ろうと手話

コロナ禍になってから、人とコミュニケーションをとるのが物理的にも精神的にも難しくなっていますよね。
手話のコミュニケーションがマスクでさらに阻害されているというのを以前ニュースで見たことがあったので、思わず手に取った本です。


無知だなーって実感したのは冒頭で
「日本語を母語としない「ろう者」がいる」
の一言。
私は、ろう者ではないので、この文字の意味が最初わかりませんでした。
日本で産まれて育ったら、日本語が母語になるんじゃないの?って思ったから。

この考え方の前提を理解できていないんです、私は。
両親など(子どものときに育つ環境下に日本語を話しかけてくれる人)がいて、その話声を自分の耳で聞こえるからこそ成り立つことなんです。
つまりは片方が欠けていれば、日本語が母語として成り立つ環境にはならない。
自分にとっての当たり前が他の人にとって当たり前ではないっていうのを考えさせられました。

手話ってなんとなく、童謡の手遊びくらいにしかとらえてなかった自分の浅はかさを恥じました、、
そもそもの手話を何にも分かっていなかったんだなって、

また、障害という表現も何を主軸におくのかで、意味合いが全く異なっていくのだなと。
耳が聞こえないことが障害と捉えていましたが、それは耳の聞こえることが前提となっている生活の中だから言えること。そんな環境になっていることが障害なんですよね。
前提が異なる環境であれば、そもそもとして障害なんて発生しない。
想像力と理解力が問われる課題で、なかなか理解が難しいことです。。

答えのない問題なのかもですが、やさしい社会になるにはどうしたらいいんだろうと考えさせられます。
でも、読みやすいので「知らんかった!」と思いながらも、あっという間に読み終えちゃいました。

本の文中にはいくつかやさしい日本語の表現があるのですが、これは本当に必要な表現だと感じました。
日本語しか分からないわたしですが、この表現が正確に出来るのかなと冷や汗がでそうでした。なので、学んでおきたいなと。

欲を言えば、政治家さんとか公務員さんとかわかりやすい表現が求められる人たちみんながやさしい日本語で全てを説明してくれる世の中になればいいのになとふんわり思います。

それがやさしい社会への一歩なのかなと。
なかなかそんな世の中にはならないんだと思いますが、そんな社会ができるといいのにな。

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