私はスぺちゃんが好き

スペシャルウィークさま

メリークリスマス、スぺちゃん。

といっても今はまだ12月の中旬なんだけど、そっちに届く頃にはおそらくクリスマスの時期なんじゃないかしら。

唐突にごめんね。少し伝えたいことがあって、それで手紙を送りました。ものすごく長くなっちゃったから、読みたくなかったら読まなくても大丈夫。

それと、消しゴムの痕はあんまり見ないでね。

日本を発ったのは今年の6月。もう半年前ね。スピカのみんなが見送ってくれたのを覚えてるわ。

マックイーンが羽田のギャラクシーホールを貸し切ってね。テイオーは新しいダンスを披露してくれて、ウオッカはバイクを曲芸乗りしながら「仰げば尊し」を熱唱(そのまま逮捕されていった)、スカーレットにはハンドメイドのハンカチを貰ったわ。最後には超巨大漁船に乗ったゴールドシップが窓から突っ込んできて、リュウグウノツカイのお刺身を振る舞ってくれたっけ。楽しかったわ。トレーナーは破産してたけど。

スぺちゃんが来られなくて残念だった。でも本当に楽しかったんだから。嘘。私が会いたかっただけ。嘘。

アメリカの寮に着いたと思ったらその日から練習開始。うんざりしちゃったわ。それはそうとアメリカって本当にすごいところなのよ。なんていうのかしらね、常に自分が何かに囲われてる感じがする。

私の同室の子は生粋のカリフォルニア・ガールなんだけど、ハーイハーイって誰にでも言うの。本当よ。廊下ですれ違ったらハーイ、対岸を歩いてるおばさんにハーイ、散歩中の犬にハーイ、猫にハーイ、太陽にハーイ。まるで自分は敵じゃないですよ、仲間ですよって周りにアピールしてるみたいなの。アンタもちゃんと言いなよって怒られちゃったわ、私。

でも私ってそういうの苦手でしょ?だから最初は本当に苦しかった。知らない人にハーイって。英語なんか少ししか喋れないのに。でも何事もやっぱり慣れね。走ることと同じ。いったん辛さや苦しさを追い越しちゃえばあとはもう大丈夫になる。今じゃスーパーマーケットの店員さんにもハーイって言ってるのよ私。ねえ信じられる?

最近は近所のダイナーのハンバーガーが食べ切れるようになってきたの。寒いからかしら。関係ないかしら。平均気温はマイナス5度。東京はどう?明治神宮のイチョウが見頃らしい、ってニュースで見たわ。先週末には多くの家族連れやカップルが~・・・って。どうでもいいわよね。

私彼氏できたの。

2ヶ月前くらいだったかしら。同室の子が友達のホームパーティーに行くからって、私も無理やり連れていかれたんだけど、そこで会った人。20歳くらい?この辺りのそこそこ賢い大学に通ってるんだって。

「君、名前は?」って言うからサイレンススズカって答えたら「聞こえないよ」って。言い忘れてたけどホームパーティーってほとんどクラブイベントみたいなものなのね。お酒と葉っぱを誤魔化すために爆音で音楽が鳴ってる。だからみんな万引き犯を怒鳴りつけるみたいな大声で話してるの。そうじゃないと何にも聞こえないのよ。だから頑張って叫んでみたわ。

「サ、イ、レ、ン、ス、ス、ズ、カ!」

そしたらやっと聞こえたみたいで、「スズカだって?本当に?シズカじゃなくて?すげえや!」って。どうやらF1が好きらしいのよね、彼。私が鈴鹿サーキットと何か関係があると思ったみたい。いや別に、って言ったけど聞いてなかったわ。「だけど考えてみたらおかしな取り合わせだね。エンジンの轟音が鳴り響いているのが鈴鹿のいいところなのに、それがSilenceってのは。矛盾ってやつだね」

そのとき私、反射的に彼の頬を引っ叩いちゃったの。ARE YOU KIDDING ME!?って。私だって人並みに(ウマ並みに?)怒ることくらいあるのよ。特にここへ来てからは。ちょっとだけ酔ってたのかもね。

彼は叩かれたほうの頬を手でさすりながら言った。「俺がバカだった!」って。「君はSilenceでありSuzukaなんだ!その両方なんだ!」わけわからないでしょ?

それから私たちはパーティーを抜け出してドライブに出かけた。彼の運転する真っ赤なクライスラーでね。私の住んでるところはけっこうな田舎だから、いくら走っても真っ暗な林道が続くだけだった。もちろん楽しくもなんともなかった。

ちょっとだけ街の明かりが見える丘の上で彼は車を止めたわ。それから助手席の私を見て「キスしよう」と言ったの。彼にはきっと街の明かりがムーディーなキャンドルライトにでも見えてたんでしょうね。

私もうどうでもよかったの。彼のこともパーティーのことも友達のことも自分のことも、もう全部どうでもよかったの。

ねえスぺちゃん、キスってこんなに冷たかったかしら。

彼は私を寮の前で降ろして「明日のレース、絶対観に行くよ」って言った。私そう言われるまで明日が自分のレースの日だってことすっかり忘れてた。私何のためにこんなところまで来たんだっけ、って。寮のトイレで三回くらい吐いて、一睡もできないまま朝が来た。

レースの結果についてはもう何も言わないわ。スぺちゃんも知っての通りよ。彼は「次があるさ」って肩を叩いてくれたけど、たぶん次も同じことを言ってくれると思う。次があるさ、次があるさ、次があるさ、次があるさ。次次次次次次・・・私いつまでこんなところにいればいいの?

11月くらいから国語の授業でディベートの練習が始まったんだけど、私本当に辛くてたまらない。ディベートが苦手だからじゃない、むしろ逆。最近はだんだん頭の回転がよくなってきた。相手の言葉が図形に見えるの。どこが足りなくて、どこが余っているのか、パズルみたいにすぐわかる。それ、論点違うよね、って。論点って言葉私大嫌い。大嫌いって言い方も嫌い。ディベートなんか大嫌い。

どうして私こんなふうになったんだろうって同室の友達に訊いてみたわ。そしたら「ここがアメリカだから」ってはぐらかされちゃった。「アメリカでは誰もが正直でいられるのよ」。本当かしら?

そういえば私、前にグラスちゃんに尋ねてみたことがあるの。どうして日本なんかにいるの?って。アメリカに戻ろうと思ったことはないの?って。

グラスちゃんは「一度もありません」と言い切ったわ。それを質問すること自体が恥ずべきことだって暗に非難されてるみたいだった。そのまま彼女はどこかへ去って行ってしまったんだけど、その背中が高倉健みたいっていうか北野武みたいっていうか、とにかく孤独、って感じがしたのよ。全てを抱え込むことなんかできないとわかってて、それでも全てを抱え込もうとしてる。そういう孤独。

何の話かしら?これ笑

留学の数日前にスぺちゃんと喧嘩しちゃったことだけどね、今でもすごく悔やんでる。

私たち、足を怪我した猫を拾ったわよね、体育館の裏で。そのまま捨てておくわけにはいかないから、私たちの部屋で治療しようって決めた。包帯を巻いたり、エサをあげたり。猫はみるみるうちに回復していったわ。一週間後には部屋じゅうを駆け回れるくらい元気になった。そしてそのままいなくなった。

私はスぺちゃんに言った。早く探さなきゃ、って。

そしたらスぺちゃんは言った。このままでいいんです、って。

いつもは優しいスぺちゃんがどうしてそんなことを言うのか、私全然理解できなかった。今頃また傷口が開いてどこかの茂みでうずくまってるかもしれないのに、お腹を空かせて行き倒れになってるかもしれないのに、どうしてそんなことが言えるのって、泣きながら。

スぺちゃんも泣いてた。悲しいけど、仕方がないんです、って。

二人でいつまでも泣いた。だけどどこにも辿り着けなかった。私が朝目覚めたとき、スぺちゃんはもういなかった。「今日から遠征です」ってメモが私の机の上に置いてあった。内臓が氷漬けにされたような気分だった。私はメモをぐちゃぐちゃにして、でも捨てられなくて、許せなくて、許されなくて、それでブロックしたの、スぺちゃんのLINE。

半年も連絡できなくてごめんなさい。ぐちゃぐちゃのメモはまだ手元にある。何度開いてみても「今日から遠征です」のまま。そこで時が止まってる。

昨日の夜、彼氏と一緒に映画を観たわ。『25時』っていう映画。

麻薬密売人のモンティは、ある日自分の悪事が警察にバレちゃうの。モンティは出頭するまで一日だけ猶予をもらうんだけど、イライラして心の中で周囲の色んな人たちの悪口を言う。英語もまともに喋れない韓国人とか、バスケしか能がない黒人とか、ずる賢いユダヤ人とか、貧乏なラテンアメリカ系移民とか。そういう自分以外の要素を持った人たちにね。

だけどモンティの最後の一日を支えてくれたのは、他でもない、彼が心の中で悪口を吐きつけたそういう人たちだったのね。彼の親友はユダヤ人だし、ガールフレンドはラテンアメリカ人。黒人も韓国人も彼のことを同胞として扱ってくれた。

翌日、モンティは警察署に向かう車の中で、遠い街へ逃げる空想を思い浮かべるの。もしここで今ある全ての関係を断ち切って、遠い街に逃げたとしたら・・・って。

だけどそんな空想に意味はないわ。全ての関係を断ち切るなんて不可能だもの。どこにも逃げ場なんてないの。だからモンティは空想をやめる。そして静かに警察署に向かっていくの。

映画が終わった瞬間、彼氏が立ち上がって「アメリカは素晴らしい国だ!」って叫んだの。ほとんど泣いてたわ。アメリカは誰一人疎外しない、アメリカは全てを受け入れるんだって。心の底から誇らしげに。

私、何も言わなかった。いつまでも拍手をやめない彼を眺めながら、なんにも言わなかった。何も言わないことが、私にできる最後の抵抗だと思ったの。

スぺちゃんには私がそのとき何を言いたかったか教えてあげる。それはね、この国では絶対に一人になることなんかできない。それは希望であり絶望でもある、ってこと。

たとえばダウンタウンのど真ん中で誰かが騒いでるとするでしょ。「この国は間違ってる!」とか「お前らみんな騙されてんだ!」とか。でも周りの誰もがそんなもの気にしない。どうして気にせずにいられるかっていえば、そういう人もまたアメリカの一部だから。要するに誰かがどれだけ発狂しても、「アメリカ」っていう大きな物語はそこに内包されるすべてを等しく優しく抱きしめてくれるの。

でもそれは、どうしようもなく逃げ場がないってことと同じでもある。本当にこの国が間違ってると思って「この国は間違ってる!」って叫んでいるのに、「君だってこの国の一部なのさ」なんて言われたら、ねえ、もうどうしようもないじゃない。

私ね、だんだんアメリカが心地よくなってきちゃったの。だって何を言ったってアメリカがそれを許してくれるんだもの。そしたら自我の悩みみたいなものもなくなっちゃった。

日本にいた頃は「今日の私ダメだったな」とか「私って本当は何がしたいんだろう?」とか、そういう自分の問題について一晩中考え込んだりしたこともあったんだけど、今はもう全然。思ったことがあれば正直に口に出しちゃったほうが楽なんだもの。周りがそれについて真剣に意見してくれるから、解決もすぐ見つかるし。抱え込む必要なんかこれっぽっちもない。

日本なんかもうどうでもいいって思ったわ。日本にある何もかもがどうでもいいと思った。

そんな矢先にレースがあったの。ほら、さっき言ってたレースね。

さっきは嘔吐したからとか寝不足だったとか適当な言い訳を並べたけど、そんなの全部噓。私は絶対に勝てると思ってた。少なくともゲートが開いてから第3コーナーに差し掛かるまでは。

だけど最後の直線にさしかかったあたりで、私は不意に自分を見失っちゃった。後方から追いかけてくる他の選手たちと、自分自身を区別することができなくなっちゃった。誰が勝とうが負けようがどうでもいいって思っちゃったの。

だってどんな結果になろうと、それは否応なく「アメリカ」という巨大な物語に吸い込まれていくんだから。どのみちそこに「私」はいないのよ。

私ね、自分が何着でゴールしたかさえ覚えてない。ただただ圧倒的な虚無感だけがあった。たぶん1着だろうと最下位だろうと全く同じ気持ちだったでしょうね。

レースが終わった後、赤いクライスラーが私を待ち構えてた。ラルフ・ローレンのポロシャツを着た彼氏が私に手を振ってた。

彼は車を運転しながら私を慰めてくれた。そしていつもの丘の上に車を止めると、いつものようにキスをせがんできた。

そのとき私はどうしようもない嫌悪感に駆られたの。生ぬるい粘液の中に全身を浸された気分だった。そこで耐えきれなくなって、私は助手席のダッシュボードの上に吐いちゃった。

彼は怒るどころか私を心配してくれた。レースで疲れてたんだね、今すぐ病院に行こうって。でもそんな言葉をかけられるたびになぜだか嫌悪感はどんどん増幅していって、食道が胃酸で溶けきるまで私は嘔吐し続けた。

病室の白いベッドに一人ぼっちで横たられながら、私は泣いた。涙がとめどもなく流れてきた。私は涙をティッシュで拭って、それを床に放り捨てた。

そのとき私はメモのことを思い出した。スぺちゃんが「今日から遠征です」って書いたメモ。私がぐしゃぐしゃに握りつぶしたメモ。

そして確信したの。



私はスぺちゃんが好き。



今の時刻は午前3時。同室の友達はいびきをかきながらぐっすり眠ってる。悩みなんか何一つないみたいに。

一通り荷造りも終わったから、この手紙をポストに投函したらそのまま寮を出ようと思う。ヒッチハイクで東海岸に向かって、そこからゴールドシップの漁船に乗ってゆっくり東京に帰るの。ゴールドシップったら遠洋漁業の最中にバミューダトライアングルに迷い込んで、気がついたらバージニアの港に座礁してたらしいわ。笑っちゃう。

私がそっちに着くのと手紙がそっちに着くの、どっちが早いかしら?

もし私のほうが早かったら、スぺちゃんがいない間にこの手紙は破り捨てちゃおうと思う。

もし手紙のほうが早かったら、つまりスぺちゃんがこの手紙を読んだら、私がここに書いたことは全部忘れてちょうだい。

いえ、忘れなくてもいいけど、口には出さないでちょうだい。自分の中だけに抱え込んでちょうだい。考え続けてちょうだい。

考えて、考えて、考え抜いて、それで何か答えのようなものが浮かび上がったら、そのときは私に教えてね。

長くなっちゃって本当にごめんなさい。そろそろ寮の警備員さんが見回りに来る頃だから、それまでにここを出るわ。

それじゃあね、スぺちゃん。日本に帰ったら、また一緒に頑張りましょう。

雪の降る街より愛をこめて

サイレンススズカ

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