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教壇に立つということ

おはようございます。

せっかくの夏休み。新幹線移動の合間に、徒然なるままに考えを書き留め、残しておこうかなと思います。

教員になって約3ヵ月が経ちました。

たった3ヶ月ですが、密度の濃い3ヵ月でした。
失敗も挫折も経験して、
生徒に救われる、
そんな毎日です。

新任だからとか新卒だからとか、
生徒にとってはそんなのは関係無く全員「先生」だと思っています。
これを意識しながら、最初の勤務日に背筋を伸ばして出勤したことを覚えています。
研修期間とか、試用期間とか、生徒はそんなの知らないですもんね。

また教員は、教壇に立つという意味では毎年同じことを繰り返します。
しかし生徒にとってはたった一回きりの学生生活です。
全ての出会いを大切に、新鮮さを忘れずに、何事にも全力で、をモットーに、教壇に立つことを意識しています。

一応新任なりに、色々考えて、自分なりの未来のビジョンを描きながら教員生活が始まりました。

教員って不思議ですよね。

ついこの間まで、あんなに焦がれ、教壇に立ちたいと思い足掻いてきたので、
採用されたらあっさり教壇に立ててしまいます。
毎日授業ができるんです。

なんというか…
10年片想いをこじらせてきたのに、
告白すると意外とあっさり付き合うことになって、
大好きだった人が身近にいることに不思議だな〜と、思う感覚?笑

でも、不思議と飽きないんですよね。
毎回授業に行くたびにわくわくします。
10年片想いこじらせただけありますよね笑

ただ、がむしゃらに教員を目指して来た頃の情熱の温度感を維持するのは、とても大切だと実感しています。
憧れていた人と仲良くなれたからといって、それに満足してしまうのは、私は違うと思います。

好きな人とお付き合いできたら自分磨きをするのと同様、
せっかく教員になれたんだから、全力で取り組みたいし、よりよい授業、よりよい生徒との関わり方を目指したいと思っています。

ただ、「よりよいものを」目指すって、凄く労力を使うんですよね。
心も身体も頭も擦りきれそうになります。
理想と現実のギャップに毎日抉られているような気分。

GW前後、これに苛まれました。
思ったようにできないと生徒に申し訳なくて
生徒の反応が芳しくないと、発問や働きかけ失敗したなと反省して
生徒の状況に気付いてあげられない自分に落ち込んで
改めて、今まで出会った先生方の凄さを痛感しました。

こんな時期に、ある生徒(Aさん)に、最近の授業どうかな?と声をかけました。すると、こんな答えが返ってきました。

「先生の授業面白いってみんな言ってるよ。普通に面白いよ。私は漢字苦手だから、歴史は漢字だけは無理だけど。」
「そうそう、今日欠席だけど、Bくんも先生の授業は面白いからちゃんとやるって言ってるよ。授業中に関係ないアニメの話してた時に、先生今は違うよーって言ったじゃん?でもその後、そのアニメ面白いけどね!今度そのアニメに関係あるとこ授業しようか!って言ったじゃん?あれがBくん的には嬉しかったらしいよー」

Bくんは、私的には出来るのにやらない子というイメージ。こういう子がやりたくなる授業を目指してるうちに頭がこんがらがっていました。
ちょうど生徒を観察して、授業を作っては壊していた時期だったので、この時もその子の行動を受けて、作っていた授業をぶっ壊し、イチから作り直しました。
授業に組み込みやすいアニメだったこと、単元的にもちょうどよかったことが幸いし、授業ができました。

ただ、この授業でのBくんの反応は手応えアリ!というほどではなかったので、また自信を失っていたのですが、
Aさんの話を聞いて元気をもらいました。

生徒たちの声を聞くことの大切さを気づくとともに、もっと頑張ろうと思う出来事でした。
教員は本当にやりがいのある職業だなと改めて思ったのです。

教壇に立つということ。

それは、生徒を私たちが見ているようで、
実は生徒が私たちを見ているということ。
学び続け、考え続けるということ。
よりよい授業を目指すということ。

夏休みになってから、
生徒に会えないことの寂しさと
授業欲がむくむく育っています。
夏休み明け、私も成長して生徒に会いたいので、何事にも全力で!生きようと思います。

なんだか色々考える朝でした。
長々とお付き合いありがとうございます😊


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