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ワクチンはメシアか

コロナ脳、ワクチン真理教との議論は面白い。

基本的にワクチンの科学的な効果や副効果の話になることはなく、

如何にワクチンは素晴らしいのかを信仰ベースで語られ、それが宗教哲学的におかしい、と批判する議論にしかならないからだ。

昨日は治験終了の定義について議論になった。

もう神学論争と言ってもいいだろう。

彼等はどのような治験が行われ、どれ程接種結果が収集、研究されたのか、またそれらを踏まえつつ、ワクチンの構造上、長期的にあると想定すべきリスク等について知見を得ることよりも、

既に治験(販売前)は終わって市販化(経過観察、継続チェック)されているから治験は終わっており、故に問題ない、と言う話にしたいらしい。

何の為の治験なのかが分からなくなる。

ただ彼等が治験は終わったとしたいのは、ワクチンは問題ないと言いたいが為なのは十二分に分かる。

また、500人ほど死人が出ているものを治験が終わったなる理由で正当化し得ないと言うこちらの指摘には、

ワクチンが原因と言えないからワクチンは問題ない

と言うトンデモな主張をする。

挙げ句に、

接種後死亡までの日数

これを見せてもなお、偶然でしかなく、どころか、

スマホの電磁波と言うリスクを許容するのにワクチンだけ恐れるのはおかしい

なる物凄い詭弁まで飛び出した。

5G陰謀論を想定して言ったんだろうが、未だに電磁波理由で亡くなった人なんて知らないし、俺はそんなことを考えたこともない。

何なら飛行機で普通に電波使っちゃいかんのか?くらいテキトーに考えている。

それから他にも、

ワクチン接種後に死んだと言うが、死んだ人の99%は水を飲んでいた

なんて言い出したのにはたまげた。

もうワクチンは何なのかが分からない。

ただ彼等にとってワクチンは、

少なくとも水くらい、無くなれば根底的に生活を送れなくなるものであったり、

スマホくらい便利で有用な故に無くてはならない存在

なのだろうが、

冷静にそのワクチンの利益(不利益には目を瞑っても)を最大限に評価しても、

数カ月程度の短期間において、コロナウイルスに感染したとしても、重症化するリスクをいくらか軽減できる

だけでしかない。

こんなものが水やスマホ程の価値を齎し得るのか?

皆冷静に考えよう。

恐怖によって価値が狂っていることを。

そしてそれをカルトと呼ぶべきであることを。

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