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星逢に寄せて。

七夕と聞くと、無性に思い出す作品がある。
2015年、宝塚歌劇雪組公演、『星逢一夜』。
上田久美子氏の演出の下、早霧せいなさん、咲妃みゆさんのトップコンビで上演された、宝塚の中では「日本物」に分類されるミュージカルだ。

作品紹介 | 雪組公演 『星逢一夜(ほしあいひとよ)』『La Esmeralda(ラ エスメラルダ)』 | 宝塚歌劇公式ホームページ (hankyu.co.jp)

あらすじについては、私がここに長々と綴るより、↑の公式HPをご覧いただいた方がずっと分かりやすいと思うのだが…藩主の息子・紀之介と、村の娘・泉との恋と別れが描かれる、とにかく全身の水分を涙として持っていかれる作品である。(私は残念ながら映像でしか観たことがないが、それでも毎回泣いている)

子ども時代に見た星。

江戸時代中期、九州の山の中にある架空の藩、三日月藩。藩主の息子である天野紀之介と、村の子どもである泉や源太は、山の中で星を見上げながら立場を超えた友情を深めていく。その友情はやがて、泉から紀之介への恋心、源太から泉への恋心として形をなすことになる。

ここからは、私の話。
おそれ多くも己をヒロインである泉の場所に置いたとき、「あぁ、私にとってはこの人が紀之介だった」と思い出せる人がいる。

片田舎の中学生だった私に、この世の中には私の知らない広い世界があると教えてくれた人。そして、泉の言葉を借りるなら、「いつか幸せになれる」と言ってくれた人。
当時、家庭が少しごたごたしていて、ここではないどこかの存在を渇望していた私にとって、その人の存在そのものが星みたいな感覚だった。そして、まだ12歳だった私は、その可能性の眩さを無邪気にも信じていた。

しかし、そんな日々は、突然終わりを告げる。
紀之介は兄の死により、九州を離れ、江戸で将軍に仕えることになった。
泉は動揺しつつも、「もっと星がよく見える場所に行ける」と、紀之介を送り出す。
その別れの光景に覚えがありすぎて、心の底のほうが苦しい。

本当は、そんな日が来ることなんてはじめから分かっていたのだ。
私の行ったことのない国からやって来たその人が、私と同じ場所で一生を過ごすなんて、あってはならないとさえ思っていた。(電車に揺られながら本気でそんなことを考えていた中学生の私、今思い返すとちょっと怖い)
だから、いつかそんな日が来たら、泉のように笑顔で送り出そう、と思っていた。

でも、いくら物語に没入していても、実際自分事になると話は別で。
紀之介も泉もとんでもなく大人だったなぁ、と思い知ることになった。
今の時代はLINEがあってよかった、とも。笑

大人になること。

そして7年の時を経て、紀之介と泉は再会する。泉は源太と結婚することが決まっていた。
その後の2人の関係性、そして、紀之介と源太との関係性がまた大号泣必至なのだが、その全てを綴るには私の人生経験は浅すぎるので、またの機会に。(観ていただくのが1番なので!!!)
結局泉は、紀之介の言う「もっと星がよく見えるところ」に行くことはない。
クライマックス、かつてよく遊んだ星見の櫓の上で、紀之介は泉に「一緒に海の向こうまで行くか」と問う。けれど、母となった泉はもう、その言葉には頷かない。

中高生の私は、「行ってしまえばいいのに!」と思っていた。きっと少女の泉ならそうしたんだと思う。高校生のとき、教室で「留学するんだ」と言われた私が、海外への渡航費っていくらなんだろう…?と頭の中でぐるぐる考えていたように。
でも、20歳を過ぎた今、そうだよね、一緒には行けないのよね、という気持ちが、ほんの少し分かるようになってしまった気がする。一緒に行けない、ということが、その場所で育んできた泉の人生の誇りであること。
そして、彼女が自分の人生に誇りを持てるようになったきっかけは、紛れもなく目の前にいる紀之介であることが、私自身の経験として痛いほど分かってしまうから。ならば、お互いの星の下に、人生を全うしていくしかないのだ。

年に一度の星逢の日。
この物語を生み出してくださった方々と、私にその価値を身をもって教えてくれた人に、感傷を捧げたくなってしまう夜だった。