腎虚
“先生、私、最近、何事にもビクビクしているんです。
こうなったらどうしょう。
ああなったらどうしようって。
自分でも嫌になるくらい、暇があると心配ばかりしていて。昔は、全然こんなふうじゃなかったのに”
と患者様。
今回のテーマは“腎虚(じんきょ)”です。
よろしければお付き合いください。
さて、
先日の東洋医学のセミナーでは、“水滞”の不調について、特に経産婦さんの場合は“腎虚”を一緒に考えるといい旨を伝えしました。
そもそも“腎”とはいったいどんなものなのでしょうか。
東洋医学には精という言葉があります。
東洋医学では、生命は精が元となってつくられる、と考えます。
“氣の巡り”とよくいいますが、その氣の源となっているのがこの精です。
私達がこの世に誕生する時にお父さんお母さんから譲り受けた精を“先天の精”、そして、食を通じて得られる精を“後天の精”または“水穀の精”といいます。
そして、その精を私達の身体の中でストックしておくところ、それこそが“腎”なのです。
私達は元気で活発でいられる時、この腎精は潤沢に存在しています。
ところが、歳を重ねたり、疲労したり、元気が無くなったりした時、それなりに腎精を消費してしまっています。
そして、腎精がやがて枯渇すれば、それは生命の終焉を意味します。
これが腎の本態。
ところで、西洋医学で腎臓というと、尿を生成するいわゆる腎臓のことを指します。
しかし、東洋医学の腎とはそれとは異なり、このように生命の根源に関わる深い意味合いを含んでいます。
東洋医学で腎虚(腎の弱り)というと、まず思い浮かべるのは下半身の弱りです。
足腰の弱りだったり。
生殖の弱りだったり。
どこからともなくやってくる下半身の冷えや、
頻尿や尿漏れなどの泌尿器のトラブルだったり。
また、腎は“骨”や“耳”に関わりが深く、
腎が弱れば、骨粗鬆症、関節の弱り、歯の弱り、耳鳴りや聴こえづらさなどを生じさせます。
さらに、腎は五志(感情)では恐、驚、に相当します。
腎が弱っている人はいつもビクビク何かを恐れていて、ちょっとしたことでも大きく捉え、パニックになりやすい特徴があります。
冒頭の患者様もまさにこれにあてはまると思われます。
さて、
通常であれば、誰でも歳老いていけば生理的腎虚となるのが一般的な考え方です。
腰が曲がって、足が弱って杖をついているあの老人のイメージです。
が、若い人でも腎虚になることがあります。
例えば、
子育てや介護、人間関係のトラブル。
過労、疲労、そんなふうにして長期的に氣をひどく消耗してしまったり。
あるいは、大病してしまったり。
食べれない日が続いてしまったり。
それから、忘れてはならないのがもう一つ。
それは女性のお産です。
東洋医学では、お産も腎虚の原因の一つと考えます。
出産時、自身の腎精を我が子に渡すからです。
多産の経産婦さんが腎虚になりやすいというのはあるのですが、そうでない経産婦さんでも、産後に調子を崩し、さらにそれが長びいてしまっている場合は腎虚を考えます。
いずれにしても、そのくらいお産とは大変な事であることに間違いはなく、男性の私としましては謙虚にならざるを得ません。
さて、
最近では、当院にそのような方がたくさん日々指圧にいらっしゃるようになりました。
腎虚に効果のある漢方薬として、八味地黄丸(はちみじおうがん)が有名ですが、指圧では主に補法(精気を補う)が大変喜ばれています。
指圧する際、そのお腹に触れてみると、下腹部が手の重みで力無く沈んでいくような感覚があります。
これを小腹不仁(しょうふくふじん)といい、これも腎虚にみられる症状の一つです。
また、上実下虚で上焦に氣が集まっているため、上半身は強く押してほしいけれど、下半身は優しく押してほしい、、そんな人も腎虚の特徴。
指圧ではそんなアンバランスをじっくりと整えていきます。
いかがでしょうか。
なんとなく腎虚のイメージができましたでしょうか。
実は、この腎虚が“水滞”(胃腸の弱り)と同時に起きている患者様がとても多い、というのが私の最近の実感です。
腎と脾(胃腸)は相剋関係です。
水滞や脾虚の治療をしてもあまりよくならない場合は、この“腎虚”を考えられてもいいのかもしれません。
そして、ちょっとずつでも精や気が腎に補われていけば、力が無かったお腹も少しずつ虚から実となってエネルギーが湧いてきます。
暗かったお顔の表情もだんだんと明るくなってきます。
そんなふうに元気になっていく患者様を私は少なからず見てきました。
そうなれば、ちょっとした心配事なら跳ね返せるような力、自信が自ずと湧いてくるのです。
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