしようどうしようって言ってても、いつまで経ってもカードは揃わないもんね。大人になるっていうのは、その経験が多くなっていくことだから、もしも大人がしっかりしているように見えているとすれば、カードをめくった分だけ安心感があるからなのかもしれないね。」

大人の余裕を見せつけながら、次から次へと湧き出るように言葉が続くのが気持ち良くなってきた。

「そうか~。だから大人は何でも分かってて何でもできて怖いもの無いんだね」

興奮していた私は、息子のその言葉にハッとした。

そんな単純なことじゃない。人生はそんなに簡単じゃない。それは自分が一番よく分かっている。大人になったって、いや大人になったからこそ、新しいカードをめくるときは怖くて眠れなくなる。間違えたらもう終わりだと絶望する。

子どもの時には簡単にできたことが、大人になればなるほど困難になる。

この子の目には、私はそんなに強く見えているのだろうか。本当の私は臆病で泣き虫で子どもの頃から何も変わらないというのに。

息子がせっかく抱いた希望を台無しにしてしまうようで心苦しくなりつつも、ウソは教えられないと思い、言葉を選びながら私は話を続けた。

「んー、そんなことないんだよ。実際は、大人だって同じように怖いし、同じように不安にもなってる。でも、覚悟することはできる。頑張ることもできる。今までも出来たんだから今度だって大丈夫だと、希望を持つこともできる。大人になるにつれ、自分のカードだけじゃなくて、他人のカードが混ざってくるの。それは思春期頃から始まるんだろうなって思う。関わる相手が増える度に、52枚が104枚、104まいが156枚、何組ものトランプをごちゃ混ぜにして、そのぶんルールもいっぱい増えて。それが大人の世界。でも、だからこそ何通りもの正解があって、考えもしなかったことが起きて、何歳になってもそれはとってもワクワクすることなんだよ」

そうやって息子に話しながらも、私は自分の言葉に励まされ納得していた。

そうか、そうだよ、自分のカードは最初から全部そろっていて、カードゲームを楽しむように、自分の人生も楽しめばいいんだ、と。

子育ては子供を育てているようで、本当は子供を介して自分と向き合う時間なんだなと思う。時にイライラしたりムキになったりするのも、子どもと向き合う上での自分の問題なんだろう。

そして、もしも子どもがいなかったとしても、その環境だからこそできる経験や使える時間、行ける場所や関わる人たちから、その都度自分と向き合う時間を受け取っていくんだろうと思う。

結婚も出産もしないだろうと思っていた私が、今こうして子どもたちとの関わりの中から、たくさんのことに気付かされているのは自分でも不思議で、とても面白い。

せっかくだから、この機会に何か素敵なトランプがないか探してみようと思う。

自分へのお守りとして。
息子から受け取った、大切な教えとして。


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