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ランチタイムの送別会

 職場の送別会というものは勤務後に開催されることがほとんどだ。
 何度か転職や異動を経験した私もありがたいことにそういった送別会を開いてもらった経験がある。その中で特に印象に残っている送別会がランチタイムに開催された送別会だ。
 
 その職場では、私はとあるプロジェクトメンバーの一員として派遣社員で働いていた。仕事はとても忙しく、ほぼ毎日残業をしていた。職場のフロアの消灯をするのはいつも私が所属していたチームの誰かだった、というくらいの激務だった。
 そんな勤務時間中の癒しがランチタイムだった。
 その当時、私はチームのメンバー以外の人とランチをしていた。初出勤した日、一緒に社員食堂へ行こうと声をかけてくれた別部署の女性の先輩がいて、その先輩が一緒にランチを食べているグループの仲間に入れてもらったのだ。
 私が所属していたチームはデスクで仕事をしながら黙々とランチを食べるのが常だった。その環境を不憫に思ったのか、ランチの時間はしっかり取らないと!という先輩の気遣いにより、私は先輩方と一緒にランチすることになったのだ。

 先輩のお誘いはありがたかったのだが最初にランチに誘われた時、正直私は戸惑ってしまった。というのも私は本来、ひとりで行動することの方が好きなのだ。加えてそういうグループ行動は同調圧力めいたものがあったり、過度にプライベートを詮索されがちで、それがイヤでそれまで極力避けるようにしていたからだ。
 結論から言うと、そのランチグループは全くそんなことはなく、とても居心地のよいグループだった。声を掛けてくれた先輩が気さくな方で顔が広く、そのためそのランチグループのメンバーは年齢や性別はおろか部署や役職を越えて社内の様々な人がいた。そのうえ、毎日参加する人もいれば気が向いた時だけ参加する人もいるような緩い集まりだった。さらにメンバーはみんな適度な距離感を知っている自立した方ばかりだったので当初私が不安に思っていたようなストレスは全くなかった。

 ランチグループのメンバーはみんな優しくて話が面白い人ばかりだったのだが、メンバーの中でも特に面白い人だったのはヤマさんというベテラン社員の方だった。
 ヤマさんは私の親と同じくらいの年齢の気さくなおっちゃんだった。昔ながらの広島弁が特徴的で、多趣味なこともあってかとにかく話題が豊富だった。
 一般的にオジサンの自分語りは嫌われるというけれど、ヤマさんは話術の巧みさと話の引き出しの多さ、そしてエピソードのぶっ飛び具合などがすごくて、私たちはよくお腹がよじれるくらい笑っていた。「ヤマさんのすべらない話」を聞くこともランチタイムの楽しみのひとつだった。
 そんなヤマさんは実は重役なのだが、自分からそのことを公言することもなく、いち派遣社員の私にも気さくに接してくれた。
 「ヤマさん、それでよく無事に済みましたね!」とヤマさんのぶっ飛びエピソードに私がツッコミを入れることもあれば、「梅ちゃん、そりゃあ話を盛っとるじゃろう!」とヤマさんが私の話に茶々を入れることもあった。とにかく誰にでも分け隔てなく、気さくな人だったのだ。

 ランチタイムは社員食堂で食べることが多かったが、時々会社近くのお店で外食することもあった。ちゃんぽんが有名なお店にみんなで並んだこともあったし、昔ながらの喫茶店で定食を食べることもあった。
 石焼ビビンバを食べに行ったとこともある。注文してから思った以上に待つことになって、昼の始業時間に間に合わないかもしれないとアツアツの石焼きビビンバを慌ててかき込んだことも懐かしい思い出だ。

 在籍期間の終盤はみんななんとなく社員食堂に飽きてきて、外食することが多かった。
 ちょうどその頃、私の仕事もよりハードになっていて外食で気持ちを切り替えられることはありがたかった。プロジェクトも終盤で私は残務処理に追われていた。この残務処理がなかなか精神的にきつくて、「今日のランチはみんなでマグロ丼を食べに行くんだ!」とランチタイムを心の支えにして会社へ行っていたほどだった。
 今思い返してみると、もしかしたら外食が増えていったのは優しいランチグループメンバーの気遣いだったのかもしれない。精神的にいっぱいいっぱいになっていた私にせめてランチタイムくらいは息抜きさせてあげようと、いろんなお店に連れて行ってくれたのかもしれない。
 当時はそこに気付く気持ちの余裕がなかったけれど、メンバーのひとりひとりのお人柄を思うと、そうだったのかもしれないと思えるのだ。

 3月末で契約終了すると私がみんなに伝えると、送別会を開いてくれることになった。所属部署のオフィシャルな送別会は夜にやるだろうから、いつものようにランチタイムにちょっといいお店に行こうということになった。
 最終出勤日、連れて行ってもらったのはお刺身定食が評判のお店だった。豪勢な刺身定食を楽しみつつ、ランチ終わりにはメンバーみんなに挨拶をした。
「職場の近くに来ることがあったら、またランチ行こうよ」
 そんなうれしい言葉をかけてもらえて、胸がいっぱいになった。

 職場へ戻る道中、少し前を歩いていたヤマさんが私の隣にやって来た。
「梅ちゃんよぉ、」
 いつもの親しみやすい広島弁だったけれど、ヤマさんはいつになく神妙な顔をしていた。
「新しい職場に行っても梅ちゃんならきっとうまくやっていけると思うとるけど、どんなときでもメシだけはしっかり食わんにゃあいけんで。メシを食わんことにゃあ、力が入りゃあせんけぇのぉ」
 優しいヤマさんはやっぱり気付いていたのだろう。
 ヤマさんのはなむけの言葉とこれまでこのメンバーでランチを囲んだ日々を思い出して私は泣きそうになった。
 感謝の言葉は言い尽くせないほどたくさんあったけれど、私は「ありがとうございます」の一言しか言えなかった。思いが溢れてうまく言葉にできなかった上に、それ以上何か言うと本当に泣いてしまいそうだったからだ。

 思い出深い職場を離れ、新しい派遣先へと移った。
 その職場は今までの職場とは業務内容も職場の雰囲気も全く違っていて、慣れるまでは大変だった。仕事がなかなか覚えられずに落ち込んだときはヤマさんの言葉を思い出した。
 「ヤマさん、私のこと買いかぶり過ぎだよ」と思いつつも、教えを守ってどんなに落ち込んでいても食事を抜くことはしなかった。落ち込んでいてもランチを食べようと席を立つと少しは気持ちが切り替えられたのだ。
 職場は離れてしまっても、ヤマさんの言葉とあのメンバーとのランチタイムは私に元気を与え続けてくれている。それはあれから何年経った今でもずっと変わらない。
 
 

 
 
 


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