見出し画像

「劇場短編仮面ライダーセイバー 不死鳥の剣士と破滅の本」になんか感動していた

まさかの別々の枠となった仮面ライダーセイバーと仮面ライダーゼロワンの劇場版。「劇場版仮面ライダーゼロワン REAL×TIME」がゼロワンの締めとして非常に出来が良かったのだが、その一方で「劇場短編仮面ライダーセイバー 不死鳥の剣士と破滅の本」の評価はあまり芳しいとはいえない。「戦ってるだけだった」「微妙」「話が無い」などなど。
分かる部分もある。それは劇場短編の名の通り、20分程度の尺しかないうえにゼロワンが後に控えていたため、印象に残らなかった。など様々な要因はあるだろう
しかし話が無い作品だったかと言われれば私はそうだとは思っていない。私は短編であるけれど「あぁ良いモノを観たなぁ」という爽やかな感想を抱いたのだが。

謎多き不死身の剣士により破滅の本の封印が解かれ、本から闇があふれ出し、現実世界とワンダーワールドは虚無に飲み込まれる。神山飛羽真こと仮面ライダーセイバーは「ソードオブロゴス」の剣士たちと共に、不死身の剣士と戦うべく立ち上がる。
終焉に向かう世界の、飛羽真たちの運命は!?

パンフレットの柴崎監督のインタビューによれば元々ゲームのムービーのように画をつないで見せるといった案もあったようだが、少しでもストーリーが欲しいということでこのような形になったらしい。
それもあってバトルに入るまでのスピード感たるやすさまじいものがある。最初からクライマックスとはまさにそれで、夏映画の戦隊パートなんていうレベルではなく、某テーマパークのアトラクション?と言いたくなるほど。起承転結のきを言い切る前に転が始まったような感じ。
テレビシリーズで冒頭の解説担当のタッセルが本作の敵、バハトの説明をするシーンがあるのだが彼の存在をここまでありがたいと感じたことはなかった。
バハトが聖剣、無銘剣虚無を抜き、(谷口さん念願の)「変身!」の声とともに全ての音が静止したのは普段大音響で変身音やBGMを聴くことが出来ることを逆手に取った見どころでもあり劇場でしか味わえない体験であろう。

エモ過ぎてエモーショナルドラゴン

エモーショナル(英: emotional)とは、
感情的なさま・情緒的なさまを意味する表現

劇場版限定フォームは例に漏れず本作にも存在する。その名は仮面ライダーセイバー エモーショナルドラゴン
すっかりエモいという言葉が浸透し、エモいって言えばいいと思ってません?というような風潮がある(かもしれない)昨今。初見で観た際はエモーショナルドラゴンという名称に安直さを感じ、やや嫌悪感を抱いたことは正直に告白しよう。しかし、二度目の鑑賞で意外と安直ではないかのかもしれないと感じた
バハト=仮面ライダーファルシオンは無銘剣虚無という聖剣を振るうだけあり作中度々「虚無」という言葉口にする。
人間が争いを起こす。だからすべてを滅ぼし虚無に返すというバハト。当然仮面ライダーたちはそんなことを承服できるはずもなく戦うのだが、バハトは「だがそういうお前たちは戦いを止めるためにですら争いという手段をとるじゃねぇか」という矛盾を刺してくる。痛いところを突かれ劣勢に陥るセイバー。

本作ではそれに対しての明確なアンサーがなされるわけではない。仮面ライダー達は思い思いの言葉を叫ぶ。世界の均衡を守るため、自分の強さのため、子供のため。それにまとまりはあるわけではない。しかし彼らはそれぞれの人生を生きている。そして作家である飛羽真にとって後述のシーンにも象徴される様に生きること=人生は物語であると考えている。ゆえに人々の生命を終わらせ物語を否定しようとするバハトが許せるわけがない。

劣性に堕ちる中、合成ではなく、本当に燃え盛る火炎剣烈火を振る飛羽真。ブレイブドラゴンワンダーライドブックから神獣が飛び出しブラックホールの中心にある破滅の本へ突撃し白と黒の二匹の龍が解放?されワンダーライドブックに宿り、エモーショナルドラゴンワンダーライドブックへと変貌し仮面ライダーセイバー エモーショナルドラゴンへ変身する。

エモさで殴ってくるとは良く使われる言葉だが、
虚無に打ち勝つために文字通りそれ以上の感情(エモーショナル)をもって制する
。これってすごく良い構図ではないか?と私は思った。

仮面ライダーとは

冒頭サッカーしている子供たちを見ながら一緒に遊ばせて!と言えない1人の少年へ「君の物語の結末は君が決めるんだ!」という演出も相まってオロナミンCのCMを彷彿とさせるシーンがある。

世界の終焉に向かう中仮面ライダーが戦う姿が映し出されそれを見つめる人々。
「君が友達と遊んでる間にもどこかで戦っている仮面ライダーがいるの。皆が当たり前に来る明日は、仮面ライダーにはないの」と少年に語るヒロイン、芽衣。どこか初代仮面ライダーの孤独感を思い出させる。

そして戦いが終わり、少年は他の子供達へ「僕も混ぜて!」と声をかける。他の人々も仮面ライダー達の闘いを胸に日常へ帰っていく。そんな人々を遠くから見守り、飛羽真達はまた再び戦いの渦中へ飛び込んでいく。世界を守るために。

仮面ライダーとは子供のためのヒーローである。子供たちが仮面ライダーから何か一歩でも前へ進む勇気をもらうことが出来たなら、こんな世の中に大きな希望となると思わずにはいられない。
ともするとクサくなりがちな内容だが短編であるがゆえにズバッと人間賛歌的メッセージを込められていた。そしてそれはきっとこんなご時世だからこそ必要なものだろう。今は簡単に手を繋げるような時代ではないのだから。

とこのように感じたがやはり尺不足は否めず、バトルシーンを多めに入れたぶん、セイバー以外何をやっていたのか印象に残りにくいと感じたのも事実ではある。
しかし、短いながらストレートなメッセージが込められていた良い作品だったと、私は感じている。

仮面ライダー達が目指すもの。それは、世界の平和と、その中で生きる人々の幸せを守ることだ。
彼らに課せられた使命は重い。不屈の剣士たちは今日も、誰も知らない、どこかの空の下で、激しい戦いを繰り広げている。

パンフレット9Pより



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?