ノーレシピライフ

仕事が終わって、買い物に行く。

近くの個人商店で見切りのナスと特売の豚肉を買う。

ナスを乱切りに、豚肉はそのまま、友達からもらったティファールで炒める。

味付けは親から送られてきた醤油、友達とやったバーベキューの残りのほりにし。

レシピはない。

その日の気分と特売に左右されて、料理を作る。

美味しくなるかわからない、正しいかわからない そんな料理。



人生は情報収集が肝だ。

インターネットもSNSも人脈も、全ては情報収集のためである。

と、いうのはだいぶ言い過ぎだけれど、

どうやら、仕事や人生をうまく渡っていくには情報が必要らしい。

そしてそれを焚きつけるように絶対にうまくいく「レシピ」がありふれている。


美味しい料理や良い結果、素晴らしい日々のためには、

正しい情報で、裏付けされた方法で、適切なタイミングで、

間違いなく事を進めなければならない。

信用に足る誰かの書いたレシピで、用法、容量を守って

料理を、仕事を、生活をつくっていけば

それはそれは良いものができるのだ。

間違えなければ。



けれど、そんなレシピたちは

作った料理が美味しくなかったとき、

仕事がうまくいかなかったとき、

生活がつまづいたとき、

それは自分の怠惰のせいだと責めてくる。

美味しくない料理を食べてるだけで十分落ち込んでるってのに。



思うまま選んで、気のままに作って、

それだけで楽しいはずなのに。

たとえ、まずいものができたとしても。


素敵な未来を得るための計画と

愉快な今を過ごすための無計画と

どう調合すれば旨いスパイスになるだろう、ほりにしみたいに。


生き方なんてわからないし、

でも、この先幸せに生きたいとは思うけれど

とりあえず、ご飯くらいは気の向くまま作っていたい。

レシピはなしで。


7割のまあまあ、2割のイマイチ、だけど、1割の最高で図にのって、

ノーレシピライフ。


特売と気分に振り回され、明日は何を作ろうか。

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