日本最西端パワースポット・沖縄県与那国島 海底遺跡
全国的に厳しい暑さが続いていますが、少し前に沖縄県の与那国島に行っていました。
沖縄県は現在、もちろん日本ではあるものの、文化的には異なった部分もあると感じています。
歴史を振り返ると、琉球王国があり、宗教・祭祀形態についても、独特なものがあると思います。久高島、聞得大君(きこえおおきみ)、イザイホーなどを調べた際には、引き込まれるように本を読んだ記憶があります。
今回は、沖縄本島から飛行機で1時間ほどの石垣島から、さらに飛行機で30分ほどの与那国島に行ってきました。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、与那国島の南の沖合には「与那国島海底地形」と呼ばれる人工的な遺跡とも見られる構造物が海底に存在しています。この海底地形については、与那国島から観光船(半潜水型海底遺跡観光船ジャックス・ドルフィン号)が出ているので近くに行って見ることが可能です。ダイビングスポットにもなっているようです。
元々この与那国島海底地形は、1986年に地元のダイバーによって島の南側に巨大な階段構造が発見され、琉球大学理学部教授であった木村政昭氏を中心に調査がなされていたもの。学術的には人工の構造物ではないことですでに決着しているとのことで、沖縄県も遺跡の認定はしていません。
しかし、与那国島に行く前から、また、実際に現地に行って感じたことなどを考慮して、ここでは「与那国島海底遺跡」と呼ばせていただきます。
この海底遺跡は、与那国島南部の新川鼻沖の海底に広がる東西約250m、南北約150m、高低差約25mにおよぶ階段状の構造で神殿のような構造をしているものです。
今回はこの海底遺跡付近に行ってすべきことがあったのですが、この遺跡自体は海の中なので行けません。海底遺跡の近くまで行こうとしますが、新川鼻岬付近の地形がよくわからず、海岸沿いにも近づくことができません。
海岸沿いへ出るために森の中に通じる道へ進みますが、はっきりとした地図がないため、やはり海に出るのは難しいようでした。
そこで、海底遺跡まで見晴らせる場所を探し、そこでこの島、エリアに関連した存在に意識を合わせていきます。
この島の上の方には、太平洋を分割した地域を担当する存在がいらっしゃるようで、沖縄周辺の海域を含めて、それよりも大きな地域をみているようです。
かつては自然と人との意識が繋がってた時代があり、自然が多くの食べ物などを人に提供して分かち合って生きていた時代があったようです。
しかし、時代が下るにつれ人の中に「あるもの」が生まれてきた結果として、次第にその社会に変化が現れていったようです。
時代としてはとっても昔のお話のようです。そうした人と自然がつながっていた時代の名残りは、どうも縄文時代の人々の生活に一部繋がっているようです。(もう少し情報を得ましたが、長くなるので別の機会があれば書きたいと思います。)
ただ、「レムリアと呼ばれる文明、時代があった」「そのエネルギーを復活させる時期がきている」「縄文の人々の生活を思い出す」「太古から続く縄文の神々を復活させる」ということを聞くこともありますが、どういう背景でそうしたメッセージがどこからともなく現れてくるのか、少しばかり理解できたように思います。
今回、与那国島へ来た目的は一旦達成ですが、やはり現地に行って自分の足で歩いて、目で見て、体で感じるとわかるものがあると再認識しました。
石垣の空と海も綺麗でしたが、本当に与那国島の周囲に広がる真っ青な空と海の光景は純粋に美しかったです。
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