シタクチビル

つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとな…

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つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

最近の記事

雨の日は耳を澄ます 薄暗い部屋の中 布団を敷いて 横になり 一人雨音に集中する 音 音 音 雨が降る音 窓に当たる音 地面で跳ねる音 この音を聞く瞬間がたまらなく好きだ いつか誰かが言っていた 雨の日は心が踊る と 晴れのち雨の日 大概僕は傘を持っていない 雨にぬれ 心も曇り 僕はため息をつく だけど誰かは言っていた 傘に当たる雨の音が好きだ と いつしか僕も好きになる  音 音 音 たまらなく悪い部分もあれば たまらなく良い部分もある そりゃそうだ 

    • シン・エヴァ、感想。

      僕と同じ男子なら、分かる人も居ると思うのだけれど、高校生やあるいはもう少し幼い頃、対等な大人に見られようとカッコをつけていた時代があると思う。 これも分かると思うのだけれど、高校生やもう少し幼い頃、初めて好きになったり、本気で好きだと思えた女の子は、良い思い出であれ、勿論そうでなくても、忘れ得ぬ人として心の中にいる事だろう。 その当時は子供だから、ただただ自分の事を見て貰おうと、なりふり構わず必死にアピールをする。しかし、自分の事しか考えていないのを相手に見透かされるのか

      • 物差し価値観判断基準。

        「自分の物差しでしか測れない人は、不幸な人だ。」 最近耳にした言葉である。 僕は、性格が悪い。 誰かが、何かを発言していたら、真っ向から反対したくなる。すこしでも穴を見つけたら、揚げ足を取ろうとする。そして、自分が正しいという事を声高に主張したいのだ。 そんな裸の王様のような僕には、耳が痛くなる言葉だ。そんな僕に、周りの人間が言い放った言葉かも知れない。 僕は、性格が悪い。 その理論に穴があるのなら、屁理屈だろうがこねてやろう。 「如何様にして、他人の物差しを利

        • テトテ

          誰かを支えたい 誰かの力になりたい 誰かの役に立ちたい 人して、人間として、社会の中で生きる我々は当然抱く感情である、様に思う。家族であったり、恋人、親友、友人、同僚、後輩、自分にとって欠かせない大切な人たちの、幸せを願い、支えになりたいと思う。当然の感情である。 そこでふと思う。 「誰かを支えるとは何か」 一体どんな事をすれば、誰かの支えになる事ができるのだろうかと。 そして、それとは対照的に、どこまで行っても第三者の僕にはできる事など、無いのではないか、とも