【いじめで自殺をする前に】47歳のおじさんからの提案【ちょっと待って!!】

俺ね、実は『いじめられっ子』でした。学校に行くのもイヤな毎日。机の中にカビの生えたパンとか入れられたり、上履きが隠されたり、机の椅子がなくなったり、椅子の裏に『死ね!』って書かれたり。

大人になった今でも思い出すのは、ちょっと勇気いるかなぁ。。。

今は結婚して四年目です。嫁さんとお互い40代で結婚したので、俺たち夫婦に子供はいません。

だけどね。

イジメが原因で『自殺』というニュースを見る度に、胸が締め付けられる想いがします。そして涙が出ます。嫁さんの前では泣きません。いつもトイレで泣いています。なんでだろうね?

それはね、いじめられた時の苦しさを知っているから。無視されたときの悲しさを知っているから。悪口を言われた時の悲しさを知っているから。そして『一人になった』時の寂しさを知っているから。

誰にも言えないよね。。俺も親には言えませんでした。

その時(時代)から、学校の先生はあてにならなかった。1回だけ相談したんだよ。そうしたら、先生はいじめっ子を何人か職員室に連れてきて、俺の前で、いじめっ子たちを叱ったんだ。それで『もう、いじめない』って、いじめっ子達に言わせて、無理やり俺と握手をさせたんだ。

次の日から、ますますイジメひどくなった。黒板にでっかく俺の名前と、仲の良かった女子生徒の名前が書いてあって、その上に相合い傘が書いてあったり。上履きに画びょうが入れてあったり。上履きが無くなったり。俺の中学は今みたいに給食がなくてさ、朝、学校に登校したら昼食用のパンを、自分で注文用紙に名前を書いて注文するパンのところに〇印を付けて合計金額を書いて、『お金を入れる箱』にお金をいれるのさ。家はじいちゃんとばあちゃんと母さんと父さんと妹の6人暮らし。4畳半の部屋と6畳の部屋と3畳の部屋で6人暮らし。今思うと狭かったなあ。。って思う。両親は共働きだったけど、父さんは働かない人だった。パチンコが好きで、よく夜に雨が降ったりするとパチンコ屋まで傘を届けに行った。そんな家だから、夕飯のおかずが『ハム1枚』なんて日がよくあった。人に言えないくらい貧乏だったのさ。私服や制服はみんなもらい物でさ。話は元に戻るんだけど、お昼になって売店のおばちゃんが.各クラスにパンの入った箱を持ってきてくれるんだけど、パンの箱に自分の注文したパンを取りに行ったら、無いんだ。お釣りのお金もパンも無いんだ。だから何回もお昼を食べずに空腹で過ごしたし、先生に言っても『また、おまえか。。』みたいな態度で、取り合ってくれなかったのさ。

中学の同じクラスに5、6人のグループで今で言えば『不良グループ』(俺はそうは思わなかったけど)があった。で、中学2年になったころ俺はその不良グループに入ったのさ。そうしたら、クラスみんなの俺に対する目が変わった。いじめっ子が来たら、その不良グループの誰かが俺を守ってくれた。だから、なんとか『いじめられっ子』から抜け出せた。
大人になってからも、その『不良グループ』とは暫く連絡のやりとりが続いてて結構仲は良かった。今は祖父母が亡くなるのと同時に一家離散状態になり俺も実家のあった場所から離れた場所に住んでいるので、元『不良グループ』の彼らとは疎遠になってしまったけど。

そして何とか公立の工業高校に合格することが出来て、通い始めた。
でも、また、そこで『いじめられっ子』になってしまった。

それは俺ん家が『貧乏』だったから。教科書以外は全部、先輩たちからの『もらい物』だったし、制服の裏地に苗字を刺しゅうする場所があるんだけど、俺の苗字と違う苗字が刺しゅうしてあったから、もらい物だって事がバレて、そこからイジメが始まった。でも、今度はちょっと違うんだ。家が貧乏じゃないヤツと貧乏なヤツの対立って感じで。
比率は貧乏じゃないヤツが8割、貧乏なヤツが2割。40人学級だったから、貧乏なヤツが8人で、貧乏じゃないヤツは32人。勝てる訳ないよね。

クラスの席順も、貧乏なヤツは前で、貧乏じゃないヤツは後ろだった。
で、後ろの席のヤツ(貧乏じゃないヤツ)が授業中に漫画を読んでても、居眠りをしても先生たちは注意をしなかった。事情を知らない先生は初めは注意してたけど、その度にそいつの親が学校に怒鳴り込んでくるので、学年全体で『黙認』のイジメが始まった。

俺たち貧乏人の『8人のグループ』は学校内で孤立した。
掃除の時間になれば俺たち『貧乏人のグループ』には雑巾が飛んできたし、チョークや黒板消しやホウキやチリトリ、エスカレートすると椅子や机も飛んできた。
担任にも相談したけど『うちのクラスに、そんなイジメはない!』の1点張り。その担任はあと2、3年で定年だった。違う先生にも相談したが答えは『うちの学校にイジメは存在しない!』だった。

俺は学校を信用するのをやめた。当時は『いのちの電話』があるのも知らなかったし、今から31年も前だったからスマホもなければケータイもない。親にも言えるはずなく、俺は学校に行かなくなった。朝、家を出るときは制服とカバンの姿で家を出て、駅のトイレで私服に着替えて、しばらくは公立の図書館に通った。帰りはその逆で私服から制服に着替える。

そして高1の夏休みから俺はアルバイトを始めた。大人に混じってのアルバイト。汗をかいて働いて『それがお金になる』ことを高1で初めて知った。夏休みが終わっても俺はバイトを続けた。港の倉庫街にあったけど、大きい工場で『バスの車体を造る会社』だった。毎日通って、大人に混じって働き、一緒にお昼を食べて、また一緒に働く。俺にとっては最高に居心地のいい場所だった。学校に行かないで毎日工場で働いているから、両親の収入より俺の稼いだ金が多い時が時々あった。春夏はバスの車体会社の工場で働き、秋冬は郵便局で郵便配達のアルバイトをした。日曜日以外は働いてたから両親の収入を超えるのは当然といえば当然だった。だから欲しいものはある程度買えたし(当時はソニーのウォークマンが流行っていた。一台当たりの定価は4万円、俺の当時のひと月の収入は16万円)、服や私物も新品を買うことが出来た。
高3の3月、俺は両親と共に高校の『進路指導室』に呼ばれた。前年の9月に俺は某自動車会社の就職試験を受け、10月には内定をもらっていた。そして『俺の欠席』は学校で黙認されていて、なぜか『出席扱い』になっていたのである。学校は『いじめのない学校』として教育委員会にアピールでもしたかったのだろう。

『進路指導室』に呼ばれた理由は、こうだった。
もう学校としては面倒が見切れない、このままだと留年扱いになり卒業できなくなり、某自動車会社からもらった内定も取り消しになる・・・との事。

仕方なく俺はバイトを辞め、毎日行きたくもない学校へと足を向けた。
案の定『貧乏人グループ』にはイジメが続いており、一人は学校を『病気』を理由に辞めていた。あと何日で卒業式。。。指折り数えてどれだけこの『卒業式』というものを待っていたことか。。。

『卒業式』を終えて、俺は泣いた。やっとイジメから解放される。。。自由を手にした気分は最高だった。

俺が学生の時から、こんな腐った学校制度だったから今はもっと腐ってる。
生徒の味方であるはずの先生が『イジメは無かったこと』にする。
そんな学校、行かなくていいよ。
そんな先生、信用しなくていいよ。
不登校と言われようが、引きこもりと言われようが、行かなくていい。
学校は行かなくていいから、『働く』とか『図書館で本を読む』とかで、新しい世界で、自分の居心地のいい場所で、『違う価値観』を見いだしたら、どうかと思うんだ。どうかな?

いつもと違う『行ったことのない街へ出かけてみる』のも一つの方法だし、そこで見つけた『新しいもの』は、きっと君へ『小さな幸せ』をくれる。
もし、その街が君にとって『居心地のいい場所』なら、そこが『君の第二の居場所』さ。イヤなことがあったり悲しいことがあったりしたら、その『君の第二の居場所』に行けばいい。
多分そこに君のことを知っている人はいないだろう。
だから、そこで思いっきり泣いて、叫んで、心の闇を洗い流せばいいと思うよ。

俺はそうやって生きてきました。それでも辛いこともあったけど、なんとか47歳という年まで生きてきました。押し付けるつもりはないけど、そういう生き方もあるってことを覚えてて欲しい。

あと、もし、ご両親や先生に口頭で相談できなければ、手紙を書いて渡すのも一つの方法だと思う。LINEとかSNSでイジメを受けている場合は履歴は消さないこと。そして日記をつけて自分の気持ちと出来事(例えば誰かから悪口を言われた、とか)を書いて残しておくこと。ある程度証拠が溜まってきたら『弁護士事務所』にスマホと日記などの証拠を持って行こう。

今は弁護士さんでも、熱心にイジメ問題に取り組んでらっしゃる方々が多数います。君の味方になってくれる人だよ。ちょっと面倒に思えるかもしれないけど、手続きのほとんどは弁護士さんがやってくれます。君をイジメた相手やその両親を『加害者』として法的に争うことができ、慰謝料や示談金を取ることもできます。もちろん、君をイジメた相手は苦しむことになる。

だから、生きるのを諦めることを少しだけ、先延ばしにしてみない?
そして本当に病気や老衰で最期の時を迎えたとき、『辛い時もあったけど、幸せだったなぁ。。。』って思ってみない?
俺はそういう子供たちが大人になって、『少しでも人生を楽しんで』生きていくことを望んでいます。『小さな幸せ』でもいいじゃないか。
それが積み重なって『大きな幸せ』になるんだよ。
そして少しでも『君らしい生き方』ができれば、それでいいと思うよ。

悩んでいるあなたに少しでも多くの幸せが舞い込みますように。


梅小路 大輔(うめこうじ だいすけ)


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