見出し画像

サブウェイをかじった瞬間、サブウェイと自分が等しいと気づいちゃった話[悟り]

僕とあなたとサブウェイ、そしてあなたの今見ているディスプレイ、あなたの周りにあるモノ全ては等しい存在です。
と言ったら「おおお!? この人、あたまダイジョブか??」と思うでしょうか。思っても無理はありません。いやー、僕だったら思いますね笑。でも

「サブウェイと俺、同じじゃん!等しい存在じゃん!」

と実感のようなものを伴いながら電撃的に気づいちゃった瞬間の、なんだろう、この世界の、宇宙の謎が全て解けてしまったような気分。

「えー、サブウェイと俺が兄弟? まじか。おー、なんかすごい」

僕自身、そんな驚きに包まれて、そんな自分がおかしくて思わず笑ってしまいました。
でも古神道の時代、人はだれでも、そういう世界観、人生観で生きていたんじゃないでしょうか。

おそらくあと10年以内、遅くても2040年ころまでには
「悟りの民主化」
が訪れるでしょうね。その気になれば誰でもが悟りを得ることができる時代。

しかも言語化できない直観としてではなく、理性と知性によって再現性の高い方法で、いわゆる悟りを誰もが得ることができる時代。

コンビニでカップヌードルを買って食べる感覚で悟りを得られてしまう時代。

「あー、2年2組は悟った生徒まだ半分くらいか。みんなー、3組に負けてるぞー」みたいな時代。
石を投げれば悟りを得た人に当たる時代。

というか、そういう人工的に悟りを得る手法は既に、ある場所にはありますよね。
半田広宣さんの提唱するヌーソロジーも、そのひとつでしょうし、僕が知らないだけで他にも在るのかもしれません。
知性によって悟りを得られる時代は既に到来しているのだと思います。

ガイアの法則で説かれている日本から始まる新たな精神的文明というのは、間違いなくこれらの潮流のことを差していると思います。いやー面白い。これからどんなふうに世界が塗り替えられていくのか、ワクワクが止まりませんね。

そこで、この一連の記事では「この記事を最後まで読めば誰でもその場で悟りを得られてしまう」ことを目指して書いてみたいと思います。

「悟り」とはミステリ小説におけるどんでん返し的な電撃的伏線回収である
『人間の教科書』目次

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?