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結局私は何を飼いたかったのか

「犬が飼いたい!」

私が小学生だったころ、父にそんなお願いをしたことがあった。

「お前が生まれるずっと前には、シェパードを飼ってたんだ。
賢いから首輪なんかつけなくても逃げていかなかったなぁ。
それからミケっていう猫もいてな、それがまた…」

父が昔を懐かしむように話し始めたので、話題がそれてしまう前に急いでその話に乗っかると続けてお願いした。

「へぇ~!犬飼ってたんだ!シェパードもかっこいい!じゃあまた飼ってよぅ!いいでしょう?」

「ダメダメ!犬は毎日散歩しないといけないぞ。昔は放し飼いもできたけど、今はそれができないから、毎日散歩に連れて行かなきゃならないし、そんなの無理だ」

この様子では首を縦に振ってくれそうもない。
それでも、どうしても犬が飼いたい。
しかも毛がフッサフサしたとっても大きな犬がいい。
諦めることなんてできない。

「なんで急に犬が飼いたくなったんだ?」

そういう父に私は迷うことなく答えた。

「犬の背中に乗って散歩がしたいから!」

     *

私が急にそんなことを言いだしたのにはワケがあった。

私が住んでいたところはクマ、サル、カモシカが頻繁に出没する、外灯もないような山間の地区で、昔から代々そこに住んでいる人がほとんどの小さな集落だった。

そんなへんぴなところに、ある時、別荘を求めてどこぞの社長さんが移住してきたのだ。

農家の家ばかりが点在する集落に、突如としてあらわれたおしゃれで洋風な建物。窓にはふんわりとドレープのカーテンが掛かり、青々とした芝生の広い庭には大型犬が優雅に遊ぶという、まさにお金持ちを絵にかいたようなおうち。子どもの頃の私にとってそこはもう別世界だった。

その家では見たこともないほど大きな犬を飼っていた。
それはそれは大きくて、庭を走る姿も美しくゆったりしていて、鳴き声なんか聞いた記憶が無いほど穏やかな犬だった。洋犬なんて図鑑でしか見たことがなかった私は、その優雅な佇まいにただただうっとりするばかりで、学校の帰り道、敷地の周りに設置されているフェンス越しにいつもその姿を眺めていた。

なにせ、私の住んでいるところは現役のマタギも多く、各家の庭先で飼われているのは狩猟犬にも番犬(犬や猿が来たときに吠える)にもなる血気盛んな日本犬ばかり。

おもしろいことに、誰かがその家の前を歩いている間は首輪がちぎれんばかりに激しく吠えるというのに通り過ぎるとピタッと静かになる。そしてまたその隣の家の前にさしかかると、途端にその家の犬が待ってたとばかりに激しく吠え始める。そんな具合に一匹ずつ吠えるもんだから、犬の鳴き声を聞いていれば、どちらからどちらへ向かって歩いているのか分かるほどだった。

そんなある日、その大型犬が散歩しているところに出くわし、飼い主から「背中に乗ってみるか?」と言われた。そして私をひょいと抱き上げると犬の背中にまたがせてくれたのだ。

動物の背中に乗るなんて初めてで、目の前の景色が違って見えた。
ものすごく興奮して、すごいすごいと大騒ぎだったと思う。
私も犬を飼って馬乗りがしたい!
大型犬に乗ってお散歩がしたい!

…と、まあこんな経緯で、冒頭の犬を飼いたい発言になったわけだ。

     *

我ながら、なんと安直な考えなんだとあきれてしまうが、思い立ったら聞かない性格の私、もう今すぐ欲しくて仕方なかったのだ。

その理由を父に話したところ、話は私が思っていた事とは違う方向に進み始める。

「馬乗りしたいなら犬じゃなくて馬だろう」

あぁ、なんという正論。

そんな一撃を受け早々に犬を飼いたいと説得するための気力を失い、何も言えなくなっている私に、また昔の話をし始める父。

「昔はこの辺みんな、牛も馬も家畜として飼っていたもんだ。馬乗りしたいなら馬を飼うか」

は?

私は父が何の話をしているのか理解できずにいた。

え?それは昔の話だよね?
お父さんが子どもの頃に馬を飼っていたっていう話じゃなくて?
ええ?
馬って今も普通に飼えるの?
なんなら犬ですら飼ってもらえないだろうなと思ってたんですけど?
馬って牧場にいるんじゃないの?
一般家庭で馬を飼うなんてあり得るの?

「えぇぇぇぇぇ!ほんと?!馬飼えるなら飼いたーい!」

話を理解するまでにだいぶ混乱したが、私は優雅な洋犬のことなどどこかにスコーンと飛んでいき、興奮して父にお願いしていた。

結局、家族会議の末に、馬は繊細でお世話も大変だし子どもが乗るには大きすぎるから、ポニーにしようという話になった。

家にポニーがいるなんて、なんてオシャレなんだろう、まるで乗馬クラブみたいじゃないか。私は優雅な暮らしを想像しながらポニーが来る日を心待ちにしていた。

それから数日経ったある日のこと。
学校から帰ってみると、どうも家の前の様子が違う。
木でできた小さな小屋が建っていて、その影で何か動くものがいる。

「あぁっ!もしかしてポニー?!」

私の胸は急にギュン!と大きく脈打つと、玄関前を横切り奥の小屋まで大急ぎで駆け寄った。

白い背中が見える。

次の瞬間、それは振り返って鳴いた。

「メェェェェ…」

そこにいたのは、まぎれもない白ヤギ。
あれ?
ヤギだよね?
ポニーって子どもの時はヤギだったの?
いや、違うよね。
ヤギはヤギだよね。
しかも、か細くて真っ白で、これ、生まれて間もない子ヤギだよね⁈

激しく動揺しながらも一応確認する。

「え…ポニーじゃないの…?」

「ポニーとたいして変わらね~よ。ポニーだ、ポニー!」

戸惑う私に父が当然のように言い放った。
違うだろ。
明らかに違う生き物だろ。
ポニーはどうなったんだ。
どこでどう間違えたら生まれたての子ヤギになるんだよ。

そんなことがぐるぐると頭の中で渦を巻いていた。
ポニーにまたがりお散歩できると思っていたあの胸の高鳴りをどうにか消化したかった私は、意地でも馬乗りがしたくなった。

そして、子ヤギの背中にまたがった。

うん、無理。

ヤギって、背中がとがってるの。
おまたが痛くてすわれないの。
ヤギの背中には乗れないのね…馬乗り、できないのね…そう思ったら、とたんに悲しくなってきた。

ヤギに罪はない。

わが家にもらわれてきたばっかりに、ポニーじゃないとガッカリされ、馬でもないのにまたがられ、そもそも大型犬が飼いたいといったところが始まりだったのに、それが馬になり、ポニーになって、ヤギを連れてきた父が全部悪い!

仕方が無いから乗馬の夢は諦めて、もう一つの憧れを実行してみることにした。それは大きな洋犬との優雅なお散歩。

「おー!行ってこい行ってこい!」

父はそう言うと首輪と手綱を準備してくれた。
でも、オシャレな首輪やリードなんてあるはずもない。
そのへんにある縄を首に巻き付けると、チクチクする手綱を握らされた。
こうなるともはや完全なる家畜である。

アスファルトをカツカツ歩く蹄の音がなんとも虚しく響き渡る。

優雅な犬は滑るように音も立てずにフッサフッサと歩いていたぞ。
優雅な犬はカツカツいわないんだぞ。

もう一度言う。
このヤギに罪はない。
何も悪くない。

私が思い描いていたことは何一つ叶わなかったけれど、やっぱり生き物というのはなんでも素晴しく尊いものだ。

ほんの数分関わっているうちに、真っ白な毛並みは雪のようにきれいで、草を食む仕草も可愛らしくて、私はあっという間に子ヤギに夢中になっていた。

「名前を付けなくちゃ!」
「メリーがいい!」
「えー、それって羊でしょ?」
「ちがうよ、メリーさんが飼ってる羊なんだから人の名前だよ」
「え?そうなの?」

なにひとつヤギが登場しない話でひとしきり盛り上がって、結局名前はメリーに決まった。

こうしてメリーは正式にわが家のヤギになったわけだが、じつはその時すでに数羽のウサギとチャボも飼っていたので、もうすっかり立派な農家の庭先になり、芝生で優雅に犬と戯れる夢は更に加速して遠のいた。

そもそも「馬乗りしたい」なんていう姑息な理由で、素敵な洋犬を飼ってもらいたいと思ったのが間違いだった。

洋犬が馬になり、馬がポニーになり、ポニーがヤギになり、こうしてヤギのメリーはわが家へやってきた。

この一連の流れは、私の中でさながら「わらしべ長者」のような話として美化され、これもご縁だな〜なんてずっと思っていたけれど、冷静に考えてみたら私が飼いたいと思っていた犬も馬もポニーも結局何ひとつ登場していないじゃないか!とこれを書いていて気づいた(笑)

でも、ヤギのいる暮らしはとても豊かなものだったなと、今にして思う。
メリーが子ヤギを産んだときは乳搾りもしたし、ほんの少しそのまだ温かいミルクを飲んだりもした。ポニーや犬では経験できなかったことだ。

人生そうそう思い通りにいくことばかりじゃないけれど、今目の前にあるものが全てで、完璧なタイミングでここにあるんだなと思えば、たいていのことは楽しめるのかもしれない。

犬が飼えなかった不満などすぐに忘れてヤギと暮らす「今」を楽しんでいた自分の姿をぼんやりと思い出しながら、今の時代にそんなことを考えている。








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