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noteを書くという手段はいつしか目的に

ひっそりとnoteに現れて、ひっそりと投稿するのがここ最近の楽しみになりつつあります。

どうもこんばんは、umechiです。

他のSNSと違い、noteに訪れる方たちは活字から知見を得ようとする意志の強い方だったり、あるいは単純に活字中毒者だと思うのでnoteが読まれると大変嬉しい限りです。(umechi喜ぶ)

noteを読む専門だという方は是非書いてみてはいかがでしょうか。新たな発見があると思います。

新たな発見ってなんや?

私の場合、新たな発見はnoteを書くことが自己目的化していることです。

自己目的化とは、本来の目標を達成するための手段が目的にすり代わってしまうこと。

私の場合、目的は日常感じたささいなことを綴ることで、手段はnoteを書くことです。(目的は曖昧で怪しいところですが)

これが手段であるnoteを書くことが目的となってしまっている、今の状況がまさに「自己目的化」

高校生の時分に、自己目的化という言葉を現代文の授業で知りいつか使いたいと思っておりまして念願の夢が叶いました。


手段が目的に変わってしまい、本来の目標(あるいは目的)にそぐわない結果をまねくという基本的に悪い意味で、「自己目的化」は用いられます。

例えば簿記の資格を取るために勉強をしているAさんがいたとします。

そのAさんは本来簿記の資格を取るために勉強をしていたけれど、いつの間にか勉強をすることが目的となってしまった。

本来の簿記の資格を得るという目的が達成できていないから悪い意味で使われるのです。

しかしこれ悪い意味なのか?

「自己目的化」の本来の意味とは反するかもしれませんが、私は勝手に良い意味に変換して使おうと思います。

もし簿記の資格をだらだらと勉強するという意味ではあまりよろしくないのかもしれませんが、勉強が目的になったことは勉強が楽しかったということではないのかと。

勉強そのものを楽しいと思える心こそ大事にしたいと思うのです。


私に置き換えると、日常感じたささいなことをnoteに書くことで、今まで受け身だった姿勢が能動的に変わっているような気がします。気じゃなくて実際にそうなっています。

何かを考え感じたから書くのではなく、書くために日々をもっと丁寧に生きてみる。

noteを書こうという主体的な目的が日々の生活を豊かにするのでないか。

そんな風に思った今日でした。

noteありがとう。








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