オタクに優しいギャル

オタクハンターの朝は遅い。もう10時で草。いいやもう授業とか。古典だし。ダイタクヘリオスは適当にアイラインとリップを引いて白いダウンジャケットを羽織った。すっげえ着丈が短いやつ。府中の冬空には点々と鈍重な雲が浮かんでいた。

駅前の柱にもたれかかり、ジッと往来を見る。無数の人間が改札口やデパートの出入口に向かっていくつかのまとまった水流を形成している。ふだん自然の流れに逆らって本を読んだり計算式をこねくり回したりしている人間たちが、そうと意識していないときにはこうやって自然の様式を模倣しているさまというのは、やっぱり見ていて安心する。

しかし流れの中にはところどころ異物が混入している。それらは途方に暮れたように、あるいは居心地悪そうに、あるいは何かの被害者であるかのように、流れの中でじっと滞留している。ちょうど川面にせり出した粗大ゴミのように。ダイタクヘリオスはそういう異物を発見する能力にとりわけ秀でていた。

「ちーっす」

彼女に声をかけられた男はあからさまに素っ頓狂な声を上げた。上ずった調子が駅前通路の中空に楕円を描き出し、コンクリートの地面にめり込んだ。男、大学生くらい、身長はアタシとほぼ同じ、膝上丈のピーコート、グレーのジップアップパーカー、丈の余った黒スキニー、コンバース。うん、見た目も完璧。

「なんっ、すか?」

男はイヤホンを外して震え声で返答した。ダイタクヘリオスの大きな瞳が彼を捉えようとしたが、彼の視線は異極の磁石のようにスルスルと逃げていく。男の顔は赤らんでいた。しかしこれで落ちたと思うのは早計だ。その程度の解像度ではオタクハンターが務まらないことをダイタクヘリオスはよく知っている。

<失敗例>

「ちーっす」

「なんっ、すか?」

「今暇?」

「え、いや」

「ウチメチャ暇なんだけど」

「え、何」

「どっか行こーよ」

「え、え、い、いやっ嫌です」

「えーいいじゃん」

「イヤ意味ワカンナイスカラホント・・・触ンナイデクダサイ・・・」

「え?何?いこーよ」

「イヤソノホントソウイウノイインデ怖インデ(ダッシュ退散」

こうなったら負けなんよね。んじゃ次成功例行ってみよウェイッ!

<成功例>

「ねー、この辺にゲーセンない?」

ダイタクヘリオスが素っ気なく尋ねた。

「えっ?ゲーセン?」

男が斜め下方に視線を落としたまま訊き返した。

「そ、ゲーセン。ウチ今日学校サボっちゃって」

「そうなんだ・・・そう・・・」

「初めて学校と逆方向の電車乗ってさ、あースッキリした」

ダイタクヘリオスが大仰に背伸びした。それに伴い黒いスカートから覗く脚の長さが否応なしに強調された。

「なんかそういうの・・・いいですね」

「でしょ?」ダイタクヘリオスは食い気味に同調した。「ウチ学校嫌いだからさー、めっちゃ嫌われてるし!こんな見た目じゃん?当たり前でわろたっていう」

「僕っ・・・いやっ俺はいいと・・・思うけどな・・・そういうの・・・俺も大学嫌いだし・・・」

男は左手で書いた曲線のようにぎこちない笑みを浮かべ、一瞬だけダイタクヘリオスのほうを見た。

「まじ?じゃあウチらマブだね」

「マブ・・・?」

「確かにマブってなんなんだろ、よく使うけどしょーみ意味知らん」

「たぶん・・・マブダチだと思う、たぶん」

「それだわ!ウチらマブダチじゃんね!」

「え、や、それは言い過ぎ・・・」

男の苦笑に敗北の予兆を感じ取ったダイタクヘリオスは場の微熱が引ききる前に切り出した。

「てかゲーセン!この辺にない感じ??」

男は「あるけど・・・」と言葉を濁した。「ここから15分くらいかかっちゃうけど・・・歩いて」

それはダイタクヘリオスにとって願ってもないシチュエーションだった。0-0の膠着試合に審判のふとした心変わりで15分の延長がもたらされることと同義だった。

「ウチ地図とか疎くてさー、グーグルマップとか、こうっ、こうっ、画面グルグル回しちゃって、でも全然わかんねー!みたいな。だから案内してよっ!」

男はさらに激しく目を泳がせて戸惑っていた。

「あーーー、ごめん馴れ馴れしいよね初対面なのに。メンタル涼宮ハルヒかよっていう」

「ハルヒ・・・ハルヒは草っすね・・・え、っていうか」男はダイタクヘリオスをおずおずと手で指した。彼女をどう呼んでいいかわからず、仕方なく。「そっち系わかる感じ・・・ですか・・・?」

ダイタクヘリオスは心の中でガッツポーズした。あと少し、あと数ミリでこいつは落ちる、絶対に落ちる。

「アニメとかでしょ?んーちょっと。あでも最近のやつは逆にわかんない!鬼滅とか東リベとか」

「好きな作品とか・・・は?」

「えーなんだろ、ウテナとかカレカノとか?あでもいっちゃん好きなのはぱにぽにだっしゅかな~」

「・・・ガチっすね」

もちろんダイタクヘリオスは『少女革命ウテナ』も『彼氏彼女の事情』も『ぱにぽにだっしゅ!』も見たことがない。彼女はただ、ひたすらに感覚が突出しているだけだ。ここで『鬼滅の刃』や『東京卍リベンジャーズ』を挙げることが「オタク狩り」の成功率を下げる可能性が極めて高いはずだという、あるいは2000年代周辺のややアングラな雰囲気のアニメを挙げておけばドンピシャで当たるはずだという本能的直感。じゃあなんでウチがウテナやカレカノやぱにぽにに辿り着けたかっていうと、「雰囲気 いい感じアニメ」で検索したらなんか出てきたから笑。内容はTikTokでテキトーに予習した笑

「じゃあそろぼち行こ?」

ダイタクヘリオスが屈託ない笑みを浮かべた。そのとき男とはじめて目が合ったのを彼女は見逃さなかった。

「うわ落ちたーーーーーーー!!!」

ダイタクヘリオスはUFOキャッチャーの排出口に体ごと突っ込み、中から巨大なぬいぐるみを引っ張り出した。そのとき彼女の後方では腰あたりで腕を組んだ男が立っていたこと、あるいは彼女の短いエコレザーのスカートがその内側を大胆に曝け出したことは言うまでもない。ダイタクヘリオス自身もそのことを重々に理解していた。たかが布切れの数センチの上下運動で人心をエベレストからマリアナ海溝まで振り回すことができるのなら、それは実に効率的な犠牲だといえる。てか「犠牲」って何。別に減るもんじゃなくて草。

「この台も意外と簡単に取れました、取れたね」

男が言った。

「それな!今日のウチ、ツイてるぽくね?ね?」

ダイタクヘリオスが両手にいくつものぬいぐるみを抱えながら言った。

「まあ、でもこういうのはパチンコと一緒で確率だからこの台は設定甘かったんだと思う・・・いやまあそういう意味では『ツイている』と形容して相違ないというか。『設定甘め』とか表示がない状態でこれなわけだから、たぶんこの店舗全体を通して今日はどの台も設定甘いのかもしれない。店の事情をよく知らないバイトの人が設定任されて~、みたいな。他のも試してみるといいかもね」

ダイタクヘリオスは男の推論を思わず「あそう」と受け流しかけた。こういう奴らはいつもそうだ。一緒にいる誰かと空間そのものを享受することを最初から諦めてて、手近な利益や成果物に異常なくらい固執する。別に取れなくてもいいじゃん景品とか。5000円くらい無意味に溶かしてもいいじゃん。相手が笑ってんなら、楽しそうにしてんなら、もうそれでいいじゃん。なに確率って。どうでもいいじゃん。キミあれでしょ、ディズニーランド行っても虚構がどうとか資本主義がどうとか言って絶対カチューシャ買わないタイプでしょ。そうやってすべてのものごとを自分の個人的な損得基準でしか考えたことないからそんなこと言えちゃうんでしょ、平然と。

しかし彼女はすんでのところでオタクハンターとしての自負を取り戻した。ダメダメ、こんなこと言ったらダメ。

「へーそうなんだ!全然知らんかった」

これならセーフ。

「こういうのは普通なら店舗の損益状況によって設定値が厳格に管理されてるはずだから、たぶんもうスタッフによる人的ミスとしか言いようがないと思う。店側が気付く前にあらかた回収するのが吉だね」

「まーでも店員の人絶対後で怒られ確定だよね、ワロタ」

ダイタクヘリオスは相手に不快感を与えない範囲内でそう持論を述べた。

「いや、まあ、それはうんその通りなんだけど、店員の人たちにはそれが職務なわけで・・・」

職務www職務は草。じゃあキミもデートに臨む男性としての職務を果たしたらどうなんスカ???

「まーアレよね、その場に応じて自分の振る舞いをちゃんと変えてかないとダメって話よね」

ダイタクヘリオスが皮肉気にそう言うと、彼はそのことには気が付かないでやや驚いた表情を浮かべた。

「ヘリオスさんって、かなり賢いですよね・・・」

ダイタクヘリオスははらわたからこみ上げてくる不快感を抑え、「えー嬉しい」と身体をくねらせた。男はそうやって彼女が笑顔で返答するたびに増長していき、「あっちのがよさそうかも」と彼女を無理やり別の台に案内した。彼女の両手は既に大量の景品袋で塞がっていた。

男はクレーンゲームの筐体に小銭を入れるなり、視線をクレーンと景品の間にある不可視の合致点に集中させた。それからクレーンの動向を蛇のように見つめ、その上下運動に合わせて首を動かした。その間彼はただの一度もまばたきをしなかった。しかし何度やっても景品はアームの腕から滑り落ち、そのたびに筐体内を痛ましく転げ回った。

「あー使えねえ、カスだわ」

男がボソッと呟いた。

ゲームセンターを出たころには、曇っていた空は西のほうから徐々に晴れつつあった。ダイタクヘリオスが「お腹空いた」と言うと、男は立ち止まって携帯で何か検索しはじめた。

「何?イケてる店知ってる感じ?」

「イケてる~が何を指すかによるけど、まあ、お洒落な感じのフランス料理とだけ」

「すご、いつも行ってる的な?」

「いや、初めてだけど・・・」

「もしかして無理してる?」

ダイタクヘリオスがそう尋ねると男は苦々しい表情で「いや」と呟き、硬直した。ダイタクヘリオスが「サイゼでいいよ、てかサイゼ食べたい」と補助線を引くと、男はあからさまに安堵の表情を浮かべた。

駅前の往来が見渡せる窓際席で、ペペロンチーノの大盛りを啜りながら男が言った。

「ホントにここでよかった?」

「うん。だって美味しいもん、サイゼ。あと安いし」

「でもサイゼってほら、えと、よく言うじゃん、地雷だって。特にこうやって女性と二人で・・・みたいなときには。・・・いや変な意味はないよ?本当に。だからサイゼ好き女子みたいなのって本当にありがたいと言いますか、逆にフランス料理奢ってくれないと速攻帰っちゃう港区女子的な女って苦手だなーと。あー女って言い方はよくなかった、女性です、女性。訂正。でもヘリオスはそうじゃなくて安心した」

呼び捨て草。てかサイゼで喜ぶか喜ばないかが女の良し悪しの基準になってるのウケる。ウケねーよ。

「ていうかさ、一個疑問あるんだけど、聞いていい?」

男が尋ねた。

「なにー?」

「あのさ、どうして俺だったん?俺なんか別にカッコいいわけでも背高いわけでもないし、ごく普通のただの男なのに、なんで俺を選んでくれたんだろうって、単純に疑問なわけで」

ダイタクヘリオスはやや視線を泳がせてから言った。

「なんだろ、えー恥ずいな。なんかいいな~って思ったから、それだけなんだけどな」

それを聞いた男は「そう・・・」「成程・・・」と何度も呟きながら、空になったコップを何度も口元に寄せていた。ぼんやりと甘い白昼夢の中を漂う彼を見て、ダイタクヘリオスは今日の狩猟が成功したことを確信した。

「え、嘘とかじゃない、よね?」

「うん」

「うわーマジかー」

男はいよいよ浮ついた気持ちを抑えられず「ジュース汲んでくる」と言って席を立ち、ジュースサーバーのほうへ駆けていった。そのときの不自然なくらいの前傾姿勢といったら、形容のしようもない。

サイゼリヤを出るなりダイタクヘリオスに電話がかかってきた。というのは演技で、彼女は相手不在の電話口に向かってこう言った。

「うん、うん、ごめん。家帰ったら説明するから。迎えは来ないで。自分で帰れるから。はい、はい、ごめんなさい。もうしませんから。ごめんなさい、はい、はい。じゃあ後で」

ダイタクヘリオスは溜息をついて肩を落とす素振りをした。

「ど、どうしたん?」

男が尋ねた。

「いや、お母さん。今日学校サボったのバレちゃったみたいで。ごめんウチすぐ帰んないと」

男は心底残念そうな表情を浮かべたが、すぐさま「あーそういう・・・」と取り繕った。

「全然いいよ、また今度遊ぼうよ、俺この辺だから、家」

ダイタクヘリオスはそれでも落胆の滲む彼の手を取って、「LINE」と言った。

「LINEちょーだい。また連絡するから、ね」

改札に入っていくダイタクヘリオスに、男はいつまでも小さく手を振り続けていた。ダイタクヘリオスは階段を上り、ホームを直進し、逆側の改札から外に出た。

LINEには既に何件もの通知が来ていた。今日は本当にありがとう、ヘリオスみたいな人に出会えて本当によかった、これからも末永くよろしく、云々。ダイタクヘリオスは適当な返事とスタンプを送り付けてタブを閉じた。府中の空はいつしか虚しいくらい青々と晴れ渡っていた。

なんで君を選んだかって、いや、そもそも選んだわけじゃないから。これただのゲームだから。画面端を獲物が通りかかったから、それに銃口を定めた。そんだけだから、本当に。そんだけ。

オタク狩り、完了。

「・・・待って待って待って」

メジロパーマーは勢い余ってコップの中身を机の上にぶちまけた。

「えーそんな変?」

ダイタクヘリオスが布巾でそれを拭い取りながら首を傾げた。

「お待たせいたしました」

店員がミラノ風ドリアと若鳥のディアボラ風を持ってきた。この間と全く同じ、往来が見渡せる窓際の席だった。メジロパーマーが目の前の料理には目もくれないで言った。

「いや、まあさ、ヘリオスがそういうしょーもない火遊びみたいなことやりかねないってのはわかるんだけどさ。でも今回のは大義がなさすぎるよ」

「大義って?」

「だって要するにそれって悪質な当たり屋じゃん。見ず知らずのオタクの人に突っかかって感情かき乱すだけかき乱しておいて、それでオタクの人は精神的に未熟だーとか人間として劣ってるーとか、向こうからしたらいい迷惑だよ。自分でゴミ箱の蓋開けといて臭いって騒いでるようなもんじゃん」

考えてみればメジロパーマーの言う通りだった。確かにダイタクヘリオスが照準を定める男たちは一般的価値観に照らし合わせてみればかなりろくでもない奴らだが、そのろくでもない奴らに自ら接近していったのは彼女のほうなのだ。てかパマちんもうっすらオタクのことゴミだと思ってるの草。

「それにもう一個イミフなんだけどさ、ハンターとかなんとか言ってるけど結局誰のことも狩ってなくない?だって別れた後にLINEブロックしてるとかじゃないわけでしょ?」

「うん」

「でもさ、あっちからはメチャクチャLINEとか来て、また会おうとか言われるわけでしょ?」

「うん」

「で、相手がいよいよ耐え切れなそうになってきたら適宜会って溜飲を下げさせとくんでしょ?おそらく」

「うん」

「それもう狩猟者じゃないじゃん。オタク牧場の牧場主じゃん」

「え、うわ、確かに」

「そういうとこ徹底的になりきれない時点でヘリオスは冷酷な狩人とは言えないよ。だからもうそんなことやめなよ、危ないし」

ダイタクヘリオスはぐうの音も出なかった。オタクは他人をモノのようにしか捉えられないと言った自分が一番彼らをモノのように扱っている。にもかかわらず肝心なところで冷たくなりきれない。結局ウチは何がしたいん?SNSで自分のアンチを敢えて見に行ってイライラすることが好きだという不健康な人々がこの世界には少なからずいるらしいけど、要するにウチもそれと一緒ってことじゃないの?いったいウチは彼らの何が気に食わないんだろう?ウチは何をされたというんだろう?ダイタクヘリオスは胸に手を当ててじっと考えてみた。じっと。じっと・・・

「あ」数分間にもわたる沈思黙考ののち、ダイタクヘリオスはあることに思い至った。「わかった、今完全にわかった」

メジロパーマーは汲み直してきたジュースを啜りながら「はいどーぞ」と促した。

「笑わない?」

ダイタクヘリオスがもじもじしながら訊いた。

「笑わない」

メジロパーマーは彼女の目をしっかり見据えて答えた。そしてダイタクヘリオスが口を開いた。

「最初にね、ああいうタイプの人と会ったとき、あー、えーっと・・・実はウチ本気だったんよね。ちょうど彼氏にフラれた直後でさ、ほらあの駒澤大学のサッカー部の。バチボコに浮気しまくるしブルーシート敷く系の飲み会で毎日いないし渋谷のネバーランド出禁だしマジで最低最悪じゃんって思ってて、そんで今度は絶対マトモな男捕まえようって。Tinderとタップルはヤリモクしかいないって中等部のサトノダイヤモンドちんに教わったからwith始めたワケ。んで初めて会いましょーってなったのがまあ所謂ヲタヲタした感じの社会人だったん。正直顔面は萎え~だったけどまあ楽しく話せればそれでいいかなって思ってさ。でもこいつまっっったく喋んないの。ガチで地球人に捕まった宇宙人かよってくらい黙ってんの。そのくせ?ウチがなんか話し始めると根こそぎ全部奪ってくわけ。こいつまじくそシャバいな~って思ったけど顔に出すのもアレだから我慢してたんだけど、そしたら別れ際なんて言われたと思う?」

「何?」

「オタクに優しいギャルって実在するんですね、だって。いやいやいやオメーに思いやりがないからウチが優しくならざるを得ないだけだろ!!!!!!!!!!!!っていう」

ダイタクヘリオスの叫びに近しい声に少なからず店内の視線が集中していた。メジロパーマーは宥めるように彼女の肩を撫でた。

「いやまあ気持ちはわかるけどさ、だからってテロみたいに手当たり次第そういう人にぶつかってくのも違うわけじゃん。しかもぶつかりきれてないし。結局ヘリオスが意味もなく一人で傷ついてるだけじゃん」

「でも、だって、そういう男が普通の人間に混じってさ、普通の社会生活を営んでるって思ったらメチャ怖じゃん。そういうものにいつか偶然ぶつかって嫌な思いするくらいなら、いっそこっちから能動的にそいつら駆逐したほうがよくね?ってなんじゃんどうしても」

「そうだとしてもそれをヘリオスがやる必要はないよ。そういうのは彼らが彼らの中でどうにか解決してくべき問題だよ、それに・・・」

メジロパーマーはやや躊躇ってから言った。

「普通の男なんていないよ」

その言葉には確かな現実の重みがあった。ダイタクヘリオスは息を吞んで次の言葉を待った。

「私さー、自分で言うのもアレだけど、さっぱりした性格っていうか、他のメジロの子たちと違ってなんか自由でボーイッシュって感じじゃん。でもこういうのって男ウケ?は最悪なんだ。この前メジロ家主催の食事会という名の実質ほぼ合コンみたいな会があってさ、まーー私以外はみんなモテモテなわけね。ちょっと抜けてて華奢なマックイーンはもちろん、おっとりして包容力があるブライトやアルダンなんか交際すっ飛ばして求婚されてたし、ドーベルもぶっきらぼうだけどウブな感じが逆にウケてて。私はずーっとサラダ食べてたよ。端のほうで。ちなみに別にそこにいた男たちはオタクじゃないよ。むしろ明るくて華やかっていうか、大学で言ったら慶応のオーランに5万人はいる感じ。そういう奴らでも、や、ていうかむしろそういう奴らこそ、相手が自分より多少なり劣ってて、なおかつすべてを許してくれて、自分のことを無条件に愛してくれそうな子しか選ばないんだなって、そのとき思った。私が僻んでるとかじゃないよ。それにマックイーンやアルダンたちが本当にそいつらに劣ってるだなんてちっとも思ってない。だからいっそムカつくんだよ」

メジロパーマーの双眸にはうっすらと涙が溜まっていた。

いよいよ辛抱ならず、ダイタクヘリオスは目線を窓外の往来に逃がした。無数の人々が改札やデパートに向かっていくつかの水流を形成していた。しかしその水流は今までと明らかに違って見えた。ところどころに滞留していた粗大ゴミのような異物は、今やそこらじゅうに生起して水流を堰き止めていた。

コートを着た20歳くらいの女が駅のほうへ小走りで向かっていた。すると対面から恰幅のいいスーツの男が歩いてきた。男は女が自分の側方を通り抜けていくとき、明らかに身体を横に倒した。女と男の肩がぶつかり、女が大きくよろめいた。女は一瞬何が起こったかわからず硬直していたが、すぐさま後ろを振り向いて頭を下げた。男は一度たりとも振り向くことなく大通りのほうへ歩き去っていった。鼻の奥がキュッと痛くなり、ダイタクヘリオスの右頬を涙が伝い落ちた。

「なんか、ウチもうやだ、なんでこんな、なんで・・・」

温かな指が彼女の頬に触れ、涙を拭った。メジロパーマーは自らも涙を流しながら、柔和な表情を浮かべていた。

「大丈夫だから、私がいるから」

そのときダイタクヘリオスの携帯が震えた。この前の男からの連絡だった。

なあ
俺たち本当に付き合ってるんだよな?
俺ばっかり我慢することだらけで疲れてきた
なんで連絡くれないわけ?
学校とか部活とかあるのはわかるけど
返信くらいできるよね?
ヘリオス
聞いてんのか
おい
おい
[不在着信]
[不在着信]
[不在着信]

「もう終わりにしようよ。こんなの続けてちゃダメだよ」

メジロパーマーがダイタクヘリオスの頬を優しくさすった。

「でもウチ、今更どうすればいいのか・・・」

「こうすればいいよ」

メジロパーマーはダイタクヘリオスの顎を上向きに支え、そのまま彼女の唇に自分の唇を重ね合わせた。

ダイタクヘリオスは真っ白になった頭の隅でパシャ、とシャッターが切られる音を聞いた。それで正気に戻った。シャッターを切ったのはメジロパーマーだった。

そこには疑いようなく接吻を交わし合う二人の姿が映っていた。

「ヘリオス、LINE貸して」

「どういうこと?」

「今まで会ってきた男たちを全員一つのグループに集めるんだ」

「なんでそんな・・・」

「今撮った写真。ここに貼るんだよ。ウチには好きな人がいます、そしてそれはアンタらの誰でもないよって思いっきり宣言してやるんだ。こいつらは誰一人愛ってものを知らない。だから私たちが本物の愛を見せてやればいい。本物の愛に勝てるものなんかこの世にないんだから」

ダイタクヘリオスはとめどなく涙がこぼれた。手元で生成した「ウチには好きな人がいます」という文言が真実の輝きを帯びていくのを全身に感じていた。メジロパーマーはいつまでも彼女の頬をさすり、零れ落ちる涙をニットの袖で拭い続けていた。

一方その頃、無数のオタクたちのもとには一枚の写真が送られてきていた。

そこには彼らの恋人であるべき女が、別の女と熱い接吻を交わしている姿が映し出されていた。

彼らは自分の恋に終止符が打たれたことを悟り、膝を抱え込んだまま深い絶望の淵に沈んでいった。

しばらくすると彼らはもう一度携帯を手に取り、あの忌々しい写真にもう一度向き合った。

艶やかな唇と唇の接合。薄く開いた眼に宿る性愛の恍惚。同性の背徳的フェティシズム。

オタクたちはゴクリと唾をのんでからそろそろとズボンを下ろし、股の間に手を入れた。

これもうセックスだろ普通に・・・・・・・・・

これもうセックスだろ普通に・・・・・・

これもうセックスだろ普通に・・・

これもうセックスだろ普通に

これもうセックスだろ普通に!

これもうセックスだろ普通に!!

これもうセックスだろ普通に!!!

これもうセックスだろ普通に!!!!

その晩、全く同一の対象に対し、合計幾百億もの生命の可能性が無為に消費された。

二人の写真は放たれた矢のようにインターネットを駆け巡り、分散し、最後には再び一つの巨大な矢となって二人の心臓を貫いた。矢は無数の憶測や偏見にまみれ、それは二人の生命を断つには十分なほどの暴力性を纏っていた。

ふたり手を繋いで後ろ向きに飛び降りた校舎、空は作り物かと見紛うほどに青々とどこまでも澄み渡っていた。

「気持ち悪」

それがダイタクヘリオスの最後の言葉だった。

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