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女でいること

園芸のお店で、観葉植物用の土を買おうと物色していると、近くにいた初老の女性に話しかけられる。
私の身なりから、どうやら園芸に詳しい主婦と見られたらしい。

「この土だったら、花が咲くかしら?奥さんに教えてもらおうと思って」と。
さして園芸に詳しくもない私だが、女性が持つ土には『お花の土』と大きく書かれたパッケージだったので、ただ人と話したかっただけなのだろうと思う。
適度に受け答え、挨拶をして店を出た。
自宅に帰ってきてから、おもむろに泣いてしまう。
いつからこうなんだろう、と考えた。

現時点での私の年齢から、主婦と言われる事は全く違和感は無い。
ただ、私は昔から家事にくたびれた主婦のようなのだ。
中学時代、同級生に「疲れたお母さんみたい」と言われたが、的確な表現だと思う。
女でいることは、私にとって贅沢であり、到底叶わない夢であり、雲の上に眺めるだけの何かだった。

新社会人として、会社へ勤めるようになると、周りの男性陣からの扱いと自意識のギャップにかなり苦しんだ。
外見だけは、女性として成立していたのだ。
ただ、その後一人の男性社員から「あなたは彼氏を作るつもりがないだろう。そう見える。」と言われた事がある。要は、全く身なりに気を使っていない私を見かねて、そう言ってきたんだと今ならわかる。

女でいることが自分にはかなわないんだと思ったのは、小学生の頃。
クラスの女の子たちが、おしゃれに気を使い始め、女子の中でもカースト制が敷かれ始める。
とにかくお金を使う事を許されなかった家庭に育った私は、新しい服を買ってもらった事がほぼなく、カースト制度の外に一瞬にして身を置く事になった。それでも、遊ぶ友達が居たのは、道化役に徹する&目立たないように振る舞うという家庭で培ったスキルを学校でもフル活用していたからだった。
家庭内では女である事自体許される訳もなく、常に性を排除するよう努める日々だった。

気づけば、女でいることは私からすっかり遠のいていた。
中学・高校と周りの女子たちがメイクや美容に気を使い始める頃、私は入院したり体調を崩す母に代わって、家で料理をする機会が多くなり、1円でも安くつくようスーパーを巡り、食材を買いに走り回って居た。
学校終わりに高校制服で買い物に行き、袋から大根をのぞかせたまま、同級生とハチ合わせた時は、さすがに恥ずかしかった。
だが、その頃から私の自意識はあまり変わってない。
昭和な家庭に育った身としては、家庭を守るのが女の役割だと、家族に献身的に尽くすのは当然だと、高校時分はそう考えて居た。
母のトイレの介助と、オムツを変えた経験は、この頃だった。
病気になると、人は精神的に不安定になる。
ただでさえ、母の八つ当たりの対象にされてきた私はここでもはけ口になっていた。
なぜ、私がやらなければならないんだろう、という思いと、親の介護はこういうものなのだと10代の私は肌で理解した。

私は、女ではなく、臨時の戦闘要員であり、主婦代行であり、道化師であり、”いい子”だった。
そういう自分が今も垣間見える。

未だに、誰かが助けてくれると考えるのは難しいけれど、もっと穏やかに緩やかにたおやかに居られるようになりたい。
何より、女になりたい。
不惑も目前だけど、ね。

<ハナミズキ>
一見、咲き誇ってるように見えるハナミズキ。
あの薄っすら赤い部分は花びらではなく、実はガク。

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