イジメはイジメられる奴が悪い

ちょっと衝撃的とも思える見出しをつけてみる。

これは当然、この一年あまりの日本における正義や悪と言う観念の価値を俺なりに確かめていった結果導き出された結論だ。勿論これを書くには書くなりの意図はある。そうでなければこんな記事を書く訳がない。

あ、と言っても俺がそう思っている、と言う話ではなく、いじめる側は本気でそう思っている、と言う話だ。

この記事、普通の感性さえあれば、彼の苦しさが昨年から続く緊急事態宣言やその影響で残っている自粛の影響が長期に渡り続いており、それがもう三度目にもなっていることの悲惨さに理解が及ぶだろう。

だが、コロナ恐怖が正義の彼等コロナ脳馬鹿クズゴミの腐り切った目と頭を通せば、

「同情を買う為のパフォーマンス」になるらしい。

「私は毎日真面目に行動を自粛して家に引きこもってるのに、パリピが許せない」

みたいな私利私欲の為だけに自分で蒔いた種の収穫で認知症の為か他の畑と何かが違うと涙する基地外には同情するのに、

明らかに長期的に、人為的なダメージを受け続けた本当の被害者には全く同情しないらしい。

何故こうなるのか。それは心から差別しているからに他ならない。

彼等飲み屋の人間を、私利私欲の為にコロナをバラまく非人と認識しているからに他ならない。

彼等は人間として、国民として当然享受すべき権利を持たないと本気で悪意なく信じているのだ。

だから本当に自分がイジメをしているとも、差別を働いているとも全く思っていないのだ。

それほどまでに平然とイジメができる奴がウヨウヨいるこの国は、果たしてまともな道徳国家と言えるだろうか?

イジメられる奴等が、イジメられないようにする努力をしないのが悪いと平然と公に表明できるこの国に未来はあるのか?

皆で絶望しよう。

この国でまともだと認められることは即ち、他人の命や生活を見殺しにしてでも、利己的価値観を共有できる人間であると自認することだ。

命の為なら娯楽も金も社会の正義も捨て、餌さえ食えれば何でもいいと公言できる奴隷だと言うことだ。

この国で、大衆に常識人だと認められてはならない。

それは有害で無能な畜群と自認することにほかならない。

そうではなく、自分に、過去の日本に、そして未来の日本に胸を張れる人間になろう。

そう考えられれば、案外イジメ、社会からの拒絶なんて馬鹿馬鹿しいことだと気づけるだろう。

社会に面従腹背しながら生きていこう。

勿論、大衆も稀に正しいことを言うし、するだろう。そう言う時だけ仲間であると言えばよい。

後は馬鹿を装って、質問攻撃すればいい。

イジメに加担はするな。イジメとは画一的な正義しか認められない空間で発生する。

我々は寛容になろう。人間は馬鹿であると。ただ賢さもあると。それ等と上手く付き合うことが人生だと。

いずれ、彼等の過ちは公のものとなる。

それまで味方していなかったと、味方していたものに味方していただろう、と言えるようになろう。


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