無責任左翼の破壊衝動
https://news.yahoo.co.jp/articles/8ff426fef504596c495b2de307e6aee30527bfbb
俺はそもそも、当初より東京五輪に反対だった。
あの時必要だったのは震災の傷跡が生々しい東北の再建と発展だったはずだ。
それなのに現実社会は昭和の思い出引きずる年寄りどもと何も考えない大衆により、オリンピックだと言う空気が作られ、皆が東京開催を喜び、ナンバープレートまで作って喜んだ。東北のことなんて忘れて。もう間もなくあれから10年が経つんだが、震災も五輪も国民の心には何も残っていないようだ。
俺が五輪に反対したのは本来東北に行くべき人、物、金が東京に行くだけだからだ。
しかも安倍はアンダーコントロール等と嘯きながら承知した。
だからその恨みは忘れない。
しかし、では今の状況で様々な準備をしてきたものを中止にするのは正しいことかと言うとそうでは無い。
かつては東北を置き去りにし、今は東京も捨て去ると言うのは、ただの破壊衝動でしかないだろう。
それは東北の為でもコロナの為でも男女平等の為でも日本の為でもない。
それ等とは一切関係のない、面倒くさい、ムカつくと言った私的な感情の噴出に過ぎない。
陳腐な勧善懲悪的善悪二元論は結局、人間の退廃しか齎さない。
勧善懲悪とはその実、人々の中から悪者を探し出し、善意のお面を被った悪魔が正義の為と信じながらリンチと言う悪の所業に耽ることでしかない。
善人にはなるな。善人は結局、己や社会の不作為による犠牲を黙認するだけの殺人鬼でしかない。
玉川みたいな上辺だけの善人は、善意によって人を殺す。
コロナで一人も死んでいない子供は、自殺で例年より多く亡くなった。
善人による犠牲者だ。
我々はそんな破壊衝動と決別せねばならない。
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