教誨師

その存在は今回初めて知った訳ではないが、とても面白い記事だった。

特に一人目のガラルダさんの話が興味深い。

ガラルダさんが、これまでに受け持った死刑囚との対話の一端を明かした。一人は哲学が好きで「本を読んで感動しても、人と話せないことがつらい」と話す。別の一人は自身を灯台に例え「私の歩んだ道を歩まないよう示すことが、私の生きる道だ」と語る。

そうなんだよな。結局死刑になるような重犯罪を犯す人達って、結局真っ直ぐな愛情を知らない人達なんだよ。

そしてその真っ直ぐな愛情に気付く時は、己の終わる時と言う残酷な現実がある。

ガラルダさんは「彼らは人間として成長している」と感じている。「死刑囚には考える時間があり、『深いところの自分』と仲良く話すからだ」。ガラルダさんはこれを「充実した沈黙」と表現する。ただ、「浅いところの自分」としか話せない死刑囚は罪と向き合えず、境遇に不満を述べるのだそうだ。

犯罪者に限らずそうだろう。深いところの自分と向き合う落ち着きを手に入れた人は、浅く薄っぺらく常に不安で動揺する人間より遥かに理性的で強い。

「沈黙」の程度にも注意が必要と考えている。家族と疎遠で面会者がいない死刑囚も多い。このため「アウトプットの機会がなく、内にこもり、自己弁護と憎しみを生んでしまうことがある」。高齢で膝も悪いガラルダさんが通い続けるのは、貴重な会話の機会を奪わないようにするためだ。

これもいい視点で、やはり人間、社会と言うものに積極的に向き合うと言うのはこう言う事態を防ぐ為にも必要なのだと気づかせてくれる。



しかし、

話がここで終わればよかったのに、次の脈絡のない文章が全てをぶち壊す。

とても美味しいコース料理を食べて食後の余韻に浸る時に、目の前でウェイターに爆音でうんこを漏らされたような気持ちになる。

 死刑制度には賛成できない。「正義の名の下に、改心した人の命を奪う必要はあるのか。政府がリーダーシップを取って、まずは議論するべきだ」。一方で「反対派の一部は、執行の暴力性をセンセーショナルに強調しすぎている」と感じており、「死刑という『報復』によって被害者遺族が本当に救われるのかという視点で考えてみたらどうか」と提案する。

そもそも発言者が誰かも分からないし、脈絡がない。誰も校閲してないのか?こう言う手の抜き方は不快感この上ない。

続く二人の話も薄っぺらく、つまらないものだった。

ガラルダさん一本でいくべき内容だった。

そして、これを踏まえて俺の独断と偏見を垂れ流す。

ここ数年、犯罪への重罰化がよく言われるように思うが、

アプローチが基本的に間違っている。

健康の話で言うならば、心も体も健康である為の議論により、社会、医療、老後の経済、財政等々トータル的に議論すべきところを、

手術の自由化、選択性や処方薬の緩和に求めているようなものだ。

起きないように、また起きても立ち直れたり、受け入れたりする勁さが必要なのに、

そこには全く配慮せず、起きた後の話を、しかも過激でハイリスクな方にばかり議論を進めようとする社会に違和感しかない。

コメント欄の馬鹿をなじろう。

いろいろ考えさせられるけど、した事の罪に対する刑罰だからね。
その事件の被害者、被害者家族が居ることも忘れずに!
私は死刑制度はやはり必要だと思います。

色々考えたと称し、結論がやった責任はお前のみにある、被害者等の為に当然報いろ!刑死しろ!

と言うことだ。きっと彼は3足す1にも熟考する程賢いのだろう。

だから余りにもしょうもない結論に「色々考え」たと平気でつけることができる。

知性も道徳観も小学生低学年レベルだ。

知性ある大人が考えねばならないのはそこではなく、寧ろこの手のわからず屋が誰かに執拗に独善的な道徳的価値観を押し付けることが、犯罪に手を染めるかどうかの分水嶺に立つ者を、犯罪側に突き落とす可能性についてだろう。

法や道徳を尊重することに意義を見出すのは、それが尊重する価値があると見做されるからだ。

例えば人間は例外なく過ちを犯す。

その犯した過ちが公正に裁かれるようなものなら、

人々は尊重するだろう。

例えば殺人なら死刑、窃盗なら懲役、道交法違反なら減点と罰金、と言うように。しかもそれが国民に公正に課された場合なら。

しかし日本ではそんな公正さはない。平気でお偉いさんはスルーされたりするし、或いは有名人は不当にバッシングされ、地域からも村八分とされる。

こうなるとルールと言うのは守るべきものではなくなる。

罪とは隠すべきものとなる。

あくまで罰とは法律に定められているものに限るべきた。

それ以上に平気で村八分にする環境こそ、自身への遵法精神の必要性を破壊し、再犯を促す原因となる。

法律を守ったりすることに意義なんて彼等にはない。

皆が敵として見てくるのなら、彼等も社会を敵とする他ない。

そうやって見せかけの、上辺だけの道徳、善良、正義主義は、

結局犯罪者に引き止める力どころか、背中を押す力を存分に働かすのだ。

社会の在り方を考え、更生するべきは決して犯罪者だけではない。

社会に生きる汎ゆる人々の努めと言えるだろう。

最後に死刑について触れる。

死刑とは社会の公正を保つ為に必要な罰である。

上辺だけの人道主義でしてしまったことへの償いそのものを否定するのは、

流石に能天気過ぎる。

ルールがある以上、しかもそこに社会を安定させる為の機能がある以上、否定すべきではない。

また、海外の死刑の無い国は、現行犯を裁判もなしに射殺する国ばかりである。

果たして本当に人命や人権を尊重しているのは、逆に言えば欺瞞が酷い国や社会とはどんな国なのか、考えてもいいのではないか。



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