「悟り」とはミステリ小説におけるどんでん返し的な電撃的伏線回収である

まず悟りとはなんなのか?

僕の解釈ですけど、悟りというのは、けっきょく、ミステリー小説における伏線、いわゆる点と点と点と点がつながって線となり、ひとつのまったく見えていなかった像が瞬間的に編み上げられて「ええええ!?」となる現象のことでしょう。

それの「密室殺人の犯人は誰か?」という問いではなくて「私とは何者だったのか? 世界とは何者だったのか?」バージョンだと思えばいいんじゃないでしょうか。

悟りが実は大いなる錯覚だった、ということはあるか?
うーん、これは分かりません。あるかもしれない、と言っておきましょう。分からないので。

悟りを得るとどうなるか?
人生観が書き換わり、行動も次第に変わっていく気がします。

でも、どうなんでしょう。悟りを得たからと言って急に超能力が使えるようになるとか、奇跡が起こせるとか、超サイヤ人になっちゃうとか、お金持ちになるとか、そういうことでは全然なくて、もっとゆるやか穏やかな日常の延長線的なものなのかなーとも思っています。

それとも悟りにも段階が在るんでしょうか。いやいや、段階が在るとか、それって悟りといえるのか? まーでも超サイヤ人にも3段階くらいありましたからね、超サイヤ人ⅢとかⅡとか。

正確に言えば、僕が得た感覚を「悟り」と呼んじゃっていいのかも分かりません。実際、誰かの悟りと体感が同じかを比較できるわけじゃないですからね。あくまで主観的なものですし。

でも、なんていうんでしょう。上質なミステリー小説を読んだ時と同じと思えばいいんじゃないでしょうか。

伏線がズバズバつながって、背筋がゾーッとするというか、世界観がバラバラと崩れて思ってもみなかった新たな世界観がその崩れた砂上の楼閣の内側から立ち上がってくる衝撃の感覚というか、そういうのって多くの人が体験したことが在ると思うんです。

ミステリー小説を読んだときの、誰にでも生じうるどんでん返し感覚、「うわー、どんでん返されたー! これが噂のどんでん返しだかー!!」みたいな感覚、悟りも同じようなものかと思います。
「うわー、悟った! いま悟ってしまった! これが噂の悟りだったのかー!」みたいな。

このように、ある特定の知識や世界認識の方法をインプットしていくと、人は「どんでん返し」だったり「悟り」を得るようにできているようなのです。

全部解いて最後に特定のマスだけをつなげて読むとキーワードが浮かび上がるという方式のクロスワードパズルって在ると思うのですが、おそらくそれと同じで、悟りを得るためには最低限持っていないといけない知識体系があるのだと思います。AとBの文字列だけ解けていても、CDEが解けていなかったら悟りには到達しないみたいな。

次に「悟りの民主化」によって人々のこころが成長していった先にどんな世界が広がっているのか(今から10〜20年後の世界)について書いてみたいと思います。

『人間の教科書』 「悟り」がいざなうシン・世界認識(この記事読むと悟り起こる)
『人間の教科書』目次

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