被告アグネスデジタル、死刑

「被告に判決を言い渡す」

シンボリルドルフは懸命にそこまで絞り出したものの、次の台詞を言い淀まずにはいられなかった。沈黙が再び波のように押し寄せ、傷付いた彼女の良心を容赦なく撫で回した。シンボリルドルフはその痛みを誤魔化すように唇を強く噛み締めた。

アグネスデジタルは迷子のように彷徨する彼女の瞳を見つめたまま、この瞬間が永遠に続けばいいと思った。いや、それは越権というものだ。彼女にとっては、シンボリルドルフが自分の処遇について何らかの人道的葛藤を催しているというその事実だけで至極愉悦の境地だった。しかし、だからこそ、自分は罰を受けねばならないのだと彼女は覚悟していた。

アグネスデジタルは心の中に絶対順守の規範を掲げていた。

オタク三原則
一つ、推しに触れるべからず
一つ、推しの評判を落とすべからず
一つ、推しのすべてに満足すべし

神様、あたしはこれを破りました。

アグネスデジタルは下半身から突き上がる情動を断ち切るべく、弛緩しかけていた姿勢を正した。さ、最後くらい本当に純粋なオタクのあたしでいなくちゃ。

シンボリルドルフはなおも沈黙していたが、いよいよ堪えきれず、生徒会室の隅で腕を組んでいたエアグルーヴに「すまないが水を取ってくれないか」と言った。エアグルーヴは見るからに気分を害されたように眉を吊り上げた。

「ご自分でお取りになられてはいかがですか」エアグルーヴが刺々しく言った。「いつまでも昭和的なジェンダーロールに振り回される我々の身にもなっていただきたいものですね」

「水臭いじゃないか」シンボリルドルフは肩をすくめた。「・・・水だけに」

再び訪れる沈黙。アグネスデジタルは努めて敬虔な気持ちで審判の瞬間を待ったが、次に沈黙を破ったのは後方からのがなり声だった。

「いい加減にしてくれよ!」

ナリタブライアンが右拳で机の天板を叩き割った。アグネスデジタルは振り向きたい衝動を抑えたまま前方を見据えていた。

「何をいつまで迷ってる?」ナリタブライアンはパンッ、と手を叩き合わせた。「私が男らしく審判を下してやる」

シンボリルドルフは何事か言いかけたが、ナリタブライアンの単刀直入な一言はその余地をアグネスデジタルの運命もろともバッサリ切り落とした。

「死刑」

どうしてこんなことになってしまったんだろう。アグネスデジタルは輪郭から徐々に白く覆われていく思考の中で必死に記憶の糸を探し求めた。「男らしく、などとという言い回しはジェンダーロールの再生産を助長するものであってな、」とエアグルーヴが説教を垂れている。ナリタブライアンは「うるせえ」と男らしく反論。「騒がしい惑星、うる星」とシンボリルドルフ。沈黙。

どうしてこんなことになってしまったんだろう?

アグネスデジタルは果たして自分にこの門をくぐる権利があるのか、と今一度躊躇を覚えた。自分がこの門をくぐることは、言うなれば真昼の往来の真ん中へ目障りな塵芥のように転がり出ることを意味する。それを発見した「推し」の不快な表情だって容易に想像できる。彼女はそれさえをも恩寵と思えるほどには身を堕していなかった。

できる限り目立たないように―と彼女は思った―塵芥は塵芥でも、あたしは無害な塵芥を目指す。あたしはたくさんの「推し」たちが投げかける影に溶け込む塵芥になる。そう固く決意してアグネスデジタルはトレセン学園の門をくぐった。

・・・とは言ったもののやっぱ無理っす、ハイ。ハイってか灰っすよもう。マジで。

アグネスデジタルは早くも理性と本能の境界線上で危うい綱渡りを強いられていた。彼女がトレセン学園に入学した訳はといえば、それはもちろん至近距離において「推し」たちの神々しい御姿を拝見することだった。しかし学園という空間は、言わずもがな学業や部活動を通じて生徒同士の信頼関係を練磨する場だ。

アグネスデジタルは努めて無害な塵芥に徹しようとしていたが、「推し」たちは彼女が必死に拵えた第四の壁をいとも簡単に破壊して彼女に接近した。

「アグネスデジタル君、だったね?」

引っ越し用具を抱えながら青息吐息のまま指定された寮の部屋に入ると、見知ったシルエットのウマ娘が窓際に腰掛けていた。

「えあっ!?!?・・・ああああああアグネスたたたたたたタキオン・・・・・・様!?!?」

アグネスデジタルのあまりの狼狽ぶりに、アグネスタキオンは虚を突かれたように目を丸くした。そこには確かな好奇心が萌していた。

「おやおや、そんなに取り乱してどうしたというのだい?」

「いえっだって、あのっ、そのっ!デュフッ!」

「まあいいさ。とにかく君は今日から私のルームメイト、だそうだ。ま、よろしく頼むよ」

こんな一幕もあった。アグネスデジタルができる限り肩をすぼめながらおずおずと廊下を歩いていると、後方から天真爛漫な駆け足が迫ってきた。

「ねーキミキミ!」

栗色のツインテールが彼女の眼前で愛おしく揺れた。アーーなんかメッチャいい匂いする・・・

「キミ、いっつも最前でファル子のこと応援してくれてる子だよね?おんなじ学校だったんだ。えへへ、嬉しいな~」

ア~~~~~~~~~~~~~~~~~~ヤバ、あまりにもヤバ。なんかもう全てを抱き締めたい。身体をとかじゃなくて、この風景ごと。ってか世界?もう世界ごと抱き締めたい。えー、ゴホン。不肖アグネスデジタルは、彼女という尊さを遅滞なく遺漏なく容赦なく生み出してくださったこの世界を抱き締めさせていただきたくば存じ上げる次第でございます!好き~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!死

次に目覚めたとき、アグネスデジタルは保健室の天井を見上げていた。

「これでもう2週間連続ね」

保健室の先生が大きな溜息をついた。

至福すぎる絶望の日々にいよいよ耐えかねたアグネスデジタルは、「不退転」としたためた半紙をトレーナーに手渡したグラスワンダーの顰に倣い、部屋の壁に「オタク三原則」の条項を貼り出した。「推しに触れるべからず」「推しの評判を落とすべからず」「推しのすべてに満足すべし」。

すると彼女はトレセン学園に入学する前と同じようなバランス感覚を徐々に取り戻していった。つまり、液晶の前に鎮座し、ただ一方向的に愛を送り、勇姿を受け取ることだけを是とするストイックマインドを、彼女はトレセン学園という空間において再び確立したのだ。「オタク三原則」は学園で生活する彼女にとって液晶の役割を果たしていた、といっていいだろう。

しかしそれでも彼女に接近を試みる「推し」は絶えなかった。トレセン学園の生徒たちにとって、芝・ダートを問わず好成績を叩き出すアグネスデジタルの存在はあまりにも魅力的だったのだ。

「ちょっと聞いてくださいデジタルさん!」振り向くとウオッカの頬をつねっているダイワスカーレットの姿。「今の喧嘩、どっちが悪いと思います?」

「おいスカーレット!」ウオッカが声を荒げた。「デジタル先輩に迷惑かけんなよ」

アグネスデジタルは目の前が真っ白になりかけた。が、なんとか道化を装った。

「いや~、善悪とか余裕で超越してLOVEだったので何にもわかんないでしゅ~♡」

その後も洗礼は続いた。

「あのっ!デジタルさん!」
「よお、デジタルじゃねーか」
「デジタルっちオイーッス!」
「デジタルちゃん、ダート速いね~!」
「ややっ!デジタルさんではありませんか!」
「ボクの美しさにひれ伏したまえ!デジタル!」

アーーーーーーーーーーーやっぱ無理だよ~~~~~~~~~~~。

アグネスデジタルがパソコンの文字入力フォームに向かうことは当然の帰結だった。こうでもしなければ「オタク三原則」を守ることはできないと彼女は思った。

真夜中のラウンジに孤独な打鍵音が響き渡る。タイトルは『回転木バのデッド・ヒート』。ウオッカとダイワスカーレットが痴話喧嘩の果てに永久服従を賭けた模擬レースを行うという内容の二次創作小説だった。

それを書き終えたとき、彼女は自分の内部に堆積していた不健全な泥がいくぶんか外へ排出されたように感じた。彼女はそこで満足し、できあがった小説を文章投稿サイトの「下書き」に忍ばせるとパソコンを閉じた。まかり間違ってもこんな過激な代物を人様の目に晒すわけにはいかない。何よりウオッカたんとダイワスカーレットたんに失礼だ。

しかしこのとき、アグネスデジタルは大きな失態を犯した。というのも、彼女の押したタブは、「下書き」ではなく「公開」だったのだ。彼女がこの世界にもう一人存在するとしたら、彼女はきっとこう言うだろう。

「いやめっっっっっっっっちゃわかるそれ」

翌日、マンモスが何匹も通り過ぎた跡みたいな異様なエンゲージ数を見てアグネスデジタルは言葉を失った。すぐにこれを「下書き」に戻さなければ。しかしアグネスデジタルはエンゲージ数と同様に夥しい数のコメントが付いていることに気がついた。彼女は恐る恐るそれらを確認していった。彼女の予想に反し、その大半がきわめて好意的なものだった。

アグネスデジタルは『回転木バのデッド・ヒート』を「下書き」に戻すのをやめた。それから毎日のように二次創作小説を投稿しはじめた。

彼女は自分の創作物が他者の評価を得られていることを喜ばしく思った。「他者の要求」は勝手気ままな創作行為の大義名分としてこの上なく便利に機能する。

エンゲージやコメントが増えるのと比例するように、彼女の筆致も過激さを増していき、そこに登場するウマ娘たちの性格や特質もまた奇形的に先鋭化していった。

「グラスワンダーは極右」『シン・狂気の桜』
「ヒシアマゾンは黒人」『ドゥ・ザ・ライト・SING』
「マチカネフクキタルは陰謀論者」『マチカネフクキタるん(笑)』
「マルゼンスキーは喫煙者」『最後の喫煙バ』
「サトノダイヤモンドはメンヘラ」『呪いは栗色』
「エイシンフラッシュはナチズム信奉者」『ジャーマンヒストリーX』
「サイレンススズカはレズ」『すずか♰ほりっく』
「エアグルーヴはフェミニスト」『93年生まれ、エアグルーヴ』
「ナリタブライアンは漢気一本で生きてきた」『魁!ウマ娘塾』
「シンボリルドルフは笑いに関してだけTPOを弁えない」『シンボリルドルフさん、あなたに神のお恵みを』
「ゴールドシップは“全て”を知っている」『府中の紫のバラ』

云々。

彼女はろくでもない「推し」の設定を用いたろくでもない作品を次から次へと発表することに後ろめたさがないわけではなかった。しかし、所詮こんなものはお遊びだ。インターネットの広大な海の端っこに小石を投げ入れたところで、実際に何かが変わってしまうことなどあり得ない。あり得ない。絶対にあり得ない。たぶん。アグネスデジタルは半ば祈るようにして自分にそう言い聞かせた。

ある日、誰かがこんなコメントを寄越してきた。

「そこに愛はあるんか?」

アグネスデジタルはそのコメントをそっと削除した。彼女にとって二次創作の投稿はもはや呼吸に等しい生活の一部だった。そしてこのとき、回転木バはやがて来る大きな破綻に向かって既に回りはじめていた。

ある日、アグネスデジタルが廊下を歩いていると、向こうからマルゼンスキーが歩いてきた。彼女はアグネスデジタルに小さくウインクすると、そのまま教室棟の角を曲がっていった。アグネスデジタルは彼女の悠然たる所作に感銘を受けつつも、同時にどこか物足りなさを覚えた。

結局その物足りなさの正体を掴めぬまま一日が推移し、やがて放課後になった。アグネスデジタルは再び廊下でマルゼンスキーとすれ違った。植物の焦げたような匂いがして振り返ってみると、マルゼンスキーの口元にはタバコが咥えられていた。彼女はアグネスデジタルの視線に気がついたのか、立ち去りながら後ろ手にピースサインをした。

生温い電気ショックが彼女の脳天を直撃し、アグネスデジタルはその場に立ち尽くしたまま絶頂を迎えた。

その晩、アグネスデジタルは『1キロ半神話体系』という二次創作小説の中で、マルゼンスキーに「トレセン学園を既に5度留年している」という設定を付与した。

翌日、学園はマルゼンスキーが校内喫煙の罪により6度目の留年処置が下されたという噂で持ちきりになっていた。

アグネスデジタルは全身が震え、その場にへたり込んでしまった。この震えが恐怖によるものなのかあるいは歓喜によるものなのか、彼女にはもうわからなかった。

「おやおやデジタルさん?大丈夫ですか?」すると後方からマチカネフクキタルの声。「ひょっとして5G頭痛ですか?私も悩まされてるんですよ~。でも安心してください!はい、ほら、これ!幸運のアルミホイルですっ!」

いえ、結構です、と断るとアグネスデジタルは廊下を駆け出した。あまりにも一心不乱に走ったものだから、彼女は曲がり角で黒い巨体に激突してしまった。

「ご、ごめんなさいヒシアマゾしぇんぱぃぃ・・・」

「お前 見てる 方向 明後日 麻って この辺じゃ 漁っても Nothing ロッキーみたく ブレんな 暴れんな いいな?周りよく見ろ ASAP」

ヒシアマゾンはひとしきり納得のいくライムを吐き散らせたことに満足したようで、「気いつけな」とアグネスデジタルの頭を撫でると横ノリで去って行った。アグネスデジタルはしばらく漫然とその後ろ姿を眺めていたが、今度は彼女のほうが何者かに激突された。

「あ・・・デジタル先輩・・・」虚ろな目をしたサトノダイヤモンド。「キタちゃん見ませんでした・・・?」

アグネスデジタルは後ずさりながら首を横に振った。サトノダイヤモンドは丁寧に一礼し、とぼとぼと歩いていった。アグネスデジタルは彼女の左手に大仰な出刃包丁が握られているのを発見して心臓が凍りかけた。

「殺してやる殺してやる絶対に殺してやるから・・・・・・」

しばしの静寂を打ち破るように次は校庭から軍隊ラッパの勇ましい旋律。窓から身を乗り出してみると軍服姿のグラスワンダーが校庭のポールに括りつけた巨大な旭日旗を掲揚しているところだった。

「靖国の英霊に・・・ってアレ?アグネスデジタルさん?どうですか、あなたもこちらで私と一緒に日本帝国軍人の栄光を讃え合いませんか?」

アグネスデジタルは決然と首を振った。

「あら、グラスワンダーさん」エイシンフラッシュがナチス式敬礼とともに乱入。「私もご一緒してよろしいでしょうか?」

「「枢軸国、万歳!」」

アグネスデジタルは二人が勝手に盛り上がっている隙に人気のない体育館裏に逃げ込んだ。しかし聞こえてくるは艶美な息遣い。体育館裏の茂みの中から。

「ちょっとスズカさん・・・こんなのおかしいですって・・・」

「うふふ・・・スぺちゃん、LGBTが何の略か知ってるかしら?」

「えっと、レズ、ゲイ、バイ、トランス・・・」

「違うわ。正しくは『<レズ>の<義務>は<暴力>』の略よ。あなたは今から私の同性愛的性衝動の餌食になるの。わかった?」

「Tはどこに消えたんですか・・・」

「Tは<トレイン>、これは鉄道オタクのことね。鉄道オタクは性的マイノリティ以上に差別の対象になりやすいのよ」

「それは自業自得だと思いますけd・・・って、あっ、えっ、スズカさんってば・・・」

アグネスデジタルは二人の嬌声を聞くまいと耳を手で押さえながら(とは言いつつも少しだけ隙間を作りながら)その場から逃走した。「推し」たちの変わり果てた姿に幾度となく遭遇しながらも、彼女は命からがらトレセン学園の外に脱出することができた。

川向こうに浮かぶ夕日に向かって溜息をつくと、いつの間にか彼女の隣にはゴールドシップが寝そべっていた。彼女は茜さす夕空を見上げながら独り言のように呟いた。

「これでよかったんだろ?」

アグネスデジタルは何も言えなかった。言葉は舌の上で灰と化して風にさらわれていった。

「これはオメーの望んだ世界だ。オメーが一人で考えて一人で書き上げて一人で消費してるオメーだけの世界だ。嬉しいだろ、なあ」

アグネスデジタルの双眸には大粒の涙が浮かんでいた。身体がわななくと涙の雫は決壊し、芝生の上にポトポトと垂れ落ちた。

「オメーはアタシたちのことを誰よりも見てるようで、本当は誰よりも見てなかったんじゃねーか?『推し』ってそういうことだろ?相手の存在を最大化する一方で、自分の存在はできる限り0に近づける。でもな、オメーは本当の0にはなれねえよ。もちろんアタシも。生きてる限り、アタシたちは絶対に0なんかにはなれねえ。たとえ誰とも関わりたくないと思ったってどっかどっかで必ず関わっちまうもんなんだ。それを認めなくちゃいけねえんだよ」

刹那、とても強い風が吹いた。アグネスデジタルはこのまま全てが吹き飛んでしまえばいいと思った。しかし世界はなくならなかった。

「アタシは友達になりたかったぜ、オメーと」

ゴールドシップが言った。しかしアグネスデジタルが顔を上げたとき、彼女の姿は既に消えていた。

その晩、アグネスデジタルの部屋に生徒会役員らがやってきた。

「これはどういうことだ?」

シンボリルドルフが原稿用紙の束を突き出した。アグネスデジタルはそれが何を意味するのかを瞬時に理解し、そして諦めた。

「これらはあらゆるマイノリティの差別を助長するものに他ならない」

エアグルーヴがぴしゃりと指摘した。

「殺すぞ」

ナリタブライアンが男らしく言い捨てた。

部屋から連れ出されるとき、彼女は壁に貼ってあった「オタク三原則」の模造紙が剝がれかかっていることに気がついた。神様、あたしはこれを破りました。

アグネスデジタルはトレセン学園の地下にある独房に収容された。独房は正方形の箱のようになっていて、窓は一つもない。つたない電球の明かりだけがかろうじて物体の輪郭を捉えている。

「処刑までここにいろ」

独房の扉に錠が下ろされた瞬間、彼女は絶望よりもむしろ安堵を覚えた。行き場がないというのは、外部の一切のことを考える必要がないということであり、それは考えようによっては無窮の自由にも等しい。この独房の中にいる限り、自分は何をしても許される。全ての責任から逃れられる。彼女はそう思った。

30分もすると目が暗室に慣れ、彼女は独房の机の上に紙とペンが置いてあることに気がついた。そのとき彼女の頭にあるアイデアが閃いた。

この紙の上にもう一度物語を書きつけるのだ。

何でもいい、とにかく「推し」たちのおかしくなってしまった挙動をすべてリセットするような一発逆転の二次創作小説を書きつけるのだ。そうすればあたしは・・・

あたしは・・・

あたしが何だというのだ?とアグネスデジタルは思った。あたしは結局自分のことしか考えていない。

そのとき、独房の壁から啜り泣くような声が聞こえてきた。どうやらこの正方形の独房はいくつも存在していて、そこには自分と同じように罪を犯したウマ娘たちが収監されているらしい。

つながっているのだ

アグネスデジタルは握っていたペンを床に放り捨て、紙をビリビリに破いた。こんなのは絶対に間違ってる。世界を元に戻すことなんかできないし、しちゃいけない。だけど世界は実際に変わってしまった。あたしが変えてしまった。どうしようもなくグロテスクな姿に。あたしはどうするべきだろう?

頭上からコツコツ、という冷たい足音が聞こえてきた。それは生徒会役員たちが彼女を迎えに来た音だった。アグネスデジタルは目を閉じ、握り拳にありったけの力を入れた。独房の扉が開いた瞬間に、目の前に現れるだろう「推し」を、誰であれ全力でぶん殴ってやろうと彼女は強く決意した。こんな一方的な処刑は間違っている、あたしの話を聞いてほしい、と血反吐を吐くまで叫び散らしてやるのだ。

アグネスデジタルにとって、それだけがこの世界に対する責任を取るための唯一の方法だった。

彼女はいつか見た匿名コメントのことを思い出していた。

「そこに愛はあるんか?」

ある。

それは今、この拳の中に込められている。

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