あの日の砂山トンネルは東京の羽根木公園まで繋がっていた

深夜の羽根木公園でギターの練習をしながら幼い頃を思い出した。

砂場で砂山のトンネルを作っては壊し、作っては壊しを繰り返していた。

大人になった今も似たような日々に思う。理想は砂をつかむように指の隙間からほろほろこぼれて形にならない。作っては壊し、作っては壊している。


羽根木公園のグラウンドを、知らない青年が何周もランニングしている。
誰からも応援されない場所で、足踏みではなく前を向き走っている。

せめてもと、歌ネタではなく足音のリズムを拾って中島みゆきのファイトを歌ってみる。路傍の歌に聞く耳をもたず、青年はぐんぐんとスピードを上げていく。



僕も変わり映えのない景色を何周もまわるような日々であるが、思うに、あの日の砂山トンネルは東京の羽根木公園まで繋がっていた。

この青年も向かいたい景色を目指し、グラウンドに未来を投影し、この日々を反復しているとするなら、羽根木公園の周回は青年を世界のどこまで連れて行くだろうか。





上京したての頃を思い出す。渋谷駅で1人、乗っては間違え、乗っては間違えを繰り返したホームの果てで、券売機前で立ち尽くし、切符を握り締め、迷子になった日々を。

今日も知らない同志達が環状線を何周も走る。誰かに応援されるわけでもなく吊革を握り、車窓に大切な人を浮かべ終わりのない旅をしている。


繰り返しに思えて辟易した営みも、これまで大切な出会いを運んできてくれたはずだ。
幼い頃、砂山トンネルを掘っている時、向こう側の誰かと手が触れ合って無邪気に喜んだ。
こんなにも世知辛い世の中で、暗がりのなか誰かと手が触れ合った時は、光が見えるまで手を繋いでいたい

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