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仕事の話 Vol.3 〜愛社精神〜

こんにちは。うまうまです。

今回のテーマは愛社精神です。

自分が勤める会社を愛する。

働くため、働き続けるためには大事な気がしますよね。

愛社精神を持つことで、
◆会社の発展のために純粋に頑張れる。
◆志を共有して一緒に高みを目指せる。
◆愛するからこそ入社したいと思える。
そんな前向きな気持ちになれる。

それであれば、愛社精神は持った方がいいし、
持つように心がければいいのでは?
そう思うでしょう。

ただ、それでも私はこの愛社精神を全く持っていません。

なぜか


それは、私が一般企業働くうえでで大切にしていることにあります。
「視野を広く持ち続ける」
「こだわりすぎない」
「強みと弱みを理解する」
「成長をし続ける」

それらを大事にしていく中で、愛社精神というのは、障害になると考えているからです。

ただ、私が単に不器用だということが原因なのかもしれませんが、それをふまえて読んでください。

会社を愛する、というのは、前述したように、良いところもある反面、働いている中で、ダメな部分が見えなくなったり、見ようともしなくなるリスクがあると思っています。

それが悪化していくと、「昔からこうだったし」「今までトラブルもなかったし」「みんなそうしている」とか、課題意識を持つ若手の気持ちをへし折る先輩になってします。
そういうリスクを危険視しています。

私の経験では、問題点を指摘すると、「確かにそうだけど、前からそうやっている」と言われたことがあり、「あ、この人成長終わったな。」と心の中でつぶやいています。

そうなるのが愛社精神が原因なだけではないとは思いますが、要素としては入ってくると思いますので、私は愛社精神を極力持たないことで、成長を続けられる人を目指しています。


もう1つ危惧していることがあります。
愛社精神を持つが故に、無理をしてまで頑張ってしまうかもしれない、ということです。
Vol.2でも書きましたが、身を粉にして働く、というのは長い社会人ライフを送る上で、間違っています。

管理職、経営層はそこまで頑張ってしかるべきだと思いますが、一般社員の時からそこまでする必要はない。
ぶっちゃけて言うと、会社の経営と自身の評価の紐付き方が今のうちは超絶微々たるものです。

一般企業では、死ぬほど頑張っても、身を粉にして働いても、評価には限界があります。
でもそれでも決定的に違うことがあります。

人は頑張った分だけ成長を続けられることです。
※身につく量、内容は大小様々、人それぞれです。

何かに一生懸命になれる人は、少なからず何かを積み上げて行くことができています。
知識、知恵、技能、人間関係、信頼関係とかね。

実績を若い頃から作る、というのは大事なことですが、自己犠牲までの価値はあるのか、再度確認して働いて欲しいです。
焦らずとも、その会社の中でどうなっていきたいのかを見直して、そのために必要な分を最低限全力でやれば良いんです。
それだけで周りは認めてくれます。
安心して!

私の同期でも働き詰めで病んでいった人がいます。
無理せず休めよ、と言っても「自分がやらないと回らないから」と言って無理していました。
聞いていて辛かったです。

「お前がいなくてもこの会社は絶対潰れないし、ミス、漏れを出しても上司がいる以上、出来る最大限の努力をしていれば良いよ。それが遅れたらフォローするのが上の仕事なんだから。」と言ってあげたほうがよかったのかどうか、、、今もまだわかりません。


そんな感じで、私は会社に尽くす、会社を愛する、と言う感情を持ち合わせていません。

私が大事にしているのは、将来、この会社で生き残るために身につけなければならない知識、技能は何か、どう動けばチームはうまく回るのか、どうアウトプットを出せば「やっている」と認めさせられるのか、今任されている仕事は、自分の今の立場、役職で正しいのか?上がやるはずの仕事を回されていないか、を考えて働いています。自分より給料が良いのなら、その分、責任と能力を活かして動け、と思っています。

サラリーマンである以上、会社の歯車、推進剤に全力でなります。なりきります。
ただ、使い捨てにはさせない。
そう思わせないように頑張っています。
自分の価値を高め、会社に必要とされる要素を伸ばし、やめて欲しくないと思わせる。
だから私は、自分の最大のパフォーマンスに対して正当な評価をしてくれないのならすぐに辞めてやろうと思いながら働いています。笑

そのためにも何を求められているのか、その点の分析、自分のスペックとの対比、不足点を分析しながら働くことを心がけています。

サラリーマンである以上、歯車になるのは仕方ない。これが私の中の妥協ですね。
ここを自由にしたいのなら自分で会社を作るしかない。
その能力は私にはないので、諦めています。
でも働き、給料をもらっている以上は、方針には沿って、最大限寄り添って働きます。
この気持ちが大事なのかもしれませんね。


のらりくらりと働きつつも、今や先生、と言ってくれる後輩くんもいたりします。
上述した心持ちのおかげかな、と思っています。

みなさん、働きすぎていませんか?
見直すきっかけになれば幸いです。

気が向けばこんなアラサーへエールを送ってください。