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はじめてnote困っている人を助けたいだけの美容師


人それぞれ正解の違う美容という世界

美容師と言われるとカリスマとかセンスとか手先が器用だとか
そんな言葉が付属してくることが多い

有名な美容師と言ったら一等地で高額なサービス提供とメディアに露出して独自のカットを披露する
何ヶ月も予約が埋まる憧れのカリスマをイメージする方も多いのではないだろうか。

それとはまた違った趣向で、指名なし10分1000円のドライカットや
訪問医療の美容師、商店街にある地域に根ざした個人オーナーの美容師など
様々な価値観に合った美容師が存在し

私はと言うと平均的な価格で特別専門的な技術もない美容師を選んで現在に至る。
今年で美容師15年目、様々な経験からそこに辿り着き、そんな自分だからこそ何か世の中の役に立てるのではないかとnoteを始めることにした。

美容師を目指したきっかけ

小学5年生の頃から一人で美容室に行くようになり
大人しくあまり話さない性格だった為、当時の髪を切ってくれてた美容師さんには背の低い高校生だと思われていた。

中学校になったときに運動部に所属してショートカットにしたくなり
当時はウルフカットが流行っていたので
初めて行く美容室で「森田剛みたいなショートにしてください」とオーダーをするものの
毎回美容師さんに「女の子なのに・・・?」と躊躇され
なかなか思うような髪型に切ってもらえず、電車に乗って移動してまで転々と美容室に通っていた。

そして出会ったのが23歳のチャラそうな男性美容師で
高校卒業後、美容室で働きつつ通信制の学校に通いながら国家資格を取って
21歳でスタイリストになったという珍しい経歴の方だった。
私のオーダーにノリノリで応えてくれつつ
コンプレックスだったつむじと襟足の毛流を綺麗に完璧に作ってくれたし
何よりもラフな接客が居心地良く、人見知りの私が初対面で笑顔で話せたのも奇跡だったと思う。

次の日学校で同じ部活の友達から大好評で「どこの美容室!?」と聞かれ
何人か私と同じ髪型になったのも楽しく
それまで将来の夢は声優だったのが美容師に変わった。

美容学校も初めは全く馴染めなかった

おしゃれに興味がなく高校も部活ばっかりでメイクも未経験だったので
美容学校に入学してみると雑誌のストリートスナップの常連の同級生やカリスマ美容師に憧れている同級生が多く、
有名店に多くの卒業生を輩出している学校だったので、1流美容師を目指していなかった私はかなり浮いていた。
服装のダサさから陰であだ名をつけられるくらい浮いていた。笑

担任の先生からメイクとファッションをちゃんとする事を勧められ、デパートコスメやファッション雑誌を読み漁り
おしゃれな友人に服装プロデュースもしてもらったりして、陰でヒソヒソされる事は無くなったが
表参道エリアの有名店には髪を切りに行ったりしてみた結果、全く就職したいと思えなかったし、今でも就職しなかったことが自分の器には合っていたと思う。

新卒で勤めたのは都内の地域密着サロン

いざ就活の時期になりどこで働くのが良いか考えたときに
東京の美容学校だったので地元で就職するのはなんだか勿体無い気がして
色んなお店に見学しに行った結果、「有名店出身の美容師が4人で独立して作った学生街にある美容室」が技術と雰囲気のバランスがしっくりきた。

とにかく不器用で人に気を遣いすぎて空回り
営業後終電まで練習と駅でカットモデル探しに声かけまくる日々の疲れで
寝坊して職場からの電話で起きたり、時々おねしょしてしまったり
軽い鬱のような自分が何のために頑張っているのか見えない日々でも
マッサージと優しい接客だけは褒めてもらっていた。

何も出来ないので沢山の人に迷惑かけて沢山の事を学ばせてもらったあの日々は本当に感謝しかない。
そして東日本の震災が起き、当時は夫婦経営のお店に一人アシスタントで働いていたのがお店を閉めて地元に戻ると言われ
私も当時の相場である手取り12万で都内に暮らし続けることに限界を感じ、一旦実家に戻って地元で美容師することにした。

アシスタントを極めた健康オタクな地域密着サロン

コスパに厳しいで有名なエリアにある、2DKのマンション一室を改装した4席の女性美容師オーナーの個人店で6年アシスタントをした。

カットモデルはminimoでオンラインで探せるようになったので駅で声かけなくて良くなったのと
ホットペッパーでネット予約も始まり留守電聞いてかけ直す手間もなくなりアシスタント業務は数年でかなり楽になった。ITに感謝。

オーガニックやヨガブームが起きていたのでオーガニックヘッドスパのディプロマを取った際に無農薬やヴィーガンのことなど勉強したり
アシスタントは私一人だったのでほとんどのスパを担当し
マイクロスコープを使って年間1000人は頭皮診断したのも好評で
オーガニック商材のメーカーから雑誌リンネルの掲載のインタビューの話があり雑誌デビューさせてもらえて嬉しかった。

6年間で薄毛や白髪の改善や、様々なアレルギーや身体の状態から頭皮への影響などを経過観察でき
もっと知りたくなって年に1回の夏休みをハワイ島にマッサージ合宿に当てたり
休日に表参道にある東洋医学ベースの反射療法の学校に通ったりと
普通の美容師があまり知らないであろうことに20代を捧げた。

スタイリストとして経験を積むために業務委託サロンへ

個人店の良い所は一人一人のお客様と何年もじっくり向き合えることで
新しく出会うお客様は少なく、スタイリストになって自分のお客様を担当したいと思っても、限られた席数の中ではどうしても先輩の枠を奪って自分の枠を増やすようなことになってしまい
ずっとアシスタントポジションで居た方が良いのか悩んで居たときに
友人が業務委託からFCオーナーになり、スタイリストとして働かないかという話をくれた。
業務委託という働き方がまだ業界でも流行り始めだったので周りからはかなり心配されたり反対されたが
完全歩合なら他のスタッフを手伝ったりする展開もなく、マンツーマンでじっくりトータルでお客様と向き合えることが私のニーズに合っていた。
今では業務委託を選ぶ人がかなり増えインボイスなども始まったけど
本当に良い時代で働きやすい業界になってきてよかったと思う。

30代を見据えて3店舗掛け持って働いた

初めて働いた業務委託はいわゆる低単価サロンで短時間で沢山の人数をこなす雰囲気で、自分がアシスタント時代に身につけたことが活かせない状況だった為、都内一等地の個人店で高単価サロンで週1〜2日働くことにした。
実際2拠点で働いて驚いたことは高単価でも低単価でも貰える給料はあまり変わらないということ。
カット2500円と6600円のお店で働いてみてどちらも全く違う学びがあり色々考えた結果、自分には平均的なお店が一番と感じたのでカット4800円のお店で働いてみたらすごく居心地良かったので
他の2拠点は徐々にフェードアウトして最終的には1拠点に落ち着いた。

念願だったトータルでお客様とじっくり向き合える環境でフリーランス

ヘッドスパに力を入れてる会社でディプロマ2種類取得が入社時の研修にあり、講師の方に「持って生まれた物も含めリラクゼーションだけでも十分やっていける方ですね」と褒めてもらえたときに今までやってきたことは独りよがりじゃなかったと勇気をもらえて走り続ける活力を頂けた。
特別お洒落でもなく美容師としての技術で特別目立つものはもっていなく、学生時代から継続して周りの美容師にはマウントを取られることが多かったので大きなお店で働くのは自分には合っていないと感じる日々。
友人のお店で店長させてもらった時には肩書きで指名してくださる方が「あなたのセンスにお任せします」というオーダーが多かったことに戸惑い、
店長という肩書きは私の人間性に合わないお客様を引き寄せる感じがして、正社員から幹部を目指すキャリアは選択肢から除外した。
その頃から自分には完璧な容姿の方に更に美しくなる方法を求められるより、悩みを抱えてる方の解決方法を提案するスタンスの方が合っていると気づき、コロナ禍に市販ヘアケア解説のYouTubeを開設し始めた。
市販シャンプーの相談にのれる美容師は珍しくお客様からは好評で、キャンセルが出て空いてしまった時間に動画編集ができたら良いなと思って個室サロンでのフリーランスになり現在に至る。

これからの目標

シャンプー難民を無くためにSNSの情報だけでなく、自分に合う製品を選べるようになる知識を発信する。
自分に合う製品を可視化しやすいアプリ開発もしたい。
通ってくださるお客様の事を身体が動く限りサポートし続ける。

長くなってしまいましたが最後までご覧いただきありがとうございました。





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