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不屈と私。

こんばんは。
今日はまだGWなのか昨日でGWは終わったのか…
よくわからない週末ですね。
いかがお過ごしですか?

ちなみに私は1日仕事でした。
残業でした。
GWは休みでしたが休日出勤しました。
相変わらず社畜継続中です。

デッサン練習もなんとか継続できています。
仕事から帰ってきてどっと疲れます。

まぶたが重くうとうとしながら、または30分ほど仮眠をとったりしながら、デッサンの本を模写しています。
デッサンの練習だけで終わって自分の絵が描けない日が続きました。
そんな状態で模写をするので描いたものは形が崩れたりしています。

こんな練習、やる意味があるのだろうか…。
ただ作業になっていて全然上達にはつながっていないのではないか…。
そんなことを考えながら、自分の創作が全然手につかずイライラすることもありました。

でも「これはこの練習を習慣にするためだ」と思い直し、
夜な夜なうとうとしながらデッサンの練習をしています。

ある日、こんな言葉を目にしました。

「がんばっていれば、いつか報われる。
 持ち続ければ、夢はかなう。

 そんなのは幻想だ。

 たいてい、努力は報われない。
 たいてい、正義は勝てやしない。
 たいてい、夢はかなわない。

 そんなこと、現実の世の中ではよくあることだ。

 けれど、それがどうした?

 スタートはそこからだ。

 新しいことをやれば、必ずしくじる。
 腹が立つ。
 だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。

 さあ、きのうまでの自分を超えろ。

 負けるもんか」

この言葉、10年ほど前のホンダのCMです。
「さあ、きのうまでの自分を超えろ」のあとに
「さあ、きのうまでのHondaを超えろ」が入ります。

CMがとても心に響きました。
このキャッチコピーも朗読の声もバックサウンドも映像も。

ただし、食う時間は惜しんで作業できるけど、寝る時間を惜しんでやったら不調に陥ってしまうので睡眠時間は確保しましょう。

今の私の背中を押してくれる言葉に思えて涙が出ました。

―努力は報われない。
 夢はかなわない。
 けれど、それがどうした?
 スタートはそこからだ。

―新しいことをやれば必ずしくじる。
 腹が立つ。

まさに今の私だ。
努力したって神絵師のような画力は手に入らないかもしれない。
くたくたになってデッサン練習したって無駄かもしれない。
だからなんだ?
やってみなくちゃわからない。
新しいことに挑戦しているのだからすぐに結果がでるわけない。

評価されている人たちはみんな血の滲むような努力をしてきているのだ。
そういう人達に近づこうとしているのだから楽なはずがないのだ。

出来ないことに腹が立つ。
腹が立つのは頑張っているからだ。
上達は継続とトライ&エラーの積み重ねなのだ。

絵描きさんと創作や画力についての情報交換をしたいと思っていたのですが、以前SNSで知り合ってやりとりをしていた絵師さんは絵も漫画もとてもお上手で向上心もあって創作について語りたい!という人だったのにもかかわらず、あまり私とは創作について話してくれませんでした。

「楽しく描ければそれで幸せじゃないですか」「絵は上手下手は関係なくて大切なのは人柄です」なんて返されて、なんとなく腑に落ちない気持ちでそのまま縁遠くなってしまったのですが、その言葉の真意が私の創作が稚拙すぎてその方の相手にならなかったからだと気づいた時、とても恥ずかしくて情けない気持ちになりました。

自分の実力が未熟すぎると、言葉で直接言われなくてもこうして態度で示される(相手にされない)のですね。
フォローしていいねしたりRTしたりコメントしてもフォロバされないとか、相手に反応を示しても自作は絶対に反応してくれなかったりとか。

そういう見返りが目的でフォローしたり反応していたわけではなかったので気にしていなかったのですけど、上手ければフォロバするし反応もしているのを知っていろいろと察しました。

これって至極当然の反応だと思うのでそれは仕方ないと思っています。
今は他人の評価を気にするより、上手くなることに心血を注ぐべきだと思っています。

「絶対に上手くなってやる」という気持ちです。
上手くなって自分が描きたいものを描けるようになりたい。それだけです。

「プロじゃないんだから。それでお金もらっているわけじゃないし」「趣味なんだから」と別なスポーツの趣味に打ちこんでいた時にもよく言われてきましたけど、私は常にやるからには上を目指したいと思ってきました。
けれど上には上がいる、後から始めた人にあっという間に差をつけられる。

たくさん悔しい思いをしたし人知れず泣いたり落ち込んだり、どうしたら結果を出せるか考えて試行して私なりに頑張ってきました。

創作もまさにそうで、私は凡人の能力しかないので努力するしかないんですよね。

こんな風に描きたいと思う絵柄を模写してみると必ずズレがあります。
輪郭だったり目の位置だったり。
バランスが悪いから似ていないのですよね。

小さい頃に漫画やアニメを模写していた時、なんとなく似ていればそれで満足してそのまま流してきたように思います。
ほとんど線が重なるくらいまで模写することが必要だったのではないかと今になって思います。
どこか自分に甘かったんですね。

デッサンの勉強なんかしなくても人体の知識がなくても、今は3Dデッサン人形の素体や頭部の素材をうまくつかって絵を描いた方が絶対に見栄えもバランスも良く描けると思います。

だから自分の拙い画力で一生懸命時間をかけて描いたバランスの崩れた絵や骨折絵をSNSでアップしても一瞬でスルーされてしまうんですよね。

か〇げ先生が言っていました。
「色が汚くて顔が悪いとまず絵として認識されない」「(SNSにアップするだけで)まず見てもらえると思っているのが大間違い。見てもらえないから」「神絵師の絵に似ているから、いいねやRTされる」

描くことを楽しむだけなら3Dデッサン人形やフリー素材をトレスして描いたら充分上手く描けるし、それでいいと思います。

今の私の絵や漫画では評価がほとんどつきません。
3Dデッサン人形や素材を駆使して描いたら評価が今よりはたくさんもらえるようになるかもしれません。

ですが画力が未熟な人が3Dデッサン人形をなぞって描いた絵は見る人が見たらわかると思います。
そう思う出来事がありました。

私はそんな3Dデッサン人形をトレスしてたくさん評価をもらうくらいなら、自分の実力で描いた絵が評価されない方がよほどマシだと思いました。

己の努力で得た評価で私は喜びたい。

3Dデッサン人形を利用して描いている人達のことを否定するつもりはありません。
むしろ私の方が時代遅れの考えなのかもしれません。

自ジャンルの神絵師や神絵師を大絶賛していた人達、私を相手にしてくれなかった人達に私の存在を認知させたい。
そのためには3Dデッサン人形を使って絵を描いているんじゃ土俵にすら上がれないんです。

負けるもんか。

絶対に上手くなってやる。

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