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鯉のぼりのカッコよさが今日やっとわかった(-"-)

最後にほめるんで怒らないで聞いてほしいんですが、当方子供の頃からずっと

鯉のぼりって何がカッコイイのか

さっぱりわかりませんでした(-"-)

だってアレ、軒先に飾るにはあまりにも色が派手過ぎませんか?
描き方もマンガ以上にデフォルメが効いていて、ハッキリした黒い線に原色的な青、赤、そして金の刺し色。抑制の効いた表現を好むジャパンの文化にしては例外的なハデハデさです。なんか

中国の爆竹祭りで使う伝統的なお飾りです

と言われたらそんな気もするくらい。

今日行ってきた、いつもの山です

でもまあ、それはそれで単体で見たら「ハデハデでカッコイイ!」ともいえる(単体なら今までもデザインは好きだった)んですが、問題は飾っているその姿だ。

あの巨大で原色なヌノ袋が玄関先からのたーっと垂れ下がっている姿は、正直言ってキッズだった当方どうしてもさわやかとかカッコイイとかは思えない状態で、どちらかというと

…暑苦しい…(-_-;)…

と思っておりました。いやキッズどころじゃない、今日の午前中までそう思ってた。

いつもは無いながーい棒が立ってましたが、なんでしょうね?

で、今日の午前中山登りに行って、山のふもとのお寺に飾ってあった鯉のぼりを見てイキナリ気づきました。

あ、これ(鯉のぼり)、後ろに空と森がないとダメなんだ!

ということに。

そうです。キッズの頃から当方は鯉のぼりは住宅街の中で、大きさもせいぜい2メートルくらいの、見上げたら視界に電線やお家の屋根が入ってしまう環境でしか見たことがなかったのです。

今日見た鯉のぼりの後は真っ青な空、視界の下に少し緑(山)が入って、

水中を泳ぐ鯉と川藻のついた石を下から見上げた風景そのもの(見たことないけど)

でした。
するとどうでしょう、鯉のぼりの金の刺し色がチラチラ光って、川面から滑り込んだ光を反射しているようです。自分が小さな川虫になって水底から鯉を見上げているみたいだ。なんか涼しくなってくる。
まちがいない、鯉のぼりってこうやって見るものなんだ。なんだよオイそれならそうと早く言ってくれ、こりゃ

ものすごくカッコイイじゃないか(*‘∀‘)!!!!


ながーい棒の根元部分にはお鼻がついていた

…初夏の時ならぬ暑さ。
午前の農作業ではや疲れて、鍬を持つ手も力がない。丘の向こうで「田吾作~一服すべえ~」と老人の声が聞こえる。鍬の刃を上に向けて地面を引きずりながら(ざり、ざりと土を削る音)、フト顔を上げると遠く庄屋様の軒先に鯉のぼりがうねっている。半眼のマナコで彼はつぶやく。

ああ 鯉たちが泳いで行かあー…

…はっ!いかんなんだこのヴィジョンは。誰の記憶だ。田吾作って誰だ。帰らねば(笑)!…とまあそんな幻視を起こすほど当方のハートにガッツリはまったこのカッコよさ、これぞ鯉のぼりの正しい姿なのでしょう。
そう考えると、

鯉のぼりをあのように描いた奴はエライ(-"-)

天才である。並の描き方では空の青さに負けてしまいます、これは是が非でもあのようにハッキリ・ド派手に描く必要があったのだ。

しかし何ですね、この一年断続的に山に登ってよく思うんですが、ジャパンのデントーテキ文化とかミンゲイとかいう奴はどうも

里山じゃないとその威力がわからない

ものが多いんじゃないですかね。風景というか借景っていうんですか、それ込みで作ってんだもの。今の街や部屋んなかには調和してないもんね。山をバックにみた鯉のぼりなんてもう


一種のドラッグ

ですよ(;'∀')。白昼夢みたいだもの。まあこれも午前中から山を歩いて、疲れと暑さでボーっとした山の中で見たからだと言われればそうですが、むかし鯉のぼりが現役だったころ(いつかは知らん)の人たちだってたぶんだいたいそうだったと思う。田吾作とか。

ほかにもたとえば和太鼓の音。アレ山の中で聞くとトリップします。ちょっと危険なくらいですが…いやこのお話はまた今度かきましょう。

とにかく今日のお昼を境に当方の意識は

鯉のぼり、超カッコイイ

に180度変わったのでありました(*‘∀‘)。
ではお粗末様でした(*- -)(*_ _)ペコリ


たくさんのサポートを戴いており、イラストももう一通り送ったような気がするので…どんなお礼がいいですかねえ?考え中(._.)