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再びカフェインでODをし、地獄を見た話

あれだけもう2度とやらないと思っていた、
急性カフェイン中毒狙いの自殺企図を再びしてしまい、またしても地獄をみた。

前回のように無様に助かりたくない一心で、
人気のない場所で薬を致死量以上飲み、
薬が効くまでしばらく地べたに座っていた。

次の瞬間、忘れもしない。
地面に倒れ、血を吐く私がいた。
網膜を彩る赤をじっと見つめて、「あー、3年ぶりに吐血してしまった」などと、ぼんやり考える私がいた。

どのくらい時間が経ったのかもわからない。

視界も頭も真っ暗な中、全く知らないどこの誰かもわからない人に手を握られた。

その手を一生懸命握りかえしたら「よかった。」と言われ、ただそれだけのことなのに、何故か泣きそうになると同時に、やっぱり私は死んだ方が良いと強く思い、見知らぬ女性に「(生きていて)ごめんなさい。」と謝罪すると、「謝らないで。」と言われ、もう八方塞がりだった。

本当に、本気で死を決意し、死に酔いしれて、
陶酔して、「死より私を温めてくれるものはない」と硬く信じていたので、他の人間の体温や温もりなどその時の私は微塵も感じることができなかったのだが、あとで他人に"物理的"に触れて「ああ、人間って温かい。」としみじみ思った。

そして他人が温かいのと同時に"私も生きて熱を持っているのだな"と(哀しくも)実感した。

前回の反省を踏まえ、1番迷惑をかけない死に方をする予定だったのだが、気がつけば助かっており、広くて無機質なERにたどり着いていた。

景色はよくわからなかったが、沢山人がいたこと、病院であるということは解った。

少しでも動きや刺激を与えるたびに吐く私に、
たくさんの袋が当てられ、呼吸ができず、
激しく震える身体には、酸素マスクとタオルがかけられていて、
「ああこれからどうなるのだろう」と絶望していると、
「いまから集中治療室にいくからね。」と伝えられ、この"苦しみに塗れた現実"が一体いつまで続くのか想像もつかず、気が狂いそうになった。

今までも長くて長くて反吐が出るくらい悠久で仕方がなかった"時間"がこれからも続いていくことを実感し、本当に死にたくて仕方がなかった。

そしてこの時、"天国も地獄もこの世に存在する"と悟った。


-

いつ着いたのかはわからないが、集中治療室に着いた時、私は再び服を脱がされ、全裸で、身体を拭かれ、髪も洗われていた。
そしてその光景を色々な人が見ていて、
目の前の現実がとてもじゃないけど現実だと認識できなかった。

耐えず口からこぼれてくる唾液や、胃液、胆汁が酸素マスクに溜まって息ができなかった。
陸地で溺れた。
もうこの死に方でいい、このまま吐瀉物で溺れ死んでいい、そう思っていると、必ず誰かが顔を綺麗に拭いてくれて、申し訳なくて涙が出そうになった。

辛い死に方であるということもわかっていた。
迷惑をかけるかもしれないということもわかっていた。
死ぬほど苦しいということも知っていた。

しかし、私には「必ず死ねる」という根拠のない自信があった。

自信があったので、迷惑をかける頃にはもうこの世からいないだろう!と予想していたのに、
死ぬことは生きることよりもずっとずっと難しく、思えばインフルエンザにも、コロナにも罹ったことがないし、そもそも風邪すら引かない私が私を殺すことなど不可能なのだ、と思い直した。


死ぬことも生きることも人間の権利だと思うのだが、「死ぬ権利」が簡単に与えられないのは如何なものかと思う。

集中治療室にはほかに患者がほとんどおらず、
いても入室してすぐに目を覚まし、ご飯食べて退室する人ばかりで、その人たちは
「生き残ることができて嬉しいのだろうか?」
「先生も看護師さんも私ではなく、その人を助けたかっただろうな。」などと、
ずっと鳴り響くモニターの音と、それから機械音になった自分の鼓動の音、たまに飛んでしまう鼓動の音をBGMに、薬の作用で一睡もできない頭でぐるぐると考えていた。


私が、隣のあなたのように、
「目が覚めてよかった。生きていてよかった。
助けてくれてありがとう。」といったまっすぐな感謝や、生に対して純粋な気持ちを抱くことができていたら、どんなに人生が美しかっただろう。

もちろん助けていただいたことは、ありがたいことなので、とても感謝している。
前回と違い、今回は声を出せたので、「感謝」も「ごめんなさい」もたくさん伝えられた。

それでも、色々考えてしまう。


横にいた人とはベッドのカーテン以上に、
"望まれて生きている人""望まれもしない上に死にそびれて迷惑をかけている人"という隔たりを感じてしまった。

が故に、頭や胸が締め付けられて、砕けてしまうような苦しみに襲われて、何度も過呼吸になった。

1年前までは歯学部の学生で、それなりに勉強もしていたため、過呼吸がどういったものなのかはたくさん勉強していたのだが、
いざ、自分の身に降りかかってくると、
どう対処したら良いのかもわからず、冷静さも失い、そんなに息を吸わなくても問題ないのに、何度も何度も何度も何度も必死に息を吸った。

私の呼吸が乱れて、声を上げるたびに看護師さんや先生がすぐに現れて、「大丈夫だよ。」と落ち着かせてくれたのだが、何故か余計に申し訳なくなり、ぐちゃぐちゃなまま謝り続けた。


さらには、放棄した時間が再び自分に流れてくるという現実があまりにも苦痛で、「苦しい、辛い。助けて。ごめんなさい。」と言う声がずっと漏れた。

この場にいる人全員が私をどうすることもできず、(対症療法的なことはできるが根本的な解決はできない)
私ですら私をどうすることもできないのに、
かつての私の切実な願い通り意識がちぎれるわけでもなく、ずっと現実は今、ここに存る訳で、
どうして私は普通の人が毎日向き合っている"現実"というものが、こんなにも重く、そして耐え難いのだろうと考え、さらにしんどくなった。

苦しいと泣けば担当の看護師さんがずっと手を握ってくれたり、担当じゃない知らない看護師さんも、私が眠るまでずっと肩や胸を撫で続けてくれて、それがこの病室での「唯一の安心感」「唯一の救い」だった。感謝してもしきれない。


私は、睡眠薬を飲んでも、抗うつ薬を飲んでも、抗不安薬を飲んでも、抗精神病薬を飲んでも、
うまく眠れないし、憂鬱な気持ちのままだし、
明日が来るのが本当に怖くて過呼吸になってしまうし、毎日が苦痛で仕方なかったのに、
そんな私を見て、
「大丈夫だよ、かならず眠れる、ゆっくり息をして。そう、大丈夫。寝るまでずっとここにいるから。寝たらきっと楽になるから大丈夫。」
と言ってもらえて、眠りにつくまで本当にずっとそばにいてもらえて、ICUでの3日間の生活のうち数時間だけ眠れた時は、本当に嬉しかったし、
人間に戻れたような気がした。

あれだけ死に陶酔して、死に恍惚さえも感じていたのに結局、人間のあたたかさに引き戻されてしまった。

結局人は他人の力なしでは生きられないということを悟ったし、その反面、人を殺すのもまた人であるという事実を改めて突きつけられた。

今日も、明日も、明後日も、どうやら天国も地獄も私を受け入れてくれなくて、現実という地獄で、息を吸って吐いて、生活や人生を営んでいかなければならないのだが、どうせ生きるならぬくもりにまみれて、とびきり幸せに生きていきたい、そう思った。


(2024年 7月 改変)

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