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「態度」と「姿勢」を「いつでも」。人を応援したくなる、ある視点。

どんな内容の話を聞き取るか。と、どんな人の声に耳をすますか。


人生は偶然と選択の連続だ。

僕も、この1年だけを振り返っても、たくさんの無意識の小さな選択、有意の選択、つかんだりつかみそこねたりした成功や失敗の数々の反映として、そして数えきれないほどの、偶然というスイッチのない分岐器のいたずらも加わって、いまここに生きている。

僕の目に映る、いまここに生きている 周囲の人々の顔ぶれも変わった。

そんな中で、春の頃から今日までの、それもコロナ自粛にさえぎられた短い限られた期間だけ、その仕事をしている姿をかいま見ることのできた1人の青年がいる。

業務上、人に話しかけられることも多い彼は、質問者には的確に答えながら、時折、上手に冗談話にも応えてあげ、そこには明るい空間が生まれるが、それ以外の多くの時間は寡黙だ。

僕も笑って彼と言葉を交わすことはあるが、1日の間でも、挨拶と4つ5つの少ない言葉だけだ。

ほとんどと言っていいほど、互いを知らないし、交わす言葉が少ないのは、双方とも目の前の、違う仕事に集中しているからでもある。

ただ、いつの頃からか、彼が、ある2つのことを、日々愚直に淡々と、実行し続けていることに気がついた。

それは、僕自身も目の前に集中している中で、視界の端の方にフレームインしている、向こうの方で立ち働く彼の姿だったり、あるいは、すぐ隣でかすかに漏れ出た独り言や、人を介した業務の会話や、真剣な視線や手際であったり、そうした小さな事実の集積によって気がついていった、ある2つのことだ。

それは、

「態度」 と 「姿勢」 だ。

人への態度 と 仕事への姿勢 。

そんなこと、社会人なら当たり前よ、と思われるかもしれない。そう、なんなら、僕にだってある。人には感じが良いと言われることもあるし、仕事中は自分でいうといやらしいが、まあ真面目な方だ。

ただ、彼の場合は、そこに修飾語がつく。

あらゆる。

あらゆる人への態度。

あらゆる仕事への姿勢。

彼は、そこにいるあらゆる人たちを、立場や能力や性別や出身などで一切、差別しない。

そして人を育てる立場でもある彼は、決して上から目線になる事なく、どんな人に対しても、いかにストレスを与えることなく、気持ち良く、成果も出やすい仕事をその人がしやすいかを、常に心がけているのかがみてとれる。

またあらゆる仕事に対して、たとえそれが彼がやらなくてもいいような、些末な事でも、誰にもアピールすることなくさっと引き受けてやってのける。

ただこれも、日頃やっている人、心掛けている人は少なからずいるだろう。

しかし、彼の場合、さらにもうひとつ、

後ろに、追加する言葉がある。それは、


いつでも。


いつでも。

まるで、詩への姿勢が一貫している、金子みすゞ の詩に出てきそうな言葉。

彼は、誰もが大切と理解ってはいるその2つのことを、「いつでも」愚直に、目立たぬように、毎日、行い続ける。


もう明日からは、彼の働く姿を見ることはできない。

短い間だったが、でも、僕には確信がある。

彼は、明日も明後日も、来週も、来月も、おそらくはずっと、その「態度」と「姿勢」で生きることをつらぬくだろう。


そして、ごく最近、ひょんな偶然から、彼が日曜日にある表現活動を始めたことを知った。

創作活動にしろ、営業活動にしろ、
ひとつのコンセプトを持って人に提供するということは、それによって受ける側、救われる人を不特定多数の中から、しぼり込む作業でもある。

見るコンテンツ、聴くコンテンツが世の中にあふれている現在、僕たちは、ついつい情報としてすぐに役立つかどうかや、自分の日常の世界にある親和性のあるものか否かや、すぐにわかりやすいかで選びがちになる。
「創作されたもの」の向こう側にある、彼の声に潜む、彼が日々行なってきたそういう部分、聞き覚えのある有名人の声を彷彿とさせるからでもない、あなたのためにいつか癒しや価値を与えるかもしれない、彼の実直な、優しい心根の部分に気づいてくれるだろうか。

僕が、stand.fm のパーソナリティー、ナイスミドルさんを応援したいと思うのは、そういう理由だ。

心をニュートラルにして秘かに身の回りの人を観察すれば、あなたの職場にも、あなたの教室にも、そんな人が、見つかるかもしれない。






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