トニーフランク「ピンのすゝめ」

トニーフランク「ピンのすゝめ」

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大阪から上京した時、自分ではなくギターが上京したと思った

僕は昔から自己肯定感がとてつもなく低い。 思い出す限りでは幼稚園児の頃から、凧揚げを組み立てるお楽しみ会の時に「なぜか自分が今作っている凧だけ空を飛ばないのではないか」などと思ったりしていた。 たくさんの色を塗る友達をみると「そんなに浮かれて色を塗れば塗るほど飛ばんかった時恥ずかしいやん」と勝手にひやひやしていた。 きちんと空に浮かぶ凧をみたときに、もっとちゃんと色をつけておけばよかった、とやっと後悔するようなそんな幼稚園児だった。 大人になってもそんな調子で、大阪に住

    • 今ではこの店に並べられた酒瓶達だけがその演奏を知っているのかもしれない

      少し飲みたいけど腹も減ってないし誰か誘うのは大袈裟やな、という時に1人でゴールデン街へ行ってみた。 入りやすそうなお店を探していたところ、ある一軒のバーの小窓からお客のいない店内で店長らしき人がギターを弾いているのがみえた。 客がいない時間にぞうさんギターを弾いて過ごすマスターは法外な値段をふっかけてこなさそうと思ったが、やはり勇気がいったので入店前に店名をスマホで検索してみた。 ネットには「初心者に安心」「バンドマンのマスターがいるミュージックバー」とある。 クラシ

      • 半ば呪いのように、罪滅ぼしのように、あの光景を思い出す

        たまに思い出す光景がある。 今から15年前、20歳の頃、僕は社会人2年目で会社の慰安旅行先のグアムのホテルのプール沿いの湿気の多いバーベキュー会場にいて、はじめてみる食べ放題のスターフルーツを手も取らずに眺めていた。 六角形の果物だから真ん中で切ると星形になるのね、といつも笑顔の堀田さんが感心していた。 貧乏性の僕はぬるくなったピッチャーのビールを率先して飲み、顔を真っ赤にして、なかなか噛み切れないワイルドな肉を口の中で必死に溶かし、いち、に、のさん、で勢いづけて飲み込

        • あの日の砂山トンネルは東京の羽根木公園まで繋がっていた

          深夜の羽根木公園でギターの練習をしながら幼い頃を思い出した。 砂場で砂山のトンネルを作っては壊し、作っては壊しを繰り返していた。 大人になった今も似たような日々に思う。理想は砂をつかむように指の隙間からほろほろこぼれて形にならない。作っては壊し、作っては壊している。 羽根木公園のグラウンドを、知らない青年が何周もランニングしている。 誰からも応援されない場所で、足踏みではなく前を向き走っている。 せめてもと、歌ネタではなく足音のリズムを拾って中島みゆきのファイトを歌っ

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          同調圧力多めの世間で、1人(ピン)で過ごすと楽なこともある

          自分がピン芸人という職業を志してしばらく経つ。 ピン芸人とはなにか。 語源を検索してみると、 『もともと「点」を意味していたポルトガル語の「pinta」が、いつしかサイコロやカルタの「1」の目を表す意味へと派生し、一人芸をする芸人のことを「ピン芸人」と呼ぶようになった』とある。 コンビ芸人はよくピン芸人のことを「一人でお笑いをするなんて変態だ」と言う。ごもっともである。 お笑いとは、ボケ役とツッコミ役がいるのが基本構造であるが、それを一人でやろうとすると主張が一貫せず

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