旅の終わり~仮面ライダーOOO 10th 復活のコアメダル 感想~
「またこんな日が来るなんて…」
予告でも比奈ちゃんが語っているが、来てほしかったようで、いつか来る日に恐怖していたのかもしれない。仮面ライダーオーズの、いつかの明日。
仮面ライダーオーズは人気が高い。私自身も一時期仮面ライダーから離れ戻ってきた作品がオーズなので思い入れは大きい。いうまでもなくCSMオーズドライバーも買ったし平成ジェネレーションズFINALも初日で見に行った。
私は縁があり最速の試写会に行くことができたのだが、それからずっと考え続け、ようやく本日上映開始にあたりキーボードを叩いている。
終盤に別離を遂げ、復活が望まれている(一時的にではあるが復活したりする)キャラの大きな柱の一人であるアンクだが、オーズの明日。ということは簡単な話ではない。仮面ライダーオーズのテーマは欲望なのだ
「そもそもオーズの続きを作る必要はあるのか?あの終わり方だからよいのでは?」VS「それでも、それでもいつかの明日は観たい」というファンの欲望という論争そのものがまさにオーズ。本編内での終末論を語るドクター真木と鴻上会長の主義の違いのようでまさにオーズらしい。素晴らしい!!!
などという冗談はともかく、そういうことは製作陣も承知のうえであった。この作品のスタートの口火を切ったのは渡部秀さんなのだがファンが望んでいるし、自身もやりたいと思っているが『オーズという綺麗に終わった物語の続きを本当に作った方が良いのか?きれいに終わっているからこそ続編を望まない声も当然ある。パンドラの箱のよう』と渡部秀さんは悩んだと特番で語る。
そう。まさにパンドラの箱。MEGAMAXや平成ジェネレーションズFINALも美味しくいただけたのはアンクの復活が一時的なものであったからだ。だがそこまで考えたうえで、それでも覚悟で彼らがいつかの明日に臨むならばその覚悟には見る側もそれなりのものを持って応えてあげたい。それが自分の望むものであれ望まないものであれ。なぜならばいつかの明日を望んだの我々なのだから。
きっと紛糾するし、受け止めきれるのか受け止められないのか。
私が満たされるのか、満たされないのか。結局は進むしかないのだ
※以下よりネタバレ全開で進みます
本編
冒頭、古代オーズ、そして復活したグリードたちの攻撃受ける戦場の中でいきなり腕だけで復活するアンク。古代オーズの攻撃にあらがうレジスタンスの中にはかつて彼が肉体を借りていた泉信吾。再び彼に取り憑くアンク。そして余韻もへったくれもなく、再開する妙に様子のおかしい映司とアンク。どうやら我々が気にしていた「どうやってアンクが甦るのか?」はじわじわとこの作品の肝の部分ではないのだなと気づく。
そしてアンクと再開する伊達さん、後藤さん、比奈ちゃん。彼らの口から映司は古代オーズの攻撃を受け行方が分からなくなっているということが語られる。映司の行先を本人から聞いていたアンクは彼らとともに映司のもとへ向かう。だがアンクの口から語られる「こいつは映司ではない」の言葉。その正体はグリード、ゴーダ。鴻上会長が映司から生み出した人造のグリード。古代オーズの攻撃から少女をかばいほぼ死んだ状態の映司の体内に入り込むことでかろうじて映司を映司として生かしている。本作で動く火野映司はほとんどゴーダin映司だ。映司の欲望から生まれたグリードという「映司なんだけど映司ではない何か」の薄気味の悪さを漂わせる渡部秀さんの演技はすさまじいものがあった。
甦ったアンクと瀕死の映司の肉体を使うグリードとのバディ。これは言うまでもなくテレビ本編の映司と信吾の肉体を使うアンクの構図が逆になったものだ。
私自身の感想ではあるがゴーダとアンクのバディという『利害が一致しているから手を組むが隙あらばお互いに出し抜こうとしている』というピリピリした空気感は最近の妙に湿度の高い2人(というより定期的に提供される渡部秀さんと三浦涼介さんの仲の良さに影響受けているのではと邪推したくなる?)より、テレビのアンクと映司を思い出して実は好きなのである。
そう、恐ろしいほど当時のオーズの質感を漂わせていたのだ。10年経ってもキャストの顔がほとんど変わらない(三浦涼介さん岩永洋昭さんなどはタイムスリップしましたか?というくらい変わらない)というのも大きいのだが本編の数か月後くらいに取ったのではと思いたくなるほどに仮面ライダーオーズの作品が持っている空気がそこにあった。復活したアンクとゴーダだけがその空気の中では異物のように見えた。
往々にしてフラッシュバックされるテレビシーンの回想。これまでテレビ本編を観てきた人ならニヤっとするような小ネタやオマージュ。特にあえてアンクが取り込まれて古代オーズの体内から甦った恐竜メダル奪い取りをゴーダがプトティラコンボへ変身するシーンなどは「そういうの!本編でもやってたやつ!」と思わず口角が上がってしまう。
様々な思いが交錯する中、終盤、古代オーズを辛くも倒したゴーダとアンク。だがゴーダは映司の欲望のグリード。その肥大化していく欲望は古代オーズのメダルすら取り込み、仮面ライダーゴーダとして映司の肉体を捨て暴走をはじめる。
新フォームをひっさげ奮戦するバース2人。すんでのところで映司の体内に入るアンク。精神世界でようやく本物の映司と邂逅を果たすアンク。アンクのメダルが復活したのは映司の最後の願いの力であったのだ。
「お前が本当にやりたいことなら」と映司の最後の願いをかなえるためにアンクはタジャドルエタニティへ変身を果たす。
そしてゴーダを倒し、映司とアンクは分離する。ゴーダという生命維持装置を失い、当然待っているのは映司の死。最後にアンクと比奈ちゃんは映司の手を取る。映司は自身が古代オーズの攻撃から身を挺してかばった少女が生きていたことを知り、命尽きる。
エンドロールで映司が最終回で提げていたパンツと木の棒は彼の墓標のように揺らめいている。
旅の終わり
火野映司は死んだ。アンクが甦ったその代償のように。
「楽して助かる命はないのはどこでも一緒だな」とテレビ本編1話で映司が語り、本作でも「楽して助かる命はない。アイツが言ってたな」とアンクが語っていた。
正直、言葉が出ない。どうしてオーズドライバーが何個もあるの?とか気になる部分はあるのだがストーリーとしての筋はそこまで破綻はしていないし、正直好きなまである。
だが本当に映司が死ぬ必要があったか?ほかに何かあったんじゃないか?ゴーダの代わりに映司の中にアンクが入って二人で生き続けるとかそういうオチにすることもできたのではないか?映司は無欲に見えてすさまじいほどに欲深い人間なのだから生きたいとは思わないのか?
あれだけ「こっちも覚悟を持って臨むべき」だと偉そうなことを言っていたのにこれである。本当に、それでもこの結末を描く必要があったのか?と胸の中はグルグルしていたし、終焉後伊達さん役の岩永さんが舞台挨拶で「こんばんわBTSです!!」と空気の読めないボケをしていなかったら戻ってこれなかっただろう。ありがとう岩永さん。
尺不足は否めなかったが前日譚があるというのはある程度補完に役に立つのだろう。だが尺がどうのこうのという問題で無い
私の心の中で火野映司はヒーローの1人だ。そんな彼が死んでしまったという事実が受け止めきれないだけなのかもしれない。
10周年です!!ハッピーバースデー!!!というお題目で投げていい内容なのか?主人公が死ぬというオチを?
ひょっとしたら永久にそのモヤは晴れないのだと思う。10年経つ中で熟成されていったオーズへの気持ち、いつかの明日って本当に描く必要があったか?それでも渡部秀さんたちが続編をやりたい(私たちが望んだにせよ)という「お前がやりたいっていうなら」というすべての気持ちが掛け算のように積み重なって押しつぶされそうになる。
上に書いた満たされたのか満たされないのかという問いに対してはもはや満たされたのか、満たされなかったという問題ではない。心の中のセルメダルをジャラジャラさせていたらコアメダルをぶち抜かれたような気分である。
ファンサという意味では当てこすりのように露骨に出てくるテレビシーン回想、特に最後のタジャドルエタニティは「お前が本当にやりたいことなら~」という屈指のエモシーンとして何度も見てきた最終回のタジャドルコンボのやりとりから幻影のように共に戦うアンクのシーンまでアンクと映司の立ち位置を逆にする形で完全再現をしていた。
私は正直そういうことをされると冷めてしまう人で、テレビの構図再現が妙に多い前半を見ながら「あ、これ絶対最終回のタジャドルをやるやつだ!」と察してしまったのだが、ゴーダ自身が映司という人間から生まれたグリードであるから劇中これやってみたかったんだよね~。とかタジャドル出してよ!とか言うというまるで悪質なファンのようなことをしているので、逆に本家の直球ど真ん中の再現がスッと受容できたような気がする。
さて、公開初日を迎え、予想通り賛否両論、よくやったという意見、こんなの認められない。MEGAMAX,平成ジェネレーションズFINALの方が良かった。etc散見するのだがその人の持つオーズ観で思うことは違うだろう。
作品そのもののファン、映司とアンクというバディの関係性のファン、ひょっとしたら子供のころ初めて見た仮面ライダーがオーズという人もいるのかもしれない(それはそれで、時の流れにめまいがするのだけれど)
だがこの気持ちを叩き込みながら加速して止められなくなっている思いを顧みて、自分ってやっぱり仮面ライダーオーズが好きなんだなということを再度確認できた。
この物語を産んだことでテレビシリーズの価値までもが損なわれるとは思わない。すでに書いた通り、あれほどきれいに終わった作品の続きを創るということ自体どうやっても(もはやたらればの話ではあるが本作の脚本をテレビ本編を担当した小林靖子さんが書いたとしても)賛否両論が起きるだろうというのは製作陣、渡部秀さん三浦涼介さんらキャストたちも覚悟のうえで本作に臨んだ。その覚悟にはエールを送りたい。
単なる同窓会に終わらず、アンクを復活させるという続編を描くならばやらなければならないこととしっかり向き合ったといえる。だが私の「嫌だ!!!映司が死ぬなんて!!!!」と爆発しそうになる気持ちが抑えきれない。
舞台挨拶で渡部秀さんが「映司は旅人でその旅は終わりを迎えました。」と語った。作品の良いとこもここは良くないということも言えるのだが私はもはや何もいうことが出来ない。
アンクはこれからどうなるのだろう。ただ一人、映司も、グリードたちももういない。そんなことを考えさせることもなく呆気なく物語の幕が下りた。そう、これで、終わりなのである。
仮面ライダーオーズは誰よりも大きい欲望を持ち、満たされなかった映司の物語。テレビでは同じく満たされなかったアンクというメダルの塊が満たされることで物語が終わりを迎えた。そして映司が満たされたということはオーズの物語は真の意味で終わりなのである。
私はただの一人のオーズのファンとして火野映司の死に、彼はきっと一人の人間として心が満たされて逝ったのだと、今は彼の旅の終わりに想いを馳せさせてほしい。私にできることはきっとそれくらいなのだ。
おい!!!!!!
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