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おとうと

第25話

恐れていた中学校生活が始まった。
本当に、恐々といった感じで入学した弟は
入学早々誰かに目をつけられるといったことはなかったようで
当初は落ち着いて通学していた。
小学校時代から仲良くしてくれていた友人らと
気儘な学生生活を送っていたと記憶している。

私はといえば社会人2年生として既に1度目の転職をしていた。
元来飽き性で根気がなくすぐにへこたれていた私は、
新卒入社した会社を1年もたず退職した。
当時私の上司のような役回りでいた女性は
恐らくは優しさとか
気遣いといったことであったのだろうと今なら思えるが、当時は
・仕事を与えない
・休憩していてという言葉通り過ごせば1日中休憩することになってしまう
・無理をさせたくないと言いながらダメ出しはする
・ダメ出しされたことを念頭に動けば「要らぬこと」と切り捨てる
等々、当時の私にとって
「訳が分からない」と感じる接し方を貫いた。

退職の意向を示したとき
「最後に1度きちんと話したい」
と、その女性の相談役のようなことをしていた会長の娘に声掛けされたが
風邪を引いてしまった。
かなりの高熱を出したが約束なので
無理をおして出社した。
昼過ぎまでその人の到着を待った。

しかし、来なかった。

所謂「ドタキャン」をされたわけだ。

「なら呼びつけるなよ!」

かなり憤ったものだ。
会長の娘は上司のような女性を
これ以上ないほどに可愛がっていた。
彼女の汚点になるかも知れない私など
無情に切り捨ててくれて、全く構わなかったのだが。
帰り道、運転したはずなのだが記憶がない。
帰宅後3日ほど寝込んだ。

入社が4月、退職は12月。
8カ月程度の勤務期間を経て私は無職になった。
次の職にありつくまでに1年ほどかかった。
前職が1年もたずにいたのだから篩にかけられるのは当然だ。
この経験が、後々人生にとんでもない影響を及ぼすことになるのだが
取り合えずこの頃は、職に就けたことに安堵していた。
準社員という雇用形態を気にすることもなかった。

弟は相変わらずきれいな教科書を鞄に入れたまま
ゲームに勤しみたらふく食らい、
自宅と父所有の別宅を往復する日々を過ごしていた。
ますます肥え太ったことで母の心労は尽きなかったが
本人はそんなものどこ吹く風、
中学1年の1学期までは何事もなく過ごしていたように思う。
しかしそこは10代前半という世代。所謂「反抗期」は
その年頃を襲う。
2学期を迎えた頃から「学校に行きたくない」と言うようになった。
私は弟が中学卒業したなら父の会社で働けばいいと
かなり彼の人生を楽観視していたため、
「行きたくないならいかなくていいよ。
その代わり手に職付けな。食ってかなきゃならないんだから」
と偉そうに御託を並べたものだ。
弟はというと私の戯言を鵜呑みにし
本当に何一つ勉強らしいことはせずゲームを楽しみ、
何というかこう「チャラチャラ」した生き方を謳歌していた。
母が口を酸っぱくして
「勉強しなさい」
と声掛けしても知らん顔。
しなくていいとお姉ちゃんが言ったと告げ口するなどしたため
私が叱責されることもあったが、
「だってあいつアホじゃん。
勉強しろと言われて大人しくするような子ばかりなら
劣等生なんか存在しないでしょ」
という私の寝言に臍を噛むのだった。

吹奏楽部に在籍していた弟。
部活は楽しかったようだ。
元々音楽が好きで種類は問わずあれこれ聴いていた。
しかしその部活動がきっかけとなり
弟はまたまたいじめの標的にされてしまう。

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