D4~をやってたあの頃

 時節柄というか、D4以降の生活を簡単に振り返りたい。

■D4(2018年度)

 指導教員のゼミといくつかの研究会に出ながらバイトをしていた。学内の研究所、学内施設の受付(夕方から5時間)、週2コマの非常勤をやっていた。他にも臨時で事務バイトをやったりしていた。これが秋頃まで続く。週4~5日、研究所で出張の同行があった際は、週6で勤務していた。

 研究所では研究補助的な仕事。専門外の分野に視野を広げるきっかけになったが、必ずしも分析スキルが身につく仕事ではなかった(自分には計量スキルが無く、仕方ない)。

 受付仕事は、基本施設の鍵の受け渡しとか、見回り業務、台帳管理がメインで、暇な時間には本を読んだりしていた。たまに夜の安田講堂に入って施錠をしたりした。

 非常勤は非専門科目、1限2限の授業だった(同じ授業を2クラス分)。昼に終わって最寄り駅の王将で昼飯済ませるのが習慣だった。体重増加が加速していった。

 博論の目処が立たず、とりあえず秋頃にキャンディデイトは取得するものの、途方に暮れていたように思う(今も)。

 また、なぜか博論ではないサブテーマで研究助成に申請、採択される。博論に集中した方が良かったと思う。

 博論に関連するテーマの論文(前年度に学会報告していた)を書き、秋口に投稿する。これは2019年に公刊。

 後期は非常勤が無かった。代わりというか、事務の仕事×2をすることになり、相変わらず細々と食いつなぐ。とはいえ親に無茶言って家賃を負担してもらったり、だいぶ親不孝もしていた。

 事務仕事が忙しくなりそうだったので受付のバイトは年末で辞める。週3~4程度の勤務が続く。結局この年度は掛け持ちで月15万稼ぐのに精一杯だった。

■D5(2019年度)

 引き続き事務仕事に汗を流す。事務仕事の片方は契約職員という形になったので、前年度よりも収入は安定する。研究所の仕事は継続。非常勤は2年お世話になったところを辞めた。

 新しい非常勤は前期に専門に関する科目3コマを担当。後期には専門外の科目1コマを担当。前期はほぼ小田原、後期は前橋と、非常勤あるある:長距離移動を身をもって味わう。また、毎週毎週新しい授業資料を作らねばならず自転車操業もいいところだった。

 それから、確かこの年は公募にいくつか出していたけれど軒並み書類落ちとなった(5件)。

 どうやって書いていたか思い出せないが、とにかく秋に博論を出す。投稿論文も同じ時期に提出する。年度末にかけて、依頼原稿の執筆、投稿論文の修正などがあり、気がついたら博論の書き直しが長引いてしまった。さらにそうこうしている内にCovid-19が……。

■D6(2020年度)

 非常勤が増え、相変わらず毎週のように新しい授業資料を作っていた。同じ授業2クラスも含むが、前期4コマ、後期4コマ。新しいネタは各期1コマ分。基本、東京のアパートにいた。隣の部屋との折り合いが悪く、また申し訳なさもあり、オンデマンド授業の収録のために大学の院生部屋をこっそり使っていた。また、4月~5月頃は学振、依頼原稿を書いていた。引き続き事務仕事にも汗を流していた。主に6月~8月に博論を書き直し、10月に学位授与となった。年末に二次採用候補だった学振が内定となり、この時だけはほんの少し展望が開けた気がした。開示はちょうどクリスマスの日だった。

■ポスドク1年目(2021年度)

 研究に集中できるかと思いきや率直に言えばそうではなかった。主に自分の能力のせいだが、非常勤・事務仕事の補助・翻訳、依頼報告・原稿、現所属先の諸々、引っ越しが重なってしまった。それから、数えてみると半年ほどは実家にいたが、(猫が荒らした)実家の片付けにもそれなりに時間を割くこととなった。

■おわりに

 サブテーマに本腰入れようと思ったのは判断としては悪くなかったように思う(たいした成果は出ていないが)。ただやはり未だに博論の改稿に手が付けられておらずそこは参っている。

 D4~ポスドクにかけて、何が正解だったのかはわからない。もうちょっと取捨選択もできたように思う。自分は掛け持ちで移動が続くと消耗してしまう性質だから、本当はそれは避けた方がよかったかなと思う(あまり掛け持ちせず、多少生活が苦しくなっても事務職員一本だけでしばらくは乗り切るとか……そうすると教歴が……なので判断が難しい)。

 これから先どうなるのかわからないが、周りの方々への感謝を忘れずに日々を過ごしていきたい。いくらなんでもそれは雑なまとめすぎる。

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