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理念と現実〜目先の数字〜

コロナ以降、本当に時間的にも空間的にも視野が極度に狭まった奴等を目にしない日はない。

完全に脳が腐っている奴等がそれ程多いと言う話か。

こいつ等を見ると、やはり論語の教えが大切だと痛感する。

過ぎたるは猶及ばざるが如し

(つまりやり過ぎは、やらないことより劣る)

これは感染症対策のやり方だ。できもしないことをやれと言うから、余計な反感を買うし、更にはやらされ感が増し、人々は従わなくなる。更には副作用が強く出てしまえば失うものの方が多くなる。これはトータル的に見たら損失でしかない。

過ちて改めざる、これを過ちと言う

間違いは誰でもする。そんなのは当たり前。だがそれを認め、改めない奴こそ、本当の間違いと言うことだ。

コロナ以降、小池馬鹿国賊百合子筆頭に馬鹿な政治家がパフォーマンスに明け暮れ、挙げ句にその策に溺れて民意を制御できずにズルズルと人災を拡大してきた。早期に方向転換していれば被害は小さかったのに、未だにパニックは収まらない。そしてこの「過ち」の根本は指定感染症2類相当と言う扱いにこそ言える。

何よりも恐怖が勝って視野が極度に狭くなったコロナ脳の彼等には、時間的にも、空間的にもそんな常識が全く通用しない。

すると目指しているものとは真逆の現実、結果を齎すこととなる。

例えば単価ばかりに拘る馬鹿は思いの外多い。

ガソリンがリッター最安値のスタンドが○○km先にあるからとそこに入れに行くだとかがそれだ。

これは入れる時点での単価のことしか考えないから起きる倒錯だ。

冷静に考えれば分かるが、その移動に掛かる金銭的、時間的コストは考えられておらず、却って損すると言うのはよくある話だ。

同じようにコロナ対策と称する様々な壮大なコントにおいて、

目先の数字を、しかも様々ある内の一つの数字を追いかけていることで、様々な損失を国家レベルで与え、また被ってきた。

それもこれも、人道的な人権意識からくる正義心による、、、ものではない!

真逆で自身の恐怖心に正当性を勝手につける為に知りもしない他人の人権保護を騙っているに過ぎない。

だから平気で経済的に苦しむ人々がいても、「お前等より苦しんでる奴は他にいる!」と、他人の不幸を、自分達が押し付けた不当な不幸を正当化しようとしている。

彼等は絶対に社会正義には興味がない。己の利益の為だけに騒いでいる。

一方の俺は自由にさせろと言っているが、それは俺個人の自由のことは求めてはいない。

何故ならそこに自由は比較的存在しているし、俺が守れと言っている対象は常に俺以外の人々だからだ。

それこそ社会正義の為に自由を守れと言っている。

そしてその自由には、馬鹿なコロナ脳が自分の為にマスク等をする権利も含む。ただし、必要のない人、場所、状況等の条件での強制が不当であると言っている。

俺だって着用を求められればマスクはつける。

実際に先週、入り口で言われた為着けたし、状況によっては自ら先につける。

そして俺は他人にはそんなことは求めない。

果たして利益を、自分個人の利益を求めて他人に不当な要求をしているのはどちらだろうか。

利によりて行えば怨み多し

(自分の利益ばかり考えてると他人から怨みを買う)





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