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幸せだなぁと思う話(ぼやき)

つくづく、私は幸せだなぁと思う。
日々生活を送る上で、「あ〜幸せだなぁ〜!」と思う瞬間は少ないけれど、落ち着いてゆっくりしている時間にここ数年を振り返ると、幸せだよなぁと思うのである。

私は22歳まで、"""薄らぼんやり不幸"""だった。
"確かに不幸"ではない理由は、私には仲の良い友達がいたり、家が裕福だったりするからだ。
友達もいない、家もあまり裕福ではなく、さらに虐待までされていたら私は自分の人生に"確かな不幸"を覚えていたと思うし、こんなに長く生きていなかったと思う。

ただ、私の人生を"""薄らぼんやり不幸"""にさせたのは、親、それから教員による暴力や暴言だ。
それらの辛さは実際に暴力を受けている時だけではなく、安全な場所にいても感じる。

「自分は他人に蔑ろにされる存在である」
という事実を一度認識してしまうと人は人を信じられなくなり、どこにいても不安がつきまとう。


家にいれば母親に怒鳴られる幻聴が聞こえる。「何もしてないのになんで怒鳴るの!!」と居間でテレビを観て笑っている母に聞いてキョトンとされたことがある。

目上の人を見ると必ず教員に蔑ろにされたり、嫌な扱いをされた時のことを思い出し、うまく言葉を話せなくなる。手がカタカタと震えてしまう。

勉強をしている最中に虐待がフラッシュバックし、目の前にある教科書が過去の映像にかき消され見えなくなり、泣きながら勉強していたこともある。

夜眠れば、嫌な記憶が再現された夢をみて、叫び、暴れながら目を覚ます。睡眠が怖くなった。

一度、自分という存在を傷つけられるともう元には戻れないのだ。
心は不可逆的であると思う。

かくして、22歳の私は病みを深めて、堕ちていき、目の前には死しかなく、死を見つめ、虚を見つめながら仕方なく寿命を伸ばしていた。
どうしようもない"うつ"に襲われて、食事はもちろん睡眠もできなくなり、生きているか死んでいるか、寝ているか起きているかがわからないまま生きていても、それに焦りを感じて病院に行っても、誰かに相談しても、私に救いの手は差し伸べられることはなかった。

虐待を受けていた時も、教員にひどいことを言われ、ありえない扱いをされていた時も、誰も助けてくれなかったし、どこにも救いはなかったので、「まぁ人生はこんなもんだよな。」と思っていたし、死のうと思った。

自傷行為や自殺未遂をしたことを優しい先生に報告し、適切な処置をとってもらえる人を羨みながら、「私は何をしようがどうせ助けてもらえないんだろうな。」と思いながら、「でも、本当は助けてほしい、一度でいいから"私"を見て、診てほしい。」と思いながら致死量のカフェインを摂取した。

本当は助けてもらいたいと思いながらも、もう2度と目が覚めることはないだろうという希望を胸に抱いて眠った。

そうしたら死にそびれた。希望が邪魔したのか、カフェインがきつすぎたのか、私が強すぎたのか定かではないが死にそびれた。

薄暗い部屋の中で、ポツポツと落ちる点滴を見ながら、「生かされている。」と思った。
今まで肉体的にも精神的にも助けてもらえなかった私が、今誰かに助けてもらっている。
「迷惑をかけて申し訳ないという気持ち」とそれから、「初めて助けてもらえたという気持ち」で胸の中がぐちゃぐちゃになった。

どこにいても疎まれる存在だったので、ここでも疎まれるのだろうとビクビクしていたら、そんなことはなく、高度救命センターで私と関わってくれた人は誰も私を悪く言わず、まっすぐ見つめてくれた。
それだけで救われた。
この時はまだまだ精神状態は良くなく、希死念慮もあり、ぼーっとして無反応になることもあったが自殺未遂前に比べてかなり心が穏やかになった。

その後、精神科の先生と話をした。
私みたいな人間を救っても意味ないので、入院にはならないと思っていた。

予想に反して私は入院になった。
閉鎖病棟への入院は少し嫌だったけど、でもそれ以上に護ってもらえている感じがして安心できた。
病棟の看護師さんにはなかなか心を開けなかったが、看護師さんも私が心を開かないのをわかってくれていて、それでもなお私に優しく話しかけてくれた。
私が勇気を出して、「一緒にお話がしたい。」というと嫌な顔ひとつせずに、「いいよ、一緒に話そう。」と言ってくれた。
時には日勤の時間帯が過ぎていても、話を聞いてくれた。

今までの人生でされなかったような扱いをされて、戸惑いつつ喜びを感じた。

そして先生は、退院した後も暮らしていけるように、区の自殺防止センターの担当の方と、それから訪問看護に繋げてくれた。

入院中にもその方たちと面談をしたが、退院してからも何度も面談をしたり話をした。
私が思っているより、人間は優しいのだなと思った。
特に、訪問看護の看護師さんはみんな本当に優しくて、週に1度、1時間お話をするだけでもすごく心が穏やかになったし、何より、何があっても受け止めてくれる人がいるということが安心感に繋がった。
実際に、私の調子が悪い時は病院にまで付き添ってくれたし、「一緒に頑張ろうね。」と言って手を握ってくれた。
「メールとか電話とかもしてほしい。もっと頼ってほしい。」と言われ、拒まれないかなと思いながら、メールで気持ちを打ち明けると、すぐに返事をしてくれ、会いにきてくれた。訪問が終わった後でも、メールで心配してくれたり気遣ってくれたりした。

訪問看護師さんにはもう本当にたくさん助けて貰った。頭が上がらない。

訪問看護師さんに助けてもらい、3月の下旬に私は再び閉鎖病棟に入院することになった。

一年ぶりの病棟だったが、懐かしいと思わなくて、まるで自分の居場所のように感じた。
しばらく人生を休戦することができる安心感が大きかった。

最初に担当してくれた看護師さんは、患者に接する感じではなく、どちらかというと友達に接する感じで話しかけてくれた。
閉鎖病棟では自分が"精神障害者"であるということを強く突きつけられ、健常者との隔たりを大きく感じるため、壁がない感じで話しかけてくれるのがすごく嬉しかった。
その看護師さんは異動でいなくなったので、一週間くらいしか関わることができなかったが、一緒に話したことや笑い合ったことはずっと心の奥に遺っている。

誰かが異動しようが入院生活は当たり前に続くので、今度は今いる他の看護師さんに話しかけてみようと思って、ほぼ毎日いろんな看護師さんとお話をした。

一年前は2人しかまともに話したことがなかったのに、今では話さなかった看護師さんの方が少なくなった。

そして話も、悩みや症状の相談だけではなく、アイドルの話や、好きなお洋服のブランドの話、漫画の話、友だちの話など、以前に比べて色々なことを話すことができるようになった。
楽しかった。

悩みを相談したら真剣に話を聞いてもらえて、そして悪いことは悪いと言ってもらえて、良いことはちゃんと褒めてもらえることがすごく嬉しかった。

2ヶ月の入院生活はもうすぐ終わり退院が見えてきた。
朝、部屋で眠っていると、よく私の相談に乗ってくれていた看護師さんが夜勤終わりにやってきて、大量のワークシートを私に見せ、「退院後、これからも生活していくためにできることを一緒に見つけていこう。」と言ってくれた。

本当に本当に嬉しかった。

2年前はあんなに絶望して、誰も救ってくれないと泣いていたのに、今私の目の前には私の話を聞いてくれて、私と向き合ってくれて、私を救ってくれる人がいる。
俄かには信じがたいことだが、現実である。

死のうと思って致死量のカフェインを摂ったあの日から確実に私の人生の風向きが変わろうとしている。
死のうと思ってとった行動がここまで未来を変えると思っていなくて不思議な気持ちになると共に、私は幸運だなと思う。

世の中には、私より少ない摂取量で脳死状態になった同い年の女の子もいるし、適切な支援に結びつくことのないまま、命を絶つことに成功してしまう人もいる。適切な支援に結びつくことができたとしても、それをなかなかうまく活かすことができず、絶望を深めて、この世からいなくなってしまう人もいる。

私は自殺が悪いことだとは思わない。
自殺は最悪な現実から確実に逃げることのできる唯一の手段であり、そこには絶望と絶望から逃げられる永遠の幸福があると思う。
ただ、自殺に失敗したあと、私のような幸せな世界線が待っている可能性だって少なからずあるわけで、完全に終わらせてしまうのは少し勿体無いような気がしてしまう。

これは自殺した先に幸せが待っていた人のただの戯言だが、でも本当にそう思う。

死にたいと思って死を選ぶ人が、死を選ぶ前に適切な支援にありつけること、それから死にそびれて生きてしまったとしても、そこからの人生の風向きが変わるといいな、と私は切に思う。

以上、私は幸せだなぁと思った話でした。

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