#16 【馬コーチング】念仏が届かないなら、どう伝えよう。
〜理不尽を学ぶ〜
一見「メリーゴーランド」のような
"クルクル部班レッスン"が
『実は必死』
と、お伝えしたのは
前回までのおはなし。
娘は、
馬に向き合うことで
"楽しさ"の他に
"理不尽"を学ぶ機会に恵まれました。
馬は思う通りに動いてくれません。
文句を言って動く訳でなし、
馬に怒るのもお門違い。
必死に、無言で
馬と対話することで、
次第に
馬が動かないのは
馬のせいではなく
/
自分のせい
\
だと理解し、
日常生活でうまくいかないことがあっても
表現の仕方を変えてみたり、
「誰かのせい・何かのせい」
にすることが減りました。
そしてレッスンでは
先生ごとに言うことが違います。
「前回教わったこと」に
頑なにこだわっていると
馬上で混乱します。
馬が違うのだから
乗り方が変わってくるのは
ある意味当然かも知れません。
先生自身が学んできた
時代背景も違うので、
先生ごとの”常識”が違うのも
理解できます。
「教えてくれる先生ごとに
やり方を変える」
くらいの柔軟さがあると、
いちいち腹を立てることもありません。
まれに、教わってもいないことを
「そんなことも知らないの」と
不機嫌そうにする先生もいて
子どもながらに理不尽な思いもします。
しかし、社会とは
理不尽そのもの。
社会に出たら
"言葉が伝わらない人"
"言うことが毎回変わる上司"なんて、
いくらでもいます。
馬は言うことを聞かない。
先生も毎回違うことをいう。
でも、回数をこなしていけば
言葉を越えた”馬に伝える技術"
が身につき、
先生が出す指示の意図するところも
分かるようになる。(かもしれない)
「伝えたいことをどう伝えるか」
そんなことを
乗馬を通して「体得」してもらえたら
いいんじゃないかな、と
思っています。
つづく…
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