てんかん持ちの娘の話1 2004.9

昔書いていた娘のブログを再録します。古い話で今とは合致していない部分も多いかと思うので、日付を入れておきます。

初めまして。
中3の娘がおりまして。
で、3歳からてんかんの発作をおこし、現在も服薬中。
普通に小中と通ったのですが、中3になって進学どうしよう?
と、親が悩みました。
そんなこんなで、この1年、いろいろな事が起こりました。

知っている人は当たり前だろ!ってことでしょうが、
知らない人もいるかと思いまして、ぼちぼち
書いていきたいと思います。
よろしく、おつきあいくださいませ。

アレは娘が3歳の時。
一人遊びしていた、と思ったら、
意識を失っていた。
急いで救急車を呼んだ。
救急車だっていうのに、
回りの車がさっさとどかないでいて、
ものすごく腹を立てたのを覚えている。

病院では脳波とって「異常なし」
その日の内に帰る。
でもそれからも座っているとき、
寝てる時、
いつ発作を起こすか分からない状態が続いた。
脳波に異常が出たのは、
初めての発作から半年は過ぎてきた。

発作は結局何回も何回も起こった。
立っていて急に脱力して、ぐたっとなる発作。
それから、1年の内に、寝入りばな、と早朝起きがけに
痙攣を起こす発作も起こすようになった。
薬も数種類、うまく発作を抑えることができるようになるまで、
調整が続く。
ほとんど発作が起きなくなったのは、小4くらいか。
今でも、薬は絶対に欠かせない。

小学校は普通学級に入学。
って、特殊学級に入れることなんて、考えてもなかった。
そっちにしますか、と聞かれる事も無かったし。
小学生低学年の時は、個性的、と言われた。
頭良いってことはないけど、ま平均くらい。
どうも勉強できない、って思ったのは小4くらいから。
付きっきりで教えても、覚えられない。
特に算数の図形は大変だった。
三角定規を見て、30度の角と45度の角、
見た目がどっちが大きいか。
娘は理解できない。重ねて見せてもわからない。
最後は角度を分度器で測って、30と45という数字で
45が大きい、と言った。
当たりをつける、ってのが、できないんだ。
今ではそれでも生きていけるさ~なんて
思っているけど、その時は必死だった。
どうしてわからないんだ??と6時間くらい
付ききりで教えようとした。
無駄な努力だったけどね。

さて、中3にもなると、当然受験が気になる。
もっと早くから気にはなっていたけどね。
本人は良く言えば、無邪気
悪く言えば、幼稚
人の話をしっかり聞くのは苦手、自分が勝手に話すのは好き。
これじゃ、将来マズイだろう、とさすがの鈍い親も思った。
とりあえず、中学校の担任に相談。
コミュニケーションを取るのが苦手に思えるから、そういう訓練を受ける場所はないか、と聞いてみた。
担任は「養護教育センター」というのを教えてくれた。
そこに行って、相談してみては、というのだった。
養護、と言う言葉に出会った最初かもしれない。

養護教育センターへ行って来た。
状況を話したあと、
知能テストを受ける事に。
ウィスクテスト、という名前で。
問題数が多くて時間のかかるテストだ。
試験する人と娘は向かい合わせで座り、
出された問題を解いていく。
私は隣の部屋から、カメラに写る娘を見ている。

簡単な問題から、ちょっと難しい物まで。
ジグソーパズルみたいな物、
連想ゲームみたいな物。
頭の体操だな。
全然できない物はほとんど無い。
でも、全部できる物は一つもなかった。
結果は後日。
帰り道、本人に出来を聞いたら
ほとんでできた!と楽しかったそうだ。
親としてはなんとも複雑な心境だった。

さて、ウィスクテストの結果。
IQ60くらい。
言語能力は良くて、作業能力は低い。
要するに、口でカバーして生きてきたんだな、と。
できない事ばかり親は気にしてできるようにとがんばらせちゃうんだけど
それよりも、できる事を繰り返しやらせてほめて、その中で能力を伸ばしていった方がいい、と教えてもらった。
小4の能力は持っているから、実生活で生きていくのは問題ない。
(そうか、小4の能力で生きていけるのか・・・)

中学校で、どうしてもできない科目は、「数学」
でもこの話を聞いていて、数学をなんとか、って思うのは止めた。
無駄な努力だ。
それより、家の手伝いとか、片づけ方、話し方、など、実際に生きていくのに必要な事柄を意識して教えていこう、と思った。

高校は義務教育ではない。
だから、受験がある。
でも、養護学校の高等部は基本的に受験がない。
入りたいと要望すれば、入れるらしい。

だが、受験がある養護があると教えてもらった。
軽度の知的障害を持つ子供だけを高校3年間みっちり訓練して、
卒業後の就職をさせる、という学校だった。
就職率は100%だ、という。
受験資格は療育手帳を持っている事。
県立なので県内に住んでいて、自力通学できる事。
療育手帳申請したら、取れた。取れる状態の娘であったのか、と、
はっきり知らされた。そうか、やはり軽度の知的障害であったのか、と。
とにかく娘の進路が、闇の向こうに光が見えるように、はっきりと感じられた。「ここに入れよう」と。

9月下旬、高等養護学園の正式な入試書類が
中学校に送られてくるはずなんだけど。。。。
確認したが、届いてない。
どうも、特殊学級が無い学校は、学校側が養護関係で来ている書類を
関係ないと勘違いして、見逃す事があるらしいので、
改めて学校に申請してもらった。

数ヶ月で入試。
倍率の発表は11月頃、と聞いている。
どのくらいの人数が来るんだろう?
例年2倍くらいだと聞いているが。
つまり2人に1人は落ちる、っていうこと。
ポジティブに考えれば、2人に1人は受かる。
受かって欲しい。切実に。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?