ほとんどの人は先人の代用になって人生が終わる

唯一無二になりたいというのに、新しいことを嫌う。

これは人間の生命と関わっている。これだけ長年生きてこれた人間は、危険察知能力が備わっているのだ。新しいことは危険を伴う。例えば新種のキノコを食べたら死ぬかもしれない。でも新しいキノコを誰かが食べなければ、それが松茸で高級なきのこだとは誰も気づかぬままなのだ。それが高級でなくても、今までの品種が絶滅したら新しい品種、食物を探さなければならない。新しいことに触れることはリスクではあるもの必要なことだということが分かる。

新しいことを始めるリスクと、挑戦することの大切さ
これは便利でモノが豊かになった現代にはとてもハードルが上がっているように思う。例えば進路も就職する人がほとんどで、高卒で起業したり、大卒でフリーランスなど少し道を外れた行為と世間はみなす。自分がリスクを抱えているわけでもないのに安全なところから冷やかしのコメントをするのが今のSNSの問題にもなっている。

衣食住がそこそこ備わっていて、人間関係もそこそこ充実していて、そんなそこそこな人生からわざわざリスクを負ってまで抜け出したいと思わない人がそこそこいる。

そんな人にはなりたくないとか思ってたけど、そこそこの努力しかしてないから、そこそこの結果しか返ってこないのだ。過去の自分を悔やむ。

先ほど社会人の人がインタビューされていたのを盗み聞きしていたのだが、ほとんどのひとが過去にやってきたことを代わりにやって死んでいくといっていた。本当にそうだなと思った。新しいことを成し遂げるのに、周りの向かい風に立ち向かいながらやり続けられることがどんなに難しいことか。大人は夢をあきらめるけど、その難しさを分かっているからだろう。子供からしたらまだ何十年も生きるのに何を言ってるんだと思うけれど、賢さが理性を働かせてしまうのだ。

今でさえ、小さい子供が全力で大声をあげて友達を呼び、かけっこをしているのを見て今の自分にはできないと思う。嫌なことがあったら全力で泣き、大丈夫だと思ったらすぐに泣き止む素直さはもう持ち合わせていないのだ。

それでも大人が変わっていかなければ子供すら希望を失っていくのではないだろうか。大人になったらつまらない。生きる意味が見いだせない。という風になってしまうのではないか。もちろん責任とかあるかもしれないけど、できることが増えて、自由の幅が広がるのは圧倒的に大人だと思う。親が知っている世界でしか生きてこれなかった子供が外に出て情報を知り、自分で行動していく。失敗してもそれが思い出と経験になる。

新しいことをし続けるかっこいい大人になりたい。当たり前のことすらままならない今だし、誰よりもマイペースだけど、自分に生まれてきてよかった。周りの人をわくわくさせられる力をつけていきたい。

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