見出し画像

第1話『うどんを打つということ』

彼はうどんを打つ前、お風呂に入って体をキレイにする。ボウルと計量器、計量カップとスプーンと、それから水と塩をテーブルに置く。粉袋から小麦をすくってはかりにかける。水と塩を混ぜる。結晶が解けきるまで混ぜる。まるで魂が抜けるみたいに、ぼやっとした輪郭が水に浸透したらかき混ぜるのをやめる。ボウルに入れた小麦に手を入れてなじませる。小麦の温度や鮮度がわかってきたのはいつからだっただろうか。指先から水かきまでに絡まる粉を感じながらほぐしていく。そうしてやっと食塩水をボウルに入れる。彼が初めてうどんを打ったその日から、ほとんどルーチンワークのようになっていた。

(うどん。丁度いい具合に茹だっている)

当時、彼にはお金がなかったし、お米もなかった。ただ小麦があって塩もあって、だからうどんを打ったんだと思う。たぶん、はじめのうちはただの自己満足だった。うどんを打ち始める動機を考えたとき、お腹を満たす以外に思いつかなかった。ほとんど毎日うどんを打って、自分だけで食べていた。しかし、そのうち、いろいろなことに気が付いてくる。

「毎日ちょっと味が違うな」

「今日は少し硬いな」

「角ばったり丸かったり、なんだろう」

「太い細いがあるのはなぜ」

打った回数がまだ両手で数えられるころ、茹でている最中にたびたび試食してみるようになった。ぐつぐつの鍋から数分おきに一本拾って噛んで、麺の中心を見る。黄色い部分が多かったり、層のようになっていたり、同じように見えるうどんに変化が生まれることに気がついた。でもまだこのころは気づいただけだったと思う。そのころの彼にとってうどんはただ空腹を満たすためのものでしかない。しかし、小さいけれど確かな想いが芽生えていた。

「自分のうどんの、もう一歩先を知りたいな」

彼は今でも覚えている。自分の先を見てみたいと思ったことを。別に料理が好きだったわけではないし、ましてうどんよりラーメン派だった。純粋に興味がわいただけなんだろう。頭の片隅に生まれた想いの種。それがはじまり。

そして転機はやってくるのである。

いつかやってくるその日のために、彼は歩み始めたのだ。

(今の姿。)

ヒーローを応援したい!と思われた方は、支援をしていただけるとヒーローが喜びます🦸‍♀️