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結婚って、夫婦ってなんだろう?

「結婚はギャンブル」と言ったのはイチローだったかな。

わたしにとっては「結婚は学び」。

わたしがカフェを始めることになった理由に、夫の存在も大きく影響しているので、少し脱線して、今回は夫のことを書いてみようと思います。

出会い

5歳年下の「いい人」である夫と結婚したのは27歳のとき。

(現在は電気工事会社を経営しています)

出会った頃の夫は、高校卒業して3年目の21歳、会社員として真面目に働いていました。
でも、びっくりするぐらいの安月給で、夕飯はスーパーで夕方遅く、値引を待って買った30円コロッケ1個とか。
そんな生活してるのに、妹の就職祝いに、当時流行っていた消費者金融のATM(?)で10万借りて渡し、自分はずーっと利子だけ返し続けてるとか。(結婚するとき、わたしが精算しに行ったら16万になってた笑!利子返してるのに増えてる!)
自炊しないくせに浄水器の営業につかまり、30万のローンを組んじゃったりとか。(←「いい人」と「アホ」は紙一重)そんな状態のところをわたしに拾われました。

田舎育ちの夫は、「おつきあい=結婚」という感覚の持ち主で、当時26歳だったわたしの歳を気にしてくれて(余計なお世話だよっ)半年後には入籍。唯一持っていたらしい、しわしわくちゃくちゃの白のワイシャツにぺんぎん柄のネクタイしめて、わたしの実家へ挨拶しにきてくれました。

期待してないから喜びのハードルが低い

「よく結婚したね」といまだに夫がよく言うぐらい、当時の夫は何も持っていませんでした(借金付だったし笑)。

当時は3高(高収入、高身長、あと何だったかな?)という言葉が流行っていて、周りの人はそんな人と結婚して専業主婦になりたい、旦那さんに養ってもらいたい、という人が多かったような気がします。そんな中、「仕事ができるようになりたい」とか「知識を増やしたい」とかそんなことばかり思っていた血の気の多いわたしは、3高全滅の夫との結婚に全く迷いがない、ちょっと変わった女だったのかもしれません。

26歳で独立する機会が巡ってきたとき、家族もいるし…と躊躇する夫を「とりあえずやってみな!」と背中を蹴飛ばした、2人目臨月の妻。そして長男の誕生日は夫の会社の創立日となりました。(当時は個人事業主)

人生最大級の不安

生活が苦しくなったら、わたしも働けばいいし!と、自分の労働力をアテにしていたので、夫が独立しても、生活に余裕がなくても、大きな不安はありませんでした。

でも、人生で最大級の不安に襲われる機会がやってきました。長男が2歳のときに、突然の病で生死をさまよい、重度後遺症を持つことになったのです。歩くことも話すこともできなくなり、生活のすべてに介助が必要となりました。もちろん、わたしが働きに出るなんてことはほぼ不可能。

それでもまだ、長男のリハビリ先を探したり、民間療法なども積極的に通ったり、「長男をなんとかしたい!」という強い気持ちに支えられてがんばれていました。

幸せなはずの3人目誕生なのに

長男が年中さんまでは、療育園の親子通園で、フルタイム勤務なみの自由のなさだったのですが、ようやく親子分離ができるようになった年長さんのとき、次男を出産。幸せが増えた♪と思ったのは最初だけ。超多忙の夫は家には寝に帰ってくるだけの生活だし、長男の介護をしながら、新生児の次男のお世話というハードな生活で、全く自由がきかなくなったわたしは孤独感を深めていき、だんだん笑えなくなっていきました。

ある日、いつものように、左手で次男を授乳させながら、右手で長男の食事介助をしていると、涙がぽろぽろと流れていました。なにもかもいやになって「消えたい…」と思うようになりました。軽いうつ状態だったようです。

家庭以外の拠り所

今振り返ると、夫は夫で、事業を軌道にのせるために日々がんばっていたんだね、と思えるけど、当時は「何で助けてくれないの!!」と夫を責める日々。お互い、本当に余裕がなかったのです。

そもそも、核家族で子育てや介護を全部自分たちで抱え込むことに、無理があるなあと思います。サザエさんちみたいに主婦がふたりいればいいけど、そんな家庭のほうが今は少ないような気がします。

そんなときに、かけこみ寺的な場所があったらいいな~と漠然と考えたことがありました。それが紆余曲折を経て、今のカフェにつながることになります。

本気の気迫は相手をも変える

当時は「俺だって仕事がんばってるのに」という態度だった夫が、今は「仕事で時間がないからって家庭をないがしろにするのは、ただの言い訳」と優等生発言をしています。(←決して妻に脅されているわけではない)

「何で考え方変わったの?」と聞いたことがあります。

答えは「危機感を感じたから」

わたしが離婚に向けて黙々と、社会復帰したり、ヘルパーの資格を取りに行ったりする姿を見て、「これ、本気だ…やばい…」と思ったそう。

わたしのがんばる方向は、正しかったとは言えないけど、今だったら違う方法を考えるけど、でも、わたしの「本気」は夫が自分を変える大きなキッカケになったようです。


「違う」は自分の枠を広げるための学び

夫とわたしは、わりと正反対のタイプ。0か100か、で白黒はっきりつけたがるわたしに対して、ゆる~い夫。片づけは下手だけど(´Д`)すぐ物をなくすけど(´Д`)よくTシャツ前後ろに着てるけど(何なら前後ろ裏表)、でも、いつも機嫌がいいのです。

「正しい」を追い求めていたわたしはいつも生き辛さを感じていました。正反対の、わたし的には”ありえない”夫の感覚を少しづつ取り入れてみました。すると、なんということでしょう、なんだか生きやすいではありませんか。

ストレスとの折り合いをつけながら、少しづつ自分の枠を広げていくこと。そのことは、若かりし頃「いろんなことを受け入れられる大きな器を持った肝っ玉母ちゃんみたいな人になりたい」と言っていたわたしの人生の目標にリンクしています。


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