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大人と私。

こんにちは。
紫陽花の季節になりましたね。
梅雨がくるよー。
っていうかもう1年の半分が過ぎましたよ!!!!はや!!

4月から5月は結構頑張って創作に精をだしていました。

椎名林檎さんの曲「人生は夢だらけ」の歌詞

“大人になってまで胸を焦がして
ときめいたり 傷ついたり 慌ててばっかり”
この世にあってほしい物を作るよ”

“こんな時代じゃあ手間暇掛けようが
掛けなかろうが 終いには一緒くた
きっと違いの分かる人は居ます
そう信じて丁寧に拵えて居ましょう”

この曲を聞きながら
これって私の創作活動でもいえることだなと思いました。

大人になっても他人と比べて落ち込んだり、
他者からの反応や評価に一喜一憂したり、
自分の努力の不甲斐なさに悔しがったり。

自分が見たい読みたいと思うものを自分で創りたくなる。
時間と情熱を注いで出来上がったものは自分だけではなく、他の人にも見てもらいたいし、見てもらったら誰かの心に刺さってほしい。
その人が一人でも充分嬉しい。
さらにたくさんの人に見てもらって「いいよね」って言ってもらえたら。

それまでコツコツと創作してきた自分の存在ごと認めてもらえたようで嬉しい。
…みたいな気持ちで私は創作しているんですが、他の創作者さんはどうなんだろう。

前回のnoteで私にもメッセージや反応がもらえた!嬉しい!みたいな喜びを綴っていたのですが、あれから少しずつまわりの反応やフォロワーさんが増えて…
みたいなこともなく日々コツコツと絵を描いて過ごしています。

ただ4月から5月は冒頭にも書いたとおり、描きたいものを少しでも多く描いていこうと思ってふだんのペースよりも更新頻度を高めで創作していました。
以前はXに週に1度くらい絵を上げていたのを2,3日に1枚くらい上げていました。
更新頻度が多くなればフォロワーさんも増えるかな?という淡い期待も途中から芽生えてきましたがフォロワーさんはまったく増えず、逆に以前より反応も減ってしまいました…。

なぜだ…。
相互さんの反応すらもらえないこともあったりして、投稿する時間帯の問題なのかXのアルゴリズムの変更による弊害なのか…なんて思い悩んで調べたりしましたが、結局のところ私の画力がまだまだ稚拙だからだろうという結論に達しました。

たくさん創作をするということは、その分今まで練習に割いてきた時間を減らしたということです。
基礎練習は正直つまらないし成長の実感もしないため、おろそかになっていました。
ただでさえ練習する時間すらままならない日々を過ごしているのに、基礎練習をろくにせずに自分絵ばかり描いていたら、いくら資料を見て描いていても今まで以上の絵なんて描けないのですよね。

同じような構図、同じような角度、同じような色塗り、マンネリした絵しか生産できない。
観察力も衰えてデッサン狂いにも気付かない。
それじゃ魅力のある絵を描けるようにはなるわけがない。

フォロワー数も反応数も私が期待するほどもらえないのも当然なのだろうと思います。

下手な絵がTLに流れてきても第三者には目に入れてもらえないのですから。
相互さんが応援あるいはお付き合いで反応してもらえるだけありがたいのかもしれないですね。

私だっておすすめTLに流れてくる絵はほとんど万フォロワー抱えるプロレベルの絵師さんのイラストばかりです。
私もいいね、RP、ブクマしたくなるのはそういう上手い魅力的な作品です。
わが身を嘆いて他者は選別しているなんて身勝手極まりないですね。

少し前に絵描きの相互さんとお話したのですが、
「私たちは画力の向上に努めているけれど、純粋にその原作が好きだったり絵を描くことを楽しんでいる人がいて、そういう人達は自分や他人の創作に対して上手い下手という考えがない。そういう人たちがいることを考慮しないといけないね」と言われてハッとなりました。

世の中の絵を描く人がすべて上手くなりたいわけではない、絵で稼ぎたい、プロになりたいなんていう気持ちでいるわけではない。
私のモノサシで他人の創作を判断してはいけないのだなと気付かされました。

SNSは玉石混交でよくいえばすべてに平等であるけれど、プロもアマも初心者も同じ土俵に立っているんですよね。

私はSNSに創作を公開している限りは何かしらの承認欲求があって、それはきっとみんなあわよくば有名になりたい、それでできたらお金を稼ぎたい、と思っている人が大多数だと考えていました。
「大多数」というのが私にとっていつの間にか「みんなが」に置き換えられていたのですね。
視野が狭くなっていたなと反省しました。

1年前の私は絶望の中にいてすぐにでも上手くなりたくて必死だったなと思い出しました。

気持ちをこめて描いていたら上手くなれる伝わるはずと思っていた私。
相互の字書きさんからも描いた絵を褒めてもらえて真に受けていた。

神絵師はそのマイナージャンル作品にハマった当初、情熱のまま描きまくっており絵がプロレベルで毎日絵や漫画が更新され萌え語りも頻繁にしていたから、どんどん拡散されてそのジャンルを知る人も知らない人まで神絵師のとりこになってフォロワー数が爆発的に増えていった。

そのマイナージャンルで長年活動していた相互さん達が「(神絵師の解釈や人物絵が)理想だ」「ずっと求めていた」と大絶賛して喜んでいた姿をみて、私は自分から繋がらない限りは相互さんに見つけてもらえなかったし、繋がってからも私の創作には一切反応がなかった現実を知ることになった。

神絵師のことを分析してみると、その当時ハマったとはいえメディア化した方の作品から入ってきて、原作はほとんど履修していないようだったから解釈は浅かったし、みんなが好む内容の腐向け展開で創作していた。

神絵師がうわべだけで推しキャラを知った風に語ることで、それを喜んで褒め称えるまわりの人達が許せなかったのだと思う。

そのキャラはそんな性格じゃないし、そんな薄っぺらい存在なんかじゃない!!
そう叫びたかった。
エロしか興味ないならそのキャラでいる必要なんかなかったんじゃないのか、といいたかった。
キャラの崩壊した内容のないR18同人誌を喜んでいる人達がバカだと思った。

もちろん誰にもこんなこと言えない。
創作も解釈も自由だから。

嫌というほどたたきつけられた現実。
上手さが全て。
上手さが正義なのだ、と。

私の創作はその神絵師より愛情をこめていようが原作を汲み取っていようが下手だから見向きもされなかった。
「このジャンルで描いてくれる人を待っていた」と神絵師に沢山の人がリプしていた。
私は存在すら認知されていなかった。

あれから1年…。
神絵師はとっくにジャンル移動しました。
思い出したようにTLをのぞきにいくと、定期的に前ジャンル(私の創作しているジャンル)の自分の過去創作をRPしたりしていますが。
記念日には思い出したように前ジャンルのキャラ絵を描いてアップしていましたが、もうその神絵師の描くキャラは(私にとって)魅力もない別人になっていてそれはそれでガッカリしました。
記念日に新規絵を描いていただけマシで、先日の別なイベント日には1年前の絵をRPしてお茶を濁していたので戻ってくることはないなと思いました。

私はというと、いまだにほとんど見向きもされない底辺絵描きで、SNSで閑古鳥がないているような状態でちびちびと創作しています。

私は自分の描く絵は下手だけど目が肥えたので、神絵師の絵を今になって見返してみると確かに今でもとても上手いのだけど、当時の衝撃ほどはないなと思います。
ジャンル移動もして関係ない(元から関係ないけど)神絵師個人にどうこう思うことはないのだけれど、私の心の中には当時の神絵師がまだ強烈に残っていて、当時の神絵師の創作を越えたいと思っています。

当時神絵師を大絶賛していた相互さんやまわりの人達を見返してやりたい。
風月さんの描くこの人こそが理想だと言わしめたい。
なんてことを1年たっても根に持って未だに思っているわけです。
まだまだ囚われていますね。

今の私に出来ることは絵の基礎練習をなるべくサボらず続けることと、丁寧に描くことくらいです。
きっといつか私の創作が心に届く人がいると信じて。

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