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多羽(オオバ)くんへの手紙 ─21

(1,942字)

遠くに見える人が
アスファルトから立ち昇る熱気で蜃気楼のように揺らめいている。

田んぼの匂い。草の香り。

少しの間よろしくと短い夏がやって来た。


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多羽オオバは塾の夏期講習行くんやろ?」

野球部の練習には行かないのだろうかと
少し残念に思いながら尋ねた。
多羽オオバもおリンと同じで、親から学習塾に通わされているクチだ。

「いや、塾辞めるねん。部活もあるし。ヒロちゃんに勉強教えてもらうねん。」

またヒロちゃんか。
ヒロちゃんと同じステージに立てない歯痒さからだろうか。
私は少しだけ意地悪な気持ちになり

ヒロちゃんなんてブッシュマンやん。白いのテノヒラだけやん。」

「あ、ヒロちゃんそれ気にしてんねんぞ。言うたんなって。」

笑いをコラえるようにそう言った多羽オオバの顔が、似ても似つかないのに父のそれと重なった。

私の好きな、父のあの顔。

父とシンクロしたせいなのか、多羽オオバが少し大人っぽく見えて、ざわざわした恋心とは違う、安心感のようなものを覚えた。
実際は一向にモテる気配のない多羽オオバへの安心感だったのかもしれないが。


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盆休みに母の郷に帰省するのが羽田家の夏休みの恒例行事だったが、仕事の都合で行けなくなくなった父と、私も残ることにした。
さすがに父と2人では食事など困るだろうということになり、父方の祖母が来てくれることになった。

受験生だからという尤もらしい理由で残る私の、気乗りがしないという本心は伊織や賀子には気付かれてはいないだろう。

ただ母は私の本音を感じ取っていて、何故だろうかと訝っていたが、あそこには私の居場所は無いような、独りだけ異質のような感覚は幼い頃からずっとあった。

父と祖母との生活は、以前からこうだったかのようにとても快適だった。
父は気兼ねなく野球中継を観ることができたし、私も母が居れば「受験生なのに」などと小言を言われたであろう生活を思う存分楽しめた。

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夏休み明けの教室は、戻ってきた日常への少しの憂鬱と久々に顔を合わす友達同士の会話で賑わっている。

「ミスミン、これお土産。ちちの小さい船で海行ってん。」
リンから手渡された小瓶には砂と小さな貝殻が入っていた。
土産物屋で買ってくれたのだろう。
何も渡す物のない私は少し申し訳ない気持ちになった。

「船?すごいやん!ええなぁ。」

「ミスミンも今度一緒に行こや。」

不動産関係の会社を経営していたおリンの父親はたいそう羽振りがよく、小さいクルーザーで時々従業員と一緒に海に出たりしていたそうだ。

ちち。
リンは母親の再婚相手をそう呼んでいる。お父さんとは呼べない、或いは呼びたくないのか。彼女の抵抗でもあり精一杯の歩み寄りだったのだろう。

リンは自分のことはあまり話そうとはせず
「ミスミンはおばちゃんの田舎行けへんかったんや。」
「ミスミン甲子園行ったん?よう焼けてんな。」

そんな風に話の向きを変えた。

詳しく話そうとしないのは、そのような性質タチの子だったこともあるが、ひょっとすると気乗りがしない旅行だったのかもしれない。
リンの心の中を覗くことはできないが、感覚的に推し量ることは出来る。

どんなに親しい相手でも、立ち入られたくない場所がある。
リンの「ちち」という呼び方もそうだ。

彼女との付き合い方は、確実に、後の私の人との付き合い方の土台になっていた。


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「せんせー。そろそろ席替えしよや。こいつの隣も飽きてきたし。学級委員の命令な。前に作ったクジあるやん。」

戸澤コザワの一言で多羽オオバから遠い席になってしまうと思うと「こいつ」「飽きた」「学級委員の命令」に多少苛ついた。

戸澤コザワはあぁ言うとるけど、皆んなどうや?しよかー。」
野口先生がそう言うやいなや、せっきがえ!の大合唱が巻き起こった。


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教卓の真ん前の席なんてついてない。
学級委員の戸澤コザワが座ればいいのに。
戸澤コザワへの恨めしさを堪えながら次の席で荷物を整理していた時だった。

「水澄ちゃん、あの。ごめんやねんけど席代わってくれへん?」

徳ちゃんだった。
そういえば、前も誰かに代わってもらっていたのを思い出した。眼鏡の度は緩めにしているらしく、後ろの席だと黒板の文字が見えづらいのだそうだ。

「ええよ。徳ちゃん一番後ろの席か。ウチも助かる。先生の真ん前はイヤやし。ありがとう。」

再び荷物を持って徳ちゃんの席に移動すると
徳ちゃんが気を利かせたのか偶然なのか、多羽オオバの隣だった。

言い出しっぺの戸澤コザワが、徳ちゃんの隣の教卓の前の席だったのが可笑しかった。


22に続く…