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あの時の私もこの時の私の全部愛しい私

私という人は
敏感で繊細で心配性で、人の目をやたら気にする、
自分の意見をはっきりと言えない、
行動する前から先のことを考えてしまって疲れる思考型。
なんか生きづらい、なんか違うな、と気づいてたけど気づかないふりをしていた。


仕事も何度も転職をした。
人に任せることができない、偉そうだと思われるかもしれないから人に指示することができない、結局全部自分でやって体を壊して退職する。

こんなにやってるのに会社は評価してくれない、といつも外にばかり求めていた。自分の気持ちはいつも置いてけぼり。頑張らなきゃ、もっと頑張らなきゃ、と自分が悲しんでいることに気づくこともなかった。

いつも同じようなことで退社するので、また次のところに行っても同じようなことが起こる。何度も転職することがよくないことだと思っていたので、退社するたびに自分を責める。毎職場に大お局様のようなラスボスがいて、この人以上の人はいないだろうと思ってても毎回前回を軽く超えたラスボスが出現する。

今は、なぜそんなことが起こるのかわかるが、当時の私は外への不平不満ばかりで、そんなこと考えたこともなかった。

2020年に入って、色んな学びをしてきた。
スピリチュアルなもの、哲学的なもの、その他にもいろいろ。
その当時は、あまりピンときてなかったものも今になってようやく理解できるように(腑に落ちるってやつかな)なってきた。

二男を授かったことは、なんだかとても必然で、新たに生まれ変わるきっかけを与えてくれたように思う。

ずっと、モヤモヤしていた母との関係をどうにかしたいと思っていた。妊娠中は、あんたマジでどげんかせんといかんよ(古い)と上から言われているようで、ずっと母に対してイライラして不機嫌を家中に撒き散らしていた。

妊娠中、色んなことを考えていた。
マジでこのタイミングで変わりたい。またいつかと伸ばすことはできない。今まで何回自分を誤魔化してきたか。
自分らしく、自分の思ったように生きていきたい。
そんな気持ちがどんどん大きくなってきていた。

そんな時、友人がセッションを始めるというので飛び込むことにした。
彼女のことはまた改めて別の記事に書こうと思うが、とても魅力的で本当にお世話になっている大切な友人。(その名はあゆみさん)

セッションは潜在意識(無意識)と向き合うことを繰り返して本当の自分に還っていく、というもの。自分ととことん向き合うことをしていく。
別名、私が私に還っていくセッション(勝手に私が命名)
を去年のお盆からスタートした。お盆っていうのもなんか意味ありげね。

自己愛とか自己肯定感とか、自分を認めるとか、今までの学びで何度も何度も聞いてきたワード。でも、それがよくわからなくて。当時は、わかりたいけど、わからないからわかったふりをしていた。

どんな自分もOKなんだよ、良いや悪いはなくて、怒りや悲しみやどんな感情もなかったことにしなくていいんだよ。
そんなこと言われても、どうしたらいいのかが最初はわからなかった。自分を癒すって自分の気持ちと向き合うってどういうこと?

今まで、学校や家族や社会で生きてきた中でびっしりこびりついた価値観や考え方を疑うこと、それを変えようとすることは最初は本当に難しくて。得意な思考が出てきては、こんなこと考えてはいけないんじゃないか、こんなことができない自分はどうかしてるかもしれないと思ったりもしていた。

でも、どんな時でも寄り添って話を聞いてくれる友人。
最初は、ちょっとしたことでも長文を送っては、長文のお返事を見て、このままの私でいいんだと安心して涙を流すこともたくさんあった。


よく車内で独り言で自分と会話する変なクセがあるので、

今日のあの時悲しかったよね?
本当はこうしたかったよね?そうだね。うんうん。
怖くてはっきり言えなかったね。うん、わかるよ。

と、こういう具合で1日の最後に自分と会話することをしていた。
これが、私の中で一番しっくりきた自分との向き合い方。

産後まもなくから開始して、今考えるとなかなかハードなことしたとも思うけど、でもそれだけ困っていて切羽詰まっていて、自分を変えたくて、私って本当はこんなんじゃないって思ってたからだと思う。

セッション開始してもうすぐ1年。
生まれてから何十年のこびりつきは劇的には変わらない。
だけど、1年前の私よりも生きやすくなっているのはわかる。これは、わかったふりではない。

自分を俯瞰して見れるようになってきて
日々の何気ないことに感謝できるようになってきた。
自分のどんなところも、まあいいよねって許せるようになってきた。
もちろん、まだまだ人と比べることや、どうしようもない怒りで自分を見失うこともあるけど、そういうこともあるよねと自分に言えるようになるなんて1年前は想像もしていなかった。
そもそも、どんな感情もあっていいのだ。

周りのキラキラした人をみては、いいな、羨ましいな、って思っては、その気持ちに体全体が支配されて動くことができなかった、あの頃。

今は、私の書いた文章をたくさんの人に読んでほしい!本を出版したい!って言えるようになった。
私って本当はそんなんじゃない!
これからも自分との対話は続くし、自分の可能性を信じて突っ走って行く。

そして、いつかこの私の経験が誰かの役に立てるように形にしていきたい。







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