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ダウンタウンの漫才の設定は「ベタ」

単刀直入に言えば、ダウンタウンの漫才の設定は「ベタ」です。誘拐とかクイズとか。だから、このカチカチの設定を柔らかくしていくのがポイントです。ただ、カチカチのものをグニャグニャにほぐすわけだから、支離滅裂なところの一歩手前まで行く。
 
そこまでいかないとほぐせない。だから、ダウンタウンの漫才は「シュール」とか「不条理」と言われるわけです。設定がベタなんだから、思い切ったことをする必要がある。彼らの漫才が「スローテンポ」になるのは、ちょっとややこしいからです。
 
「ハイスピード」でやったら訳が分からなくなる。観客に伝わらなくなる。だから「スローテンポ」になったと推測します。見た目は「古典」のぼてっとした装いですが、中味は細かく練り上げって感じでしょうか。ここが、ビートたけしさんが「進化だ」と語った、彼らの新しさです。
 
漫才づくりについて、松本人志が『放送室』で語ったことを引用してみましょう。これ、いつの放送なのかよくわかっていません。また調べます。

漫才はね、俺はあえて言えば、過去にあるようなオーソドックスな、たとえば誘拐犯とその誘拐された親の会話みたいなんを、普通ならどうするやろっていうのをまず考えて、もうベタベタなものをある程度ふぁーって考えて、それをどう配置をずらしていくというか、裏切っていくかっていう…。だから、その基盤自体がもう一応誘拐漫才なんで、ずらしていってんねんけど、そこをもっかいずらすっていうやり方を結構してたなぁ。

結局客は漫才イコールボケよるわけやから、医者と患者ってきたら、まぁこの医者がボケなんやろう、でどういうふうにボケていきよんねや?って、ある程度予想しよるから、あえて予想さしといて、全然ちゃうところに行くっていうやり方を一時期好んでやってたねぇ。

たとえば、うちのクイズネタっていうのは、あれはもう究極やと思う。やっぱ、いまだにそう思うねんね。で、あれを崩すことっていうのはできひんからね。あれを崩すということは、あれよりちょっと整ってまうからね、今度。だからもう、砕いて砕いて、粉末状態みたいになってもうてるから、あれをあれ以上崩すっていうことはもう不可能やから、今度組み立てなあかんことになる。組み立てるっていうことは、笑いの公式から言ったら、ちょっとこっちに、客のほうに戻ってまうから、もう不可能なんよな。

松本人志・高須光聖、『放送室』、放送日は不明

以上、松本さんの自作解説なんですが、なるほどなぁと思います。漫才の歴史をみてみると、おそらく「不条理ネタ」は、ダウンタウン以前にも少しはあっただろうと推定します。それと、ダウンタウンの漫才はどうちがうのか。
 
あくまでも仮説ですが、ひょっとすると、こうしたネタ自体は誰でも作れるのかもしれない。ただ、そこにもうひとつ「ひねり」が加わっている。それは松本さんが演じる人物の「キャラクター」なんだと思います。
 
誘拐犯とか、クイズの出題者とか、医者とか、ありきたりの設定のように見えて、かなり奇妙な人間なんですね。たとえば、他のコンビが不条理ネタをやったとしても、「なんか面白いこと言っているな」で終わるかもしれない。
 
でも、ダウンタウン・松本人志の場合は、「こいつなんや?」みたいな疑問とか、「なんかよくわからんけど、おもろいな」というキャラクターのキテレツさがにじみ出してきて、それが笑いにつながってる気がします。
 
このこと、もうちょっと詳しく述べたいです。では、また次回。(梅)

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