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ヤングケアラーうま美

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元「ヤングケアラー」うま美の自己紹介

元「ヤングケアラー」うま美の自己紹介

はじめまして。元「ヤングケアラー」うま美です。

私は、4世代7人家族の家に生まれ、小学1年生から高校卒業までの間、介護生活を経験しました。小学生の時、私の両親は離婚し、年寄り4人を抱えた母は、一家の大黒柱として働きながらの介護生活。

そんな母と二人三脚で、認知症や病気の家族を介護し、看取った経験を持つ、元「ヤングケアラー」です。

辛い時こそ、鼻歌を歌い、根っからのおっちょこちょいで「サザエさ

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畑に横たわる大きな犬の正体

畑に横たわる大きな犬の正体

私は、小学校から帰るといつも、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの家の敷地を通って、お店を営んでいる母のいる場所へ戻る。

家族で商店を営んでいた我が家。幼稚園に通うまで、私は毎日ひいおじいちゃんの家で過ごし、幼稚園に通い始めてからも、体の弱かった私は、ほとんどひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの家で過ごしていた。

火鉢にはいつも鉄瓶にお湯が沸き、シュンシュンと心地よいリズムを刻む。「ボーン ボ

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金の鯉 銀の鯉

金の鯉 銀の鯉

ひいおじいちゃんは、自分の庭をこよなく愛していた。そして、風流な人だった。

家の居間からは、池と和風庭園が眺められるようになっていた。冬になると寒さをしのぎながらも、庭の雪景色が楽しめるようにと、雪見障子に変えて暮らす。

ボーン、ボーンと時を告げる柱時計。火鉢には、いつも鉄瓶でシュンシュンとお湯が沸き、きちんと整頓された空間で、静かに時が流れる。

私は小さい頃、熱を出すと、母のいる仕事場では

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杖を振りまわし大行進

杖を振りまわし大行進

ひいおじいちゃんは、背が高かった。175センチと、明治生まれの人にしては大きかったと思う。

ひいおじいちゃんの徘徊が頻繁になった時期があった。当時、我が家は、同じ敷地内の中に、店舗と私たちが暮らす自宅、祖父が住む家、ひいおじいちゃん宅と、4棟になっていた。

家業で商店を営んでいたため、その頃は、主にひいおばあちゃんがひいおじいちゃんの介護にあたっていた。

一日中、ひいおじいちゃんの様子を見な

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ひいおじいちゃんと3度目のおこづかい

ひいおじいちゃんと3度目のおこづかい

我が家は、自営業で商店を営んでいたため、旅行や娯楽などを家族ですることがほとんどなかった。仕入れで京都や東京へ出るときに、たまにひっついていくことが私の中での家族旅行だった。いまだに仕事以外で家を空け、余暇を楽しもうとすると、どう楽しみ尽くしたらいいのかわからず、ドギマギしてしまうことがある。

小学生の頃、めずらしく両親と出かけることになった。今となっては、どこに行ったのか覚えていない。

出か

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思い出の肖像

思い出の肖像

認知症の場合、急にすべてが分からなくなるわけではない。一緒に暮らしていると、まるで空の天気のようだ。晴れたり、曇ったり、時には嵐のような風が吹く。そして、また穏やかな小春日和のような時が来る。

ただ、これが一日の中でくるくると目まぐるしく起こるのも、特徴の一つかもしれない。

ひいおじいちゃんも、認知症が進んでいく段階で、自分自身でも変化に気づいていたようだ。

ある日、母がひいおじいちゃんに呼

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布おむつと秘密のミッション

布おむつと秘密のミッション

私が小学校に入学し、それまでのようにひいおじいちゃんの家で過ごす時間が少なくなっていった頃、ひいおじいちゃんもまた、日々寝たきりの状態になり始めていた。

もともと無口な人で、にぎやかな家ではなかったが、時には3人でひいおばあちゃんの指導の下、「炭坑節」をうたい、円を描きながら盆踊りを踊ったり、「のり巻きにして!」という私を、布団でくるくると巻いてくれたり、でんぐり返しの練習に付き合ってくれたりし

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